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第二話:名もなき夜の約束

陰界の片隅、まだ誰の記録にも残らぬ小径にて。
アモ・ブリオンは歩いていた。
名を得てからというもの、彼の足は妙に軽い。
だが、心は決して晴れていない。
それはまるで、忘れかけた痛みが、名を通して再び目覚めたかのようだった。

「……名とは、記憶の檻なのかもしれぬな」

闇は深く、風は冷たい。
だが、その中にまぎれて、ひとつの“音”がアモの耳を打った。

──カラン。

何かが、乾いた音を立てて転がった。

アモはその音の方へ向かって歩みを進める。
しばらくすると、そこにあったのは、
小さなビー玉だった。
表面にひびが入り、光界の光をほんのわずかに反射している。

「……これ、は……」

記憶が呼び起こされる。

──それは幼き日のこと。
まだ羽も殻も持たぬ頃、
排水孔に落とされる直前、あの子が握っていたもの。

「あげる。これね、“まもりの玉”なの」

その子は言った。
ビー玉をそっと置き、彼に微笑んだ。

「本当は、“アモス”って名前があるんだよ」

「おまえの名前、アモスってことでいい?」

アモは、その瞬間のぬくもりを、今でも忘れられずにいた。

「アモ……ス……。あの名は、あの時の……」

だがその後、あの子は遠くに引き剥がされた。
悲鳴とともに、光界の扉は閉ざされ、
彼は“陰”に沈んだ。

アモは震える前脚で、ビー玉をそっと抱いた。
まるで、それが今なお彼を守ってくれるものかのように。

「あの夜の約束、我は……忘れてなどいなかったのだな」

そのとき──

「忘れてなどいない者よ」

どこからか、声が響いた。
低く、太く、風のようであり、
それでいてどこか優しい響きを持つ声だった。

アモは構える。

「誰だ──出よ。我はアモ・ブリオン。名を持ちし者ぞ」

声は笑う。

「ならば、記せ。“名を持つ者”とは、かつて“約束を結んだ者”のこと」

闇の奥から現れたのは、
巨大なムカデのような影──
その身体には、古代文字のような模様が刻まれていた。

「我は“記録者(レコルダ)”。忘れられし契約を見届ける者。
貴様が名を得た瞬間、我の元にも“記録”が届いた」

アモは黙って聞いていた。

「……契約とは、あの子との?」

「否。“約束”とは、決して他者とのみ結ぶものにあらず。
真の契約は、自らの中に刻まれる。
おまえが名を名乗った瞬間、おまえ自身が“何者か”になると誓ったのだ」

「ならば問う。貴様は、何者となる?」

アモは、ビー玉を見つめた。
かつての約束。微笑み。光界の温もり。

──あの子に再び会いたい。
──あの時の“だめ”を、“いい”に変えたい。
──そして、名を超えた何者かになりたい。

彼の瞳が、静かに光った。

「我は、ただの羽持ちにあらず」
「アモ・ブリオン。“光と陰の間を歩む者”だ」

記録者は微笑んだ──ような気がした。

「ならば、進め。おまえの契約は、いま始まったばかりだ」

その声と共に、影は霧のように掻き消えた。
アモは、もう一度ビー玉を見つめ、静かに前へ進んだ。

誰かとの約束ではない。
これは、自分自身との約束だ。

そう、これは“名を持った蟲”が歩むべき、最初の道である。



次回予告:第三話『闇会議:第零次侵略計画』

陰界にひしめく名もなき者たち──
そのなかに、かつて「王」と呼ばれた影がいる。
アモ・ブリオンが出会うのは、破滅をもたらす狂騒か、
あるいは、同胞という名の絆か──

Coming soon…



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