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「一人で生きていく」と言って別れた彼女が、翌朝マッチングアプリで笑っていた。

男は便座で泣き。
女はアプリで笑う。そんな話だ。


今日もスナックゆきで、一杯だけ頼んだ。

ワイルドターキー101にした。
アルコール度数50.5度。

焦がしたオーク樽の力強い香りと、喉をカッと焼く無骨な酒だ。 円熟した大人の余裕など微塵もない。 ただ、胸の奥の女々しい感傷を強引に焼き払ってくれる、荒々しい熱さがある。

今日の相棒 ワイルドターキー101

男が振られる時は、いつだって突然だ。


結婚を考えていた私は、婚活パーティーに参加しては連戦連敗。「もう恋愛なんていいかな」と半ば諦めかけていたとき、マッチングアプリを通じて出会ったのが彼女だった。


プロフィールのやりとりが盛り上がっても、実際に会うと「なんか違ったな」で終わることも少なくない。


正直に言えば、彼女もそこまで期待していなかった一人だった。


彼女のプロフィール画像は、白い壁を背景にした白ニット姿。顔にはモザイクがかけられていた。 はっきりとは見えない。

けれど、そのぼんやりとした空気感と丁寧な文体に、どこか惹かれるものがあった。

プロフィール欄の一言。

「話が合う人と出会いたい。できればおしゃれな人と、、、」

この一文に少し気後れしながらも、私は「いいね」を返した。

やりとりは1日1通ペース。テンポは遅めだったが、彼女の独特な落ち着いた雰囲気が心地よくて、次第に「会ってみたい」と思うようになっていた。


そんなある日、彼女から「会いませんか?」とメッセージが届いた。


初めて会ったのは、品川のカフェだった。 しばらくして、ひとりの女性がふらっと入ってきた。

白のカットソーに、チャコールグレーのパンツ。

芸能人で言えば、白石麻衣似の清楚な女性がそこに立っていた。 ナチュラルなロングヘアが揺れるたびに、上品な香りが漂ってきそうな佇まい。


目が合う。軽く会釈をして、手でこちらを招いた。

会話は思いのほか弾んだ。

けれど、別れ際に駅のホームで連絡先を聞いた瞬間、彼女の表情がわずかに曇った。

「ごめんなさい……LINEは、今はまだ……」


ああ、やっぱりダメだったか。そう思いながらも、大人の余裕を装って「分かりました」と笑って見送った。

もう二度と連絡は来ないだろう。諦め半分でアプリを開くと、そこには彼女からのメッセージが届いていた。

「今日はとても楽しかったです。次は、映画を一緒に見に行きませんか?」

そこから、私たちの1年半が始まった。


付き合いが始まってからの1年半、私たちは大きな喧嘩もしなかった。


けれど今思えば、それは深い絆があったからではなく、私が「40代の完成された生活習慣」という分厚い殻に閉じこもっていたからだった。


平日の夜、彼女がもう少し一緒に居たそうにしていても、「明日の朝は仕事のルーティンがあるから」とスマートに駅まで見送る。


彼女が仕事の悩みを吐露したときも、感情を受け止める代わりに、広報マンらしく「それはこういう視点で整理すれば解決するよ」と正論で綺麗に片付けてしまう。


波風を立てず、大人の男としてエスコートしているつもりだった。 だが彼女にとっては、自分の人生に1ミリも踏み込ませてくれない、冷たい壁と向き合わされているようなものだったのだろう。


別れは、ある日の夕暮れ、公園のベンチで突然訪れた。


カフェでテイクアウトした温かいコーヒーを飲みながら他愛もない話をしていたとき、彼女がぽつりと切り出した。


「お互いもう大人だし、無理に生活を合わせるのに疲れちゃった。しばらくは誰とも付き合わず、自分の時間を大事に一人で生きていきたいの。」


頭を殴られたような衝撃だった。


必死で平静を装いながら、まずは彼女の言葉を受け止め、「でも、俺はまだ別れたくない」と伝えた。その場では彼女も小さく頷いてくれたように見えた。


だが、翌日の夜。 スマホの画面に届いたLINEの通知が、すべてを終わらせた。


「昨日はありがとう。でもやっぱり、気持ちは変わりません。佐久間さんと過ごした時間は感謝しています。お元気で。」


返信の言葉すら見つからなかった。


電車に乗って、揺られながら自宅のアパートへ帰った。 部屋の明かりをつけ、服を脱ぎ捨て、トイレの便座に腰を下ろした瞬間だった。

ブワッと、堰を切ったように涙が込み上げてきた。

お尻を丸出しにした、情けないウンチングスタイル。 声も出せずに、便座の上で肩を震わせて泣いた。

40代にもなって、恋人に捨てられ、便器の上で下半身を晒しながら涙を流している。 その救いようのない滑稽さと惨めさに、さらに涙が止まらなかった。


だが、本当の地獄はそこからだった。


翌朝、胸にぽっかり空いた巨大な穴をどうにか埋めたくて、私は震える指でマッチングアプリを再インストールしてしまったのだ。


「誰でもいいから、この惨めな空白を埋めてほしい」

「まだ自分には男としての価値があると思いたい」


昨夜あれほど泣いておきながら、朝になればもう別の誰かでプライドの傷を塞ごうとする浅ましさ。


「傷心の大人の男」を気取りながら、その実態はスマホを握りしめて次の出会いを探そうとしている、救いようのない愚かな中年男でしかなかった。


そして、検索画面を開いた瞬間、私の指が完全に凍りついた。


見覚えのある写真。 白い壁、白いニット。だが、今度はモザイクが外され、見たこともない満面の笑みを浮かべた彼女がそこにいた。


ログイン状態を示すマークは、鮮やかな緑色。「オンライン」。

そして、自己紹介の欄には、こう書き添えられていた。


《お互いの価値観を尊重しながら、ちゃんと言葉で話し合える人と出会いたいです✨》


景色がグラリと揺れた。 部屋の床が抜け落ちて、足が地面についていないような感覚に襲われた。


「しばらくは誰とも付き合わず、一人で生きていきたい」


あの言葉は、私を傷つけずに体よく追い払うための、最も耳触りの良い嘘だったのだ。


彼女は恋愛に疲れたのではない。ただ、私という男との時間に疲れ、見切りをつけただけだった。


怒りと屈辱がこみ上げかけた瞬間、強烈なブーメランが自分自身の胸に突き刺さった。

そもそも、なぜ私は彼女を見つけることができたのか?


答えはあまりにも残酷だ。

私自身が、別れた翌朝にそそくさとアプリを開き、新しい女を探そうとしていたからに他ならない。


彼女の薄情さを責める資格なんて、1ミリもなかった。

私たちはただ、互いにスマホの画面越しに都合のいい誰かを求め、都合のいい嘘で別れを告げ、また別の画面へと逃げ込もうとしていただけなのだ。


「あんた、なんでそれを見つけられたわけ?」

グラスを傾けながら愚痴をこぼす私を見て、カウンターの向こうで氷を鳴らしながら、ゆきママが鋭く見透かすように言った。

「……え?」

「昨日別れたばっかりの彼女がアプリにいたってことは、あんた自身も朝から鼻息荒くアプリ開いてたってことでしょ。傷ついた悲劇の主人公ぶってんじゃないわよ。やってることは同じ穴のムジナじゃない。」


ママの言葉が、アルコール度数50度を超えるバーボンよりも深く喉を焼いた。

ぐうの音も出ない。その通りだった。


デジタルの世界はあまりに軽薄だ。 プロフィールを書き換えれば過去は消去できるし、ブロックボタンひとつで人間関係そのものを「最初から存在しなかったこと」にできる。

そして自分もまた、そのお手軽なデジタルの光にすがりつき、自分の寂しさを安っぽく誤魔化そうとしていた。

ワンタップで修正できるデジタルの嘘に、もう振り回されるのはやめだ。

手軽な画面の世界で誰かの言葉の裏を勘繰り、被害者面をして自分を慰めるのも、今日で終わりにしよう。

どれだけ格好悪くても、どれだけ惨めでも、一度インクで刷ってしまったら二度と取り消せない「紙の言葉」を刻みつけよう。

トイレの便座でお尻を出して泣いた夜も。 翌朝に未練と下心でアプリを開いてしまった自分の卑しさも。 画面越しに元カノの笑顔を見つけて足元が崩れた瞬間も。 すべてをそのまま抱きしめて、逃げ場のない1冊の本にする。


それが、私がこの無様な40代の敗者復活戦を生き抜くための、唯一の戦い方なのだから。

グラスが空いた。
今日はここまでにする。


【今夜の1杯】ワイルドターキー 101(バーボン・ウイスキー)
アルコール度数50.5度の強烈なアタックと、焦がしたオーク樽の濃厚なバニラ香。 便座の上で流した情けない涙も、女々しい未練も、自分自身の卑しい下心すらも、喉元から一気に焼き払って強制的に目を覚まさせるための、容赦のない一杯。

【今夜のカウンターの独り言】
「別れのショック、あなたはすぐに切り替えられる派ですか? それとも便座で泣く派ですか?」

【スナックゆき 自主出版プロジェクト】
・目標:フォロワー1,000人達成で自費印刷
・現在のフォロワー:763人 / 1,000人(あと237人)


型落ちの40代が泥をすする姿を、もう少し見てみたいと思ってくれたなら、スキやフォローで「カウンターの席」を確保してもらえると嬉しいです。

はじめてスナックゆきに 来てくれた方へ。
私がどんな人間で、
なぜこのエッセイを書いているのか。
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