とても良かった✨孤高だけれど孤独ではない、「蝋燭の画家」高島野十郎さんの企画展
高島野十郎さん
この方を知らなかった💦
何かのきっかけで、展覧会を知った。


月ではなく闇を描きたかった。
闇を描くために月を描いたのです。
これを読んで、暗い画風なのかなと行くのを少し迷っていた。
でも、昨日千葉市美術館で、この高島野十郎の展覧会を見た方が、
『私はおすすめ、とても良かった』とおっしゃるので行ってきた。
結果、本当に良かった!
期間中もう一度行きたいくらい✨
孤高だが孤独ではない画家
高島野十郎
野十郎と40年近く交流のあった日本芸術院会員の洋画家・天内田茂主(1913-94)は野十郎についてこう書いている。「人間ぎらいは相変わらずで、結婚もせずこのアトリエに一人住み、晴れれば畑で働き、降れば絵を描くという毎日であった」。前章で見たように、初期の頃は黒牛会での活動など画家同士の交流はあるものの、その後は大内田を除くと画家との交わりはほとんどなく、画家の視点からは「人間ぎらい」ともいえる生活であった。
しかし野十郎は人を遠ざけていたわけではない。彼は魅力ある人物であったようで、野十郎の絵を愛し、素朴で気骨ある生き方に共感する人たちが数多くいた。親子三代にわたって交流が続いた人もいるほどである。この人たちが、画壇では無名の野十郎の絵を大切に守り、そして一人暮らしゆえに不明の多い野十郎の生活ぶりや考え方などを伝えてくれている。野十郎は「孤高の画家」であったかもしれないが、「孤独の人」ではなかった。
この章では、野十郎に魅せられた人たちが守ってきた作品とともに、その人の眼で捉えられた野十郎の生身の姿を紹介する。

この絵は第1章に展示されていたがとても明るく好きな絵だった。
何本ものケシの花が、列して立ち並んで描かれている。花を支えるすべての細い茎に輪郭線がはっきりと施されているため茎の縦方向が強調され、まるでケシの花が上へと伸び上がろうとしているかのような不思議な印象を与える。
個展で発表されたときには右隅に黄色い花が描かれていたが、のちにそれが消されてケシが加筆されている。妖艶なケシの姿をより明確にするため、余計な黄色を退場させたのかもしれない。
『孤高の画家』像を見直している今回の展覧会。
没後30年の展覧会では、『孤高の画家』としてクローズアップされたが、今回の没後50年では、焦点の当て方が変わっている。
彼の画業が世に初めて知らされたのは、彼の死後約10年を経た昭和61年(1986年)だそうだ。
明治23年(1890年)に、福岡県久留米市の酒造家に生まれ、東京帝国大学(今の東大)を首席で卒業!したのに、周囲の期待に反して画家の道を選んだ、そういう人である。


なんというかきっちりしている
学者っぽい

『世の画壇と全く無縁になる事が小生の研究と精進です』という画家の言葉が、孤高の画家のイメージを強化していった。
生涯独身で都内の渋谷、青山で多くを過ごすも、70歳を過ぎて千葉県柏市の田園のなかに水道も電気もない小さなアトリエを建て晴耕雨描といえる生活を始め、昭和50年(1975年)85歳で亡くなった。
後に載せる『蝋燭』シリーズからは、画家が心を通わせた親しい友人や知人の存在を知ることができる。(親しい人々に贈ったのが《蝋燭》シリーズの絵である)
戦後期・柏時代
展覧会最初のコーナー。

高野野十郎の作品としては、最大級の作品で新宿御苑を題材にしている。

東京都世田谷区にある
豪徳寺の仏殿を描いた作品



この最初の展示で、『来て良かったなあ』と思う。
このような方が亡くなってから画業が評価されるとは。
蝋燭の画家
蝋燭の絵は、サムホールというサイズで描かれている。
(※22.7cm x 15.8cm の日本独特の企画で、「号数」とは異なる、特別なサイズ)

現存する「蝋燭」の中の最古の作品
「蝋燭の画家」と呼ばれる野十郎を象徴するモチーフであり、現存する「蝋燭」の中では最古の作品である。この時期の他の作品と同様、とくに炎の描き方には、うねりながら天へ向かって上昇するという雰囲気が顕著に現れている。暗い色調の中に浮かび上がるかのように描かれたゆらめく炎。周囲の陽炎が強調されることで、光と闇の対比がドラマティックに表現されている。
今回の展覧会では何回かに分けて、蝋燭の絵が展示されていた。
蝋燭の絵は、売ることはなく、交流のある人たちに贈ることがあり、故に個人蔵の作品が多かった。
タイトルは全て《蝋燭》


今日の気分




写真不可のものもあり、全部は撮影できなかったが、1枚1枚色調や背景、炎の明るさや揺らぎが異なる。
描きためてあげたのか、
相手を思って描いたのか、
額は誰が選んだのか、
気になる。
静物を描いた作品
斜めなのはなるべく映り込みをなんとかしようとした結果。
今回の展覧会はかなり作品に背後が映り込み、それが残念だった。




落ち着いた色調の作品たち。
心が静まる感覚。
花を描いた作品

画集の表紙となっている絵
「蝋燭」や「月」と並んで、野十郎芸術を象徴する主題である。本作はヨーロッパからの帰国後、野十郎が久留米の実家の庭に建てた「椿柑竹工房」で生まれたもので、現存するカラスウリの作品では最も古い。中心線を決め、画面の上部から紡錘形に広がりながら垂れ下がる構図がとられることで、絶妙な安定感がもたらされている。一方で、動きのある筆致を用いながら描かれたカラスウリの赤い実や蔓は、妖艶な美しさをそなえている。

心がパッと明るくなるような明るい花の絵。


拡大してしまったが壺の手前に
小さな翡翠が一つ置かれている


さくらんぼが好きだそうで
花瓶の下に描かれている

タイトルはひまわりではなく、空。
雲ひとつない晴天に咲く大輪のヒマワリが捉えられているが、本作の裏面に、「空」という本作のタイトルに続けて、「色不異空 空不異色色即是空 空即是色」という般若心経の一節が野十郎自身によって記されている。夏に生命の盛りを迎えるヒマワリの最も美しい姿を描きながらも、いずれ季節が巡れば滅びゆくといった無常観や生命の循環といった仏教的な意味を託そうとしたのかもしれない。

赤や白、桃色、橙などの絢爛豪華なキクの花は、ほぼすべて手前を向いているだけでなく、絵のどの細部にも焦点が合っているせいか、我々が逆に花々から見つめられているようだ。花瓶の前に真珠が一粒、意味ありげに置かれているが、これにより我々は絵の細部を観察し始める契機を得る。「花一つを、砂一粒を人間と同物に見る事、神と見る事」と野十郎は述べているが、死せる自然としての静物画にもこぼれんばかりの生命を与えている。

こちらは手前に真珠が一粒

色使いが鮮やか。


福岡県立中学明善校在学時に手掛けたと考えられる本作では、画面の手前に蓮華の花や葉を大きく丁寧に描き、靄のかかった遠景に、仏塔とおぼしきものをシルエットで描いている。いささか稚拙な筆致でありながらも、現実世界と非現実世界のあわいのような風景が展開されている。
「発中の選」という言葉もあるとおり、仏教では蓮華は悟りの象徴とされてきた。初期の頃から彼が仏教に強い関心をもっていたことを鮮明に伝える作品である。




最初のけしとは違う暗い色調
画家と大学時代から長らく懇意にしていた農学者・香川冬夫氏の旧蔵作品

ゴッホの影響を受けている
分かりやすい

野十郎にしては珍しい百合。

ユリもヴァイオリンも、野十郎の他の作品にはない非常に珍しいモチーフであり、物語的な含意を読み解きたくなるロマンティックな作品である。茶褐色のほの暗い調のなか、まるでスポットライトが当たっているかのような白いユリの花の凛とした美しさが印象的である。野十郎は音楽にも深い関心をもっていたが、単なるモチーフとしてヴァイオリンを選んだのではなく、弦やf字孔、弓など、楽器としての構造を正確に理解していることがわかる。
果物の作品

野十郎はサクランボを好んでたびたび描いた。
いずれも桃色を基調とした色彩の中に、みずみずしい赤い実を描く、非常に愛らしい作晶である。しかしながら本作をよく見ると、一番手前に置かれたサクランボはすでに黒っぽい色に変色して、腐りかかっている。絵の一番目立つ場所を選んで、腐った果実を置いているのも個然ではないであろう。命の盛りの行きつく先を描くことで、生の輝きを際立たせる。ここにも野十郎の仏教的な思想が垣間見える。






題材ごとに載せてきたが、月や風景と神社仏閣、人物もあったのだが、映り込みがあって上手く撮れなかったから諦めた。
それらの作品も「らしさ」が滲み出ていた気がする。
かなりの作品数があったけれど、常に気持ちが落ち着いてザワザワしない絵だなあと思った。
晴耕雨読ならぬ晴耕雨描を実践していた高島野十郎の精神性が絵に出ている気がした。
ただ自画像からは、ものすごい力を感じた。
(自画像も複数あったが、ある自画像の解説によれば強靭な自我と精神性が表れているようだ、とある。)
ショップ
画集が大きく重たくて迷ったが買うことにした。



菜の花の黄色と迷ったが水色の桜をチョイス
絵葉書は明るい花のものを11枚購入。
友達に早速出したいと思う。



福岡、大阪もまわるし、愛知、栃木、東京開催もあるらしい。
以下のリンクに開催期間と場所の掲載があった。
足を運べる方にはおすすめしたいと思う展覧会だった。
(長くなってしまった。お読みくださりありがとうございました🙏)
(追記)
バーチャル美術館があったのでリンクを追記する。
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