最終話:そして、闇に笑う
その夜、陰界は静かだった。
風はなく、水滴も落ちず、
無数の羽持ちたちが息をひそめる。
アモ・ブリオンが、すべての“名を持たぬ者”の代表として、
光界との“最後の接触”を行うという噂が、
陰界中を駆け巡っていたからだ。
「今度は、侵略ではない」
「でも、対話でもないらしい」
誰もがざわめいた。
誰もが怯え、誰もが期待していた。
そして今、
アモ・ブリオンは、再び“あの部屋”にいた。
小さな窓。
埃の積もった本棚。
机の上には、ビー玉が一つ。
それは、かつて“光の子”が置いた、“まもりの玉”。
彼女はもういない。
この家は空き家となり、持ち主は引っ越したという。
だがアモは、ただそこに座っていた。
静かに、何もせず、ただ“待って”いた。
そして、深夜2時を少し過ぎた頃。
その扉が、開いた。
風が吹き込む。
入ってきたのは、少女ではなかった。
一人の“人間の男”だった。
彼は驚いた顔で、アモを見つめる。
だが、悲鳴は上げなかった。
ゆっくりと目を細め、言った。
「……おまえ、まさか……この子が話してた……」
アモは黙っていた。
男は机に置かれたビー玉を手に取った。
そして、ぽつりとつぶやく。
「妹がね、小さい頃、言ってたんだ。
“黒い子に名前をつけた”って」
「……“アモス”って、呼んでたよ」
その瞬間、アモの殻が、わずかに光を放った。
人間の男は笑った。
「冗談だと思ってたけどな……
本当にいたんだな、おまえ」
アモは、口を開いた。
「……あの子は、我に“始まり”をくれた。
ならば、おまえに“終わり”を託す」
男は目を細めた。
アモは、背中から一片の殻を剥ぎ取り、机の上に置いた。
「これは、我が記録。
名もなき者たちの語り、
捨てられし魂の声だ」
男は、それを手に取った。
小さな、黒い破片。
けれど、そこには確かに“何か”が刻まれていた。
「……ああ、受け取ったよ。アモ・ブリオン」
「それが“語り”の意味だ。
誰かが語る限り、我らは在り続ける」
男が去ったあと、部屋に残されたのは、アモだけだった。
彼はそっと天井を見上げた。
そこには、なにひとつ、記されていない。
ただ、静寂だけがあった。
けれどアモの瞳は、どこか満たされていた。
「我は、もう捨てられてはいない。
たとえ人の目に映らずとも、
誰かが“語る”限り──我らは、ここに在る」
そしてアモ・ブリオンは、
最後に、ほんの少し──
笑った。
それは、軽蔑でも嘲笑でもなく。
後悔でも、勝利でもない。
ただ、静かに、深く、
すべてを受け入れた者の──微笑だった。
そして彼は、再び闇へと帰っていった。
光の差さぬ通路を、静かに、
しかし確かな足取りで。
かつてのように、
名も持たぬ影として。
だが、その背には──
語られた名が、ひとつ、
確かに、刻まれていた。
━━━━━
完
ココまで読んでくれてありがとう。
語り継がれるなら、この物語は、ここで終わる。
だが語り手が現れるならば、
また“名を持たぬ者たち”は、歩き出すかもしれない。
──次回、更新を待て。
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