見出し画像

アンドリュー・ワイエス展@東京都美術館

6月、2回目の美術館は、
上野にある東京都美術館。

上野駅前の吊り鉢のお花
東京都美術館へ
スターバックスの植え込みの草花を見ながら美術館へ向かう
東京都美術館
開館100周年
曇り予報なのに青空が出てきていた
東京都美術館
到着
ロッカーに荷物を預けて
この雰囲気好き
1975(昭和50)年9月に竣工
モダニズムの巨匠
前川國男

敷地条件は、風致地区の15mの高さ制限や公園法の関係で、この建物の建築面積は旧館以下にしなければなりません。しかし、旧館の延床面積(17,000㎡)の倍近い面積(31,000㎡)を確保することが求められ、必然的に総面積の約60%近くを地下に設けざるを得ませんでした。

https://www.tobikan.jp/outline/architecture2.html

こういう制約があっての建物なのだが好きな美術館である。

アンドリュー・ワイエス

展覧会の最後にあった
アンドリュー・ワイエスの写真


ちなみに若き日の
アンドリュー・ワイエス
https://wyeth2026.jp/

この自画像、単眼鏡でも鑑賞したが洋服などもとても細かく描写されていて緻密だった。

アンドリュー・ワイエス(1917~2009)
1917年7月12日、アンドリュー・ワイエスは、高名な挿絵画家だったニューウェル・コンヴァース・ワイエス(N.C.ワイエス)の5番目の子としてペンシルヴェニア州チャッズ・フォードの自宅で生まれました。幼い時から父の手ほどきを受けて画家の道へ進み、1937年の個展では全作品が完売するなど、若くして頭角を現します。同時代の前衛的な芸術からは距離を置き、生涯にわたり故郷のペンシルヴェニア州と夏を過ごしたメイン州を拠点に身近な世界を精緻に描き続けました。ワイエスの作品には、アメリカ合衆国の土地やそこに刻まれた歴史、そしてそこに生きる人々の姿が描き出されており、アメリカ国内で高く評価されました。2007年にはブッシュ大統領から芸術勲章を授与されています。日本での人気も高く、1974年の初の回顧展以降、度々展覧会が開催されてきました。2009年1月16日に老衰のため亡くなりますが、アメリカの国民的な画家として今なお高い人気を誇っています。

https://wyeth2026.jp/

アンドリュー・ワイエスのことは知らなかった。少し前に画廊の女性に好きな画家を聞いたら、アンドリュー・ワイエスだと言われ、調べたら展覧会があることを知って見に行くことにした。だいぶ前から楽しみにしていた。
日本では大変人気のある画家だったそうだ。


西の方も10月からあべのハルカス美術館で見られるも思う。


アンドリュー・ワイエスの世界の感想

ワイエスは、故郷ペンシルヴェニア州とメイン州の風景を描き続け、アメリカの原風景を独自のリアリズムで定着させた「国民的画家」として、今なお敬愛を集めています。しかし、彼が描き出したのは単なる郷愁を誘う景色ではありません。ワイエスは孤独や生命の本質を凝視し続け、描いた画家でした。彼が
2009年に逝去してから17年のあいだ、私たちは世界的なパンデミックを経験し、また混迷を極める国際情勢や平和への脅威を目の当たりにしてきました。このような現代において、世を去った偉大な画家のまなざしは国境を越え、かつてない切実さをもって私たちの心に訴えかけてきます。
本展では、ワイエスの芸術を読み解くキーワードとして「境界」を掲げました。
その作品には、生と死、あるいは自己と他者を隔て、かつ繋ぐ象徴としての「窓」や「ドア」が繰り返し登場します。幼少期から独り自らの内面を育んだワイエスにとって、これらのモチーフは他者への怖や隔たりを伴う、画家自身の精神世界への入り口でした。「すべてのものは移り変わる」一父の死を契機に彼が抱いたこの視座は、描かれた情景の奥底にある「精神のリアリティ」を提示します。画家のまなざしを通じ、鑑賞者自らが内なる世界と対話する貴重な機会となれば幸いです。

展覧会 ごあいさつより抜粋

“境界“や“死生観“は、正直まだ分からなかった。もう少しその世界の入り口に立つのは作品に触れないと難しそう。

ワイエスの絵を通じてワイエスの内側を観察する展覧会になった気がする。

ごあいさつに書かれた
“鑑賞者である私の内側との対話“ではなく、ワイエスという人が絵にした世界を見ながら、ワイエスの内側を観察する時間だった。

作品について

前半は撮影ができなかった。

自宅の周囲の野原を散歩しているときに死んだカラスを発見したワイエスは、それをスタジオに持ち帰り、墨と水彩で細部まで丁寧に素描しました。そして再び野原に戻って今度は風景を写生しました。
実物を見ながら描いたように見えますが、実際には別々に描いたカラスと風景を組み合わせて制作されています。

《冬の野》の解説


https://omochi-art.com/wp/andrew-wyeth/#i-6


この制作方法が、ワイエスのことをよく知らないのに、彼らしいと思ってしまった。
理由は分からない。でも解説を見て、この制作方法が納得できた。
カラスが風景の中に“置かれた“感じがしていたから。

そしてあまり色のない世界がとても静かなのに、水彩になると動きを感じる(でもうるさくはない)、なんとも不思議なのだ。

水彩はモティーフから受けた印象や感情を、素早く描き留めるのに適しているとワイエス自身が語っているからだと思う。
ワイエスの感じた“その時のまま“が作品に滲み出ている。

一方でテンペラ画は、緻密なのに写真とは異なる独特の世界に見える。

うまく言えないが、ワイエスの作品だけを見ていたら、彼や彼を取り巻く現実の世界がとても静かに時間が流れているように感じる。
実際には、人が生きる現実があって、それなりに感情の起伏や明るさ暗さみたいなものがありそうだが、ワイエスの描く世界は、限りなく音がしなくて温度も湿度も低い。

そして人が描かれていなくても、人の気配を感じる作品があった。

ただ、全ての作品でそう感じたわけではなく、解説を読んで「そういう見方もあるのか」と思うものもあった。

テンペラという技法は、乾くと水に溶けなくなるため、油絵のように上から塗りつぶしての修正が困難で、計画的な制作が求められるそうだ。

ワイエスのテンペラの緻密な絵は、水彩とは違い、時間が堆積しているように見えた。

テンペラという技法で絵の具が重ねられていく過程にワイエスが作品に費やした時間や思いが堆積しているように感じた。

そしてテンペラで描かれた作品は、時間が止まっているように感じた。
洗濯物が風にそよいでいても、クリスティーナの髪が風に靡いていても。

クリスティーナの髪は習作の時点では靡いていない。
作品になった時に風に靡かせたのは何故だろう?
そして、単眼鏡でのぞいたら、首に刻まれた皺まで描かれていて、習作に戻ると習作にも皺はある。

クリスティーナ・オルソン
フライヤーから

この扉に腰掛けたクリスティーナをどのくらいスケッチしたのか分からないし、スケッチは別の場所で実際にクリスティーナがこの扉で思索していたかは分からないけれど、スケッチされながらは落ち着かないのでは?なんて思ったり。
この時の、というかこのクリスティーナは何を考えていたのか、もしくは何も考えていなかったのか、そしてほんの僅かに悲しさというか寂しさも感じたクリスティーナの内側が気になって仕方がない作品だった。

写真が撮れない作品たちの中でいいなと思うものもいくつかあったが、特に《雪の朝》と《オルソンの家》(水彩)が良かったのに絵葉書になくて残念だった。

《雪の朝》

https://www.reddit.com/r/museum/

この《雪の朝》は触れる複製画があり、よほど買おうかと思ったが踏みとどまった。

ワイエスの作品にしては、明るさもあって好きだなと思った《オルソンの家》

https://www.culture.city.taito.lg.jp/ja/reports/42046

秘密のモデル
ヘルガ・テストーフ


ワイエスは、病床にあった隣人のカール・カーナーのもとに看護に来ていたヘルガ・テストーフと知り合い、モデルとして描くようになりました。その作品群の存在は妻ベッツィにも秘され、1985年に<ヘルガ・シリーズ>として初めて公開されました。
ヘルガはモデルをしなくなった後も助手としてワイエスを支え続けました。

美術館解説より

1971年から1985年まで、互いの配偶者含め誰にも知られることなくワイエスは、240点もの作品を制作し、これがヘルガシリーズというらしい。

詳細は私には知る由もないが、
妻ベッツィは知っていたのではないか?という気もする。
(普通、気づくと思う・・・)
敏腕マネージャーでもあったそうだし、”芸術家としての夫”を複雑な気持ちも全くないわけではないと思うが、尊重したのではないか・・・と。
でもその人の内側はその人にしか分からない

68歳のとき、<ヘルガ・シリーズ>に終止符を打ち(このときヘルガ53歳)、妻に作品のことを打ち明けました。
これを見た妻がどう思ったのかはわかりませんが、公には冷静な態度で受け入れ、ワイエスや自分たち家族の名誉を守るために、「ヘルガはただのモデル」(2人とも肉体関係は否定している)だとして、このシリーズを大々的に発表し、1人のアメリカ人コレクターに一括売却しました。

https://omochi-art.com/wp/andrew-wyeth/#i-6

作品が陳腐なものであったなら、葬ることもしたかもしれないけれど、
妻ベッツィにしても<ヘルガ・シリーズ>を”なかったことにできなかった”のではないかなと感じている。

写真OKの作品


《ケネットの集会所》
《モデルの椅子》

この作品では、彼女(モデル)が休憩した椅子と服だけが描かれています。そのほうがアンという人物を表しているとワイエスが感じた結果、モデル不在の作品となりました。
(解説から抜粋)

この方が、モデルのアン・コールを表しているとは、どんな感じなんだろう?

《乗船の一行》
《花びら》
開かれた扉はワイエス夫妻の
寝室の窓だそうだ
《納屋の猫たち》
猫はいないが手前の猫の餌を置く小皿から猫の存在が分かる
《ゼラニウム》
クリスティーナがいる
奥の窓からは海が見える

この絵の習作もあったが、投稿不可。

オルソン家の終焉

メイン州クッシングにあるオルソン家に住む姉弟、クリスティーナとアルヴァロを約30年にわたり描き続けたワイエス。

《オルソン家の終焉》も習作がいくつかあったが、76番の習作も好きだった。

作品の絵は、小さくつばめが飛んでいて、これはクリスティーナなのかな?と思ったが解説には鳥のことは書かれていなかった。

https://www.culture.city.taito.lg.jp/ja/reports/42046


クリスティーナとアルヴァロが生きていたころと同様に、誰もいない家の煙突から二人の話声が聞こえてくるように感じられたワイエスは、心のなかに生きている彼らと交流を続けながらこの作品に取り組みました。習作と比べると、窓枠という境界をとりはらうことで、亡くなったオルソン姉弟と交流を続けている感覚が強められています。

作品解説より

今このオルソン・ハウスは2003年に国定歴史建造物に指定され、現在は多くの人々が訪れる場所として保存されているらしい。

今は亡きクリスティーナと弟のアルヴァロだが、当時の空気や住んでいた姉弟の暮らしは、ありきたりの言葉だけれどワイエスの作品の中で生きていて私たちが今も感じることができると思うと、すごいことだと思う。

姉弟の暮らした時間が消えず、作品たちの中に存在していることに心を動かされた。

そしてまだ言葉にならない“何か“が横たわっているのだけれど、私の内側からうまく取り出せない

再びワイエスに接続したときや時間の経過で取り出せることもあるから、今はそのまま置いておく。

ミュージアムショップ

絵葉書と展覧会のボールペンを購入した。
書きやすかった。
ボールペンは外出先でよく使うのにすぐ忘れてしまうから、リュックやバッグ毎に入れておくようにしている。


今回は5枚
なるべく減らした
最近供給過剰気味のため

韻松亭と鳩居堂

ランチは前もって予約していた韻松亭。

その後、銀座線で銀座に移動して、鳩居堂で住所のゴム印をオーダー。
こちらに戻ってきてからずっと気になっていた。
もういい加減”気になる”のが面倒なので買うことにした。

オーダーしたのは鈴
字体は変更した
出来上がりが楽しみ✨✨


アンドリュー・ワイエス展は、
私の内側の深いところまで届いた感じがして未だ余韻がある。

来週は、いろんな画家の企画展(カフェに集う芸術家@三菱一号館美術館)だから、楽に見られるかもしれない。

アンドリュー・ワイエス展は、7月5日(日)まで上野の東京都美術館で開催中。



いいなと思ったら応援しよう!

Snow❄️Yukihikari お読みいただき、ありがとうございます。 いいなと思ってくださったら、サポートいただけたら嬉しいです。 いただいたサポートは美術館巡りの活動費に使わせていただきます。