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追いかけていたのは、恋じゃなく不安だった

今日もスナックゆきで、一杯だけ頼んだ。
今日はグレンフィディック15年にした。

口に入れた瞬間はやわらかい。
でも、そのあとに少しだけ厚みが残る。

甘さだけでは終わらない。
軽い酒ではないのに、するりと入る。

こういう酒を飲むと、
人の気持ちも少し似ているのかもしれないと思う。

好きな人がいると、
一日の終わり方が、その人次第になることがある。

返事が来れば、少し安心する。
来なければ、理由もなく落ち着かない。

会えると言われれば、急に機嫌がよくなる。
忙しいと言われるだけで、夜の色が変わる。

あれは、恋だったのだと思う。
でも、恋だけではなかった気もする。

今思うと、
好きな相手を見ていたというより、
相手の反応で揺れる自分ばかり見ていた夜があった。

嫌われたくない。
重いと思われたくない。
でも、できれば忘れられたくもない。

その気持ちが少しずつ大きくなると、
人は相手に合わせ始める。

予定を空ける。
返信の速さを気にする。
言いたいことより、機嫌を悪くしない言葉を選ぶ。

気づくと、
好きになった時の自分より、
少し薄い自分になっている。

それでもその時は、
「好きだから」と思っていた。

好きなんだから、これくらい当然だと。
相手を大事にしているだけだと。

でも本当は、
相手を追いかけていたのではなくて、
相手を失った時の不安を追いかけていたのかもしれない。

そう思う夜がある。

返事が遅いだけで、
こんなに気持ちが乱れるのはなぜだろう。

会えないだけで、
自分の価値まで下がった気がするのはなぜだろう。

あの苦しさの正体は、
恋の深さというより、
相手に預けすぎたものの重さだったのかもしれない。

私も昔、
返事ひとつで夜が長くなることがあった。

ただ好きなだけだと思っていた。
でも今は、
あれは少し違ったのだろうと思う。

好きな人がいることと、
その人に自分の機嫌を握らせることは、
たぶん別の話だ。

手放す、というと、
諦めることみたいに聞こえる。
でも、そうじゃないのかもしれない。

手放すのは相手ではなくて、
相手に預けすぎた自分の心なのだと思う。

返事が来なくても、夜を終えられること。
会えなくても、自分の予定を生きられること。
相手の温度ではなく、自分の呼吸に戻れること。

たぶん、それが少し大人になるということなのだろう。

グレンフィディック15年をもう一口飲んだ。

最初はやわらかい。
でも、あとから芯が残る。

好きという気持ちも、
きっとそうだ。

甘さだけなら、もっと楽だった。
でも、その奥に不安が混ざるから、
人はこんなにも苦しくなる。

今夜はまだ、
そこまできれいに切り分けられないけれど。

それでも、
好きな人に預けすぎたものを、
少しずつ自分の手元に戻す夜はあっていいのだと思う。

グラスが空いた。
今日はここまでにする。

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