第一話:名を刻むは血の系譜
かつて陰界に、王がいた。
その名は──ヴェルザ・イル=ノクト。
名を持つ者の始祖にして、
陰界の統一者。
あらゆる蟲たちの“名の起源”とされ、
“王(ルクス)”と呼ばれた唯一の存在。
だが、今となっては、その名を口にする者は少ない。
なぜなら彼は、“裏切り者”として記録されているからだ。
ヴェルザが統治していた時代。
陰界にはまだ“祠”も“議会”も存在しなかった。
名は“血”によってのみ継がれ、
「殻の紋章(モルフォ)」を持つ者こそが支配者だった。
殻に紋がある者は“上”に、
無紋の者は“下”に。
それが、世界の理とされていた。
「名とは、誕生とともに与えられる運命。
決して這い上がれるものではない」
──それが王ヴェルザの口癖だった。
その思想のもと、陰界は静かに秩序を保ち、
争いはほとんど起きなかった。
いや──表面上は、である。
名を持たぬ者たちは、
常に下層に追いやられ、
記録にすら残らぬ存在として扱われていた。
そんな中、ひとつの“異変”が起こる。
ある日、ヴェルザの宮殿に、一匹の蟲が現れた。
小さく、痩せ細り、
殻に傷だらけの“無名”の者。
だが、彼は言葉を話した。
「名など、血ではなく──“記憶”により刻まれるものだ」
ヴェルザはその言葉に激怒した。
「貴様如きが語るな。名もなき者は、名を語れぬ」
だが無名の蟲はひるまず、
王の前に跪き、こう言った。
「ならば、我に名を与えよ。
それを証明してみせる。
名は、語る者によって生まれると──」
その挑戦は、陰界中に衝撃を走らせた。
“王が無名に名を与える”など、前代未聞だったからだ。
だが、ヴェルザは宣言した。
「ならばよい。名を与えよう」
「汝の名は──“ナイト・クラシス”。
試練を越え、我が騎士となれ」
その日から、名を与えられた蟲は、王のもとで働くことになった。
誰もが疑った。
誰もが嘲笑った。
だが、“クラシス”は証明した。
名を持つことが、
誕生の特権ではなく、“意志”によって定義され得ることを。
そして……
その証明は、やがて王自身を壊していくこととなる。
ヴェルザの周囲には、
名を持たぬ者たちが静かに集まり始めた。
彼らはクラシスを“語りの導き手”と呼び、
やがて、「記憶派(レコルド)」という思想が芽吹いた。
──名は、記録され、語られ、継承される。
──血ではなく、物語こそが“名”を生む。
その思想は、ヴェルザの絶対王権を静かに蝕んでいった。
そして、ついに王は宣言する。
「クラシスよ──
貴様を“名の剥奪者”として追放する。
貴様の名は、今をもって取り消す!」
だが、クラシスは言った。
「ならば、王よ。
我が名を剥ぎ取るその舌を、
誰が“語る”というのだ?」
それは、王を殺す呪文だった。
“語られぬ王は、王ではない”
──そうして、ヴェルザの名は、徐々に陰界から消えていった。
記録から、語りから、
やがて伝承からも──
今、語られる“ヴェルザ”とは、
フェイン・ヴェルザが引き継いだ家名だけである。
だがその名がかつて、
“名を与えられた無名”によって倒されたということを、
知る者は少ない。
アモ・ブリオンが名を持ち、語りを継いだとき。
その影には──
この“堕ちた王”の姿が、静かに横たわっていた。
⸻
次回予告:第2話『クラシス、名を超えて』
王から名を与えられし蟲、クラシス。
だが彼の名は、やがて王の“記憶”を殺す毒となる。
“名”とは何か。
王とは何者か。
陰界の原罪が、いま暴かれる。
Coming soon…
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