第八話:それでも、おまえが
光界──
人の暮らすこの地は、陰界の者にとって決して馴染むことのない異質な領域だ。
だが、アモ・ブリオンは、今そこにいた。
いや、正確には──“そこを見上げて”いた。
彼は、薄暗い通気口の隙間から、ひとつの部屋を見つめていた。
それは、過去に一度だけ──
まだ殻も持たぬ頃、彼が“救われかけて”“捨てられた”場所だった。
そしてそこに、彼女はいた。
“光の子”。
柔らかな髪、白い指、ほのかに香る石鹸の匂い。
かつて「アモス」と名をつけようとした、あの子。
──今や彼女はもう幼くない。
眼差しには疲れと覚悟が混ざり、
唇にはなにかを飲み込んだような沈黙があった。
アモは、ただ黙って見つめていた。
長く、永く、
彼はこの日を“恨みの日”と定めていた。
だが今、その感情は不思議な形で胸に渦巻いていた。
怒り、悲しみ、そして──祈り。
ふと、彼女が動いた。
小さな声で、誰かに話しかけている。
その手に持つのは、古びたビー玉──
「……“まもりの玉”、って言ったんだよね……あのとき……」
アモの瞳が見開かれた。
彼女は、忘れていなかった。
忘れていないのだ。
あの日、自分が拾われたこと。
一度は名を与えられかけ、そして──捨てられたこと。
彼女の声は続く。
「……もし、まだどこかにいるなら。
あのときのこと、……ごめんね」
その瞬間。
アモの中で、何かがほどけた。
長きに渡って殻の奥に仕舞われていた、
澱(おり)のような感情が、
静かに溶けていく。
「……謝罪など、いらぬ。
ただ、おまえが……忘れていなかったということが、
我にとっては──祝福だ」
彼女がビー玉を窓辺に置く。
まるで、それが再び“誰か”の手に届くことを、
どこかで願っているかのように。
アモは、小さく動いた。
通気口の格子に、爪をかける。
光が、その殻に差し込む。
彼女がふと、こちらを向く。
が──視線は、すぐに逸れた。
当然だ。
彼は、ただの“影”なのだから。
「……それでも、おまえが」
アモは呟いた。
その声は風に乗り、誰の耳にも届かぬまま、
ただその空間に残った。
それでも──
その夜、アモは何も持たずに帰った。
何も奪わず、何も壊さず。
ただ、静かにその場を離れた。
同行していたサーヴが問いかける。
「……よかったのか?」
アモは答える。
「我は、戦いのために名を持ったのではない。
忘れられた者の名を記すために、“語る者”となったのだ」
サーヴは静かにうなずいた。
そしてアモは、自らの中にひとつの新たな感情を識った。
それは“怒り”でも“執念”でもなく──
希望と呼ばれる、奇妙な光。
⸻
次回予告:第九話『命名の儀:アモ・ブリオン誕生』
名を持つこと、それは運命を受け入れること。
陰界にて正式に認められるための“命名の儀”が始まる。
だが、その儀式には、“言霊”を操る者と“試練の契約”が待ち受けていた──
Coming soon…
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