第三話:記録は残る
その日、アモ・ブリオンは何も語らなかった。
祠に入り、いつものように鉄板の前に座ったが、
道具に触れることも、語りの試みもせず、
ただ一点を見つめていた。
「……スミス。おれは、名を持ちすぎたかもしれん」
その声は、かすれていた。
いつもの“語りの芯”ではない。
生きてきた者の、吐息に近い声。
スミス・スミスは頷くでもなく、工具箱をトントンと指で叩いた。
「名は、鋼より重い。そういうものだ」
アモは、いつもと違う“古い殻”を持ってきていた。
かつて、彼が最初に“語り”を始めたころの殻だ。
小さく、薄く、今の彼の力では到底収まりきらないほどの──
だが、彼はその殻を手でなぞっていた。
「ここに、最後の記録を込めたい」
スミス・スミスは少しだけ驚いたが、口には出さなかった。
アモ・ブリオンが、“語り”ではなく“記録”を望む日が来るとは──
鍛冶場に火はない。
だが、記憶が熱を持つ。
アモは、殻の内側に一文字ずつ刻むように、語り始めた。
「陰界には、名を失った蟲があふれていた。
俺はその声を、ひとつずつ拾い、語りにした」
「時に、俺自身がその名に喰われそうになった。
それでも、語ることをやめなかったのは──
そこに“生”があったからだ」
語りは続いた。
スミス・スミスは、ひとつひとつの音を記録し、
金属の反響と共に殻に封じ込めていった。
それは、生涯最後の語りだった。
「……語り部は、名を借り、名に生かされ、
そして名の影に沈む。
だが、おれは違う」
「名に喰われることなく──
名を、超える者でありたかった」
最後の一言が刻まれた瞬間、
鍛冶場の鉄板がわずかに軋んだ。
それは、同意の音だった。
アモは、その“古い殻”をスミス・スミスに託した。
「この殻は、もう語らん。
ただ、在る。
誰かがここに来て、触れる日があれば……
そのときに思い出してほしい。
“語り部がいた”と」
スミス・スミスは、殻を抱えて祠の奥、
鍛冶場の“底”にある黒い空洞へと歩いた。
そこには、これまでに記録された幾多の“殻”たちが眠っている。
名を持ち、語られ、そして沈黙した者たちの墓所。
アモ・ブリオンの殻も、そこに加わることとなった。
彼は工具箱を一つ叩いた。
「これが、おまえの“最終殻”だ。
名を超えた、おまえだけの証」
「俺の記録がある限り──
おまえは、消えねぇ」
アモは何も言わなかった。
ただ、静かに去っていった。
それ以降、祠に彼が姿を見せることはなかった。
だがスミス・スミスは知っている。
語り部とは、死んだら終わりではない。
“語りが残る限り、生き続ける”のだと。
今も、工具箱の隙間に、
アモ・ブリオンの声が微かに残っている。
語る声ではなく、
静かに、遠くを見つめるような──
記録の中でだけ響く、ひとつの名前。
“ブリオン”。
それは、ただの名ではない。
記憶を運び、魂を守り、
そして次の語り部へと“芯”を受け渡すもの。
スミス・スミスは、今も祠で記録を続けている。
誰かが名を探しに来たとき、
答えを渡すために。
殻を鍛えるために。
語りが絶えぬように。
──語り部は、
姿を消しても、生きている。
記録は、残る。
完
ココまで読んでくれて、ありがとう。
語り部が途絶えるなら、物語もまた、静かに眠る。
だが、語る者がいれば、名もなき者たちは、また動き出す。
──次なる章、更新を待て。
誰かが読んでくれている。
それだけで、続きを書く理由になります。
「スキ」やフォロー、チップなどで応援いただけたら嬉しいです。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします!
いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!