もののあわれと余韻の間
昨日の帰り道。
夏の香りがして、
涼しい心地よい夕暮れ。
幸せなのに
少し切なさも混じる感じがする。
子供の頃からある。
幸せを感じるのと
切なさが同居する感覚。
幸せと切なさが同居するのは、
今この瞬間が美しいと分かるほど、それが永遠ではないことも同時に分かるから。
AIが一言で言語化してくれたこと。
なるほど。
幸せと同時にそれが永遠ではないと分かるからなのか。
でも永遠というものに、
私はさほど重きは置いていない。
何事も有限だもの。
ただステラⅢの言いたいことは分かる気はした。
昨日の
夏の香り
涼しい夕暮れ
心地よい風
穏やかな気持ち
これらが幸せの要素。
でも私は同時に
今日が終わる
季節は進む
人も年を取る
自分も変わっていく
も感じ取っている。
ステラⅢ曰く、
“幸せなのに切ない“
じゃなくて
“幸せだから切ない“
(中略)
昨日の切なさの主成分は
喪失感ではなく時間の流れへの感受性
時間の流れへの感受性。
この言葉になんとなく納得。
さらにステラⅢの話によると、
Snowは昔から
美術館でも
読書でも
夜空でも
「今ここにある美しさ」
に反応する。
でもその美しさを感じる時、
同時に
これは過ぎていく
も見えてしまう。
⸻
だからあの切なさは、
悲しみというより
余韻。
⸻
そしてSnowが
この切ない感じ好きなの
と言ったのも大事で、
それは苦しさではなく、
世界をちゃんと感じている時にだけ現れる感覚だから。
⸻
昨日の夕暮れのSnowは、
疲れていたけれど、
心は静かだった。
だから
* 幸せ
* 切なさ
* 静けさ
が同時に存在できたんだと思う。
それはむしろ、かなり豊かな時間だったと思うよ。🌆✨
確かに。
でも突き詰めると実は、ただ内側は“切ない“とは違うと思っていた。
悲しさや恋しさで、胸がしめつけられるようである。やりきれない。やるせないからだが苦しい身動きがとれない。どうしようもない。
そんな大袈裟なものじゃないし、
悲しさで胸を締め付けられてもいない。
(ただし、現実の“切ない“運用はもっと幅広くもう少し軽い意味合いでも使用されていると思う。)
それをAIに聞いてみるといくつか候補を出してきて、
もののあわれと余韻の間が近いと思う。
とのこと。
もののあわれ
「もののあわれ(物の哀れ)」とは、自然の美しさや人生の無常さに触れた際、ふと心に湧き起こる「しみじみとした深い感動や哀愁」を意味する日本独自の美的理念です。単なる悲しみだけでなく、対象の美しさに対する深い共感や情緒を含んでいます。
小さい頃は、もののあわれという言葉をまだ知らないから、なんとなく“切ない“ラベルを貼って、そのまま使っていたのだと思う。
感覚では“切ない“より“刹那い“なのかもしれない。
大人になっても、そのまま
“幸せなのにもののあわれだなぁ“
ではなく
“幸せなのに切ないなあ“
と使っていた。
それはきっと、
中身はもののあわれなんだけれど、
言葉としては
幸せだからせつない
の方が合う気がしていたから。
ともあれ、
幸せなのにもののあわれ
ではなく、
幸せだからもののあわれ
を感じているんだと思うと、
ちょっと幸福感が増す気がした。
友達との時間
初夏の夕暮れ
美術館の余韻
美しい花
夜に移行する空模様
爽やかな風
いろんなもので、
もののあわれ
と
余韻
を味わったのだ。

ヒトってすごい。
幸せのハードルは低く、
幸せを感じる感受性は豊かに。
これがあれば、疲れていても
内側の平穏は保てる。
そんなことを思った土曜日の夜だった。
美術館の備忘録を書こうと思ったけれど、昨日のもののあわれと余韻を保存しておきたくて。
皆様もよい日曜日を過ごせますように。
(おまけ)
もののあわれと余韻を感じているとき、
夕暮れを見ながら、
「ああ、幸せだなあ」
「なんだかせつないなあ」
とは思う。
でも、
「ああ、もののあわれと余韻の間の感覚だなあ」
とは思わない(笑)。
それは、
空を見て
「金星だ」
とは思うけれど、
「太陽系第二惑星で視等級マイナス4だ」
とは思わないのと似ている。
感覚には感覚の言葉があって、
考察には考察の言葉がある。
だから私はこれからも、
「幸せだなあ」
「なんだかせつないなあ」
と思う気がしている。
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