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モーリス・ユトリロ展@SOMPO美術館


7,000文字を超えてしまった。
文庫本だと7〜14ページ分らしい。
写真をさらりと眺めて、最後今からの美術展に興味があるものを見ていただけたら・・・と。
ユトリロについて興味がある方は、なるべく公?の解説を引用したので読んでいただければ。

SOMPO美術館

新宿に来るのは、最近SOMPO美術館に来る時くらい。

SOMPO美術館は、1987年に約53億円で落札した、かの有名な『ひまわり』を所蔵していて、毎回展覧会の最後に鑑賞することができる。

久しぶりの新宿は、西改札辺りは工事で本当にゴミゴミしていた。

新宿のエルタワーから地下で行くのがいいと思う
見えてきたSOMPO美術館


モーリス・ユトリロ展

作品リスト:🔗

美術展ナビ:🔗 

20世紀初頭のパリの街並みを描いたことで知られる風景画家モーリス・ユトリロ(1883–1955)は、生まれ育ったモンマルトルや暮らした郊外の風景を数多くの油彩画に残しました。画家としての歩みには、母シュザンヌ・ヴァラドン(1865–1938)をはじめとする家族との複雑な関係や、幼少期からのアルコール依存といった要素が絡み合い、独自の世界観を築き上げています。波乱に満ちた人生を送りながらも、20世紀前半の美術界を席巻したこのエコール・ド・パリの画家は、とりわけ日本において現在もなお根強い人気を誇っています。
 本展は、フランス国立近代美術館(ポンピドゥセンター)の協力のもと、同館所蔵の《モンマニーの屋根》(1906–07年頃)や《ラパン・アジル》(1910年)を含む作品約70点と、アーカイヴを管理するユトリロ協会から提供された資料を通して、その全貌に迫ります。アルコール依存症の治療の一環として絵筆をとった「モンマニー時代」、さまざまな素材を用いて白壁の詩情を描き出した「白の時代」、そして鮮やかな色彩を駆使した「色彩の時代」をたどりながら、ユトリロが確立した唯一無二の様式と、彼が愛した風景の詩情を感じていただける展覧会です。

12月14日(日)まで

ロッカーは無料で100円をいちいち入れなくていいのが便利。

ユトリロだけをしっかり見たのは初めてで、とても満足な展覧会だった。

展覧会は3部構成(モンマニー時代、白の時代、色彩の時代)となっている。

ユトリロという人

1883年12月26日、モーリス・ユトリロは、パリ・モンマルトルのポトー通り3番地で画家シュザンヌ・ヴァラドン(1865-1938)の私生児として誕生した。
7歳の時、ヴァラドンの恋人でカタルーニャ出身の画家、批評家ミゲル・ウトリリョ(1862-1934)に認知され、以降その姓をとって「モーリス・ユトリロ」と名乗ることになる。母の影響で幼少期からアルコール依存症を発症し、1901年、18歳のとき、初めてサン=タンヌ精神病院でアルコール依存症の治療を受ける。
その際、主治医は神経の過剰な興奮のはけ口として絵画制作を奨励した。
ユトリロ自身は絵を描くことに興味を持っていなかったが、母は彼に絵画を強制する。ユトリロはすぐに才能を示し、精力的に作品を制作した。

第1章の解説より

画家シュザンヌ・ヴァラドンの私生児として生まれ、7歳のときにスペイン出身の画家・批評家ミゲル・ウトリリョ(ユトリロ)に認知されてその姓を名乗るようになります。中学校卒業後はさまざまな職を転々とするなかでアルコール依存症が悪化し、その療養の一環として絵画制作を始めました。ピサロやシスレーの影響を受けて厚塗りの画面を志向したのち(「モンマニー時代」)、1909年頃からパリの街の白壁を独自のマチエールで表現し、アカデミックな絵画とは一線を画す作風を確立します(「白の時代」)。その独創的な表現や半ば抽象化された画面空間により、エコール・ド・パリのなかでも特異な存在として高く評価されます。晩年は鮮やかな色彩を使用した素朴な作品を多く残しました(「色彩の時代」)。本年はユトリロの没後70年にあたります。

https://www.sompo-museum.org/exhibitions/2024/mauriceutrillo/
SOMPO美術館展覧会サイト「作者について」より

子供なのにアルコール依存症。
なかなかヘビーな生い立ち。


生きているうちに評価されるというのは画家としては幸せだとは思うけれど本人はどうだったのか。

ユトリロの配偶者はリュシー。
彼より15歳年下で、詩人・作家としても活動していた。
ユトリロが51歳の時に結婚。(親の勧め)

二人の関係は「深い愛情と共依存的な絆」があったとも言われている。
リュシーはユトリロの名声を守るために積極的に活動し、彼の作品を広める役割も果たしていた。

常に母親の存在があって、彼の自由意思はあったのかなと考えてしまう。
ただ画集の解説によれば、ユトリロは母を深く愛していて、
母も息子を案じ、「両者はそれぞれの美的世界を分かちながらも、芸術という運命において結ばれていた」らしい。

ユトリロの母シュザンヌ・ヴァラドンは、エリック・サティとも恋愛関係にあったそうだが、最終的にはサティの友人の実業家と結婚し、サティは身を引いたそうだ。

ルノワールのモデルもしていて画集の人物相関図には「モデル・恋愛関係?」と記載があった。
ユトリロの父がルノワールではないかという話もあったけれど双方これは否定している。

この方の記事がよくまとまっている気がする。
生い立ちとか母を含めた人物相関図に興味がある方は見てみてください。
母シュザンヌから男性に伸びる線が多すぎ・・・。

参考:モーリス・ユトリロと、その母シュザンヌ・ヴァラドン

第1章 モンマニー時代


ユトリロの絵画様式は一般的に「モンマニー時代」、「白の時代」、「色彩の時代」の3つに分類される。本章で紹介する「モンマニー時代」は、1905年頃、当時時親族の家があったパリ近郊の町モンマニーとパリを往復していた時期からはじまる。当時のユトリロは印象派の画家、特にシスレーとピサロの影響のもとにあった。モチーフとして選ばれたのは主に画家にとって身近な風景であり、モンマニーとモンマルトルという小高い丘から眺めた風景を、屋根の連なりや周囲の植生とともに、帯状に積層する構図で描いた。
黄土色、緑色、黄色、青色などの明るい色彩を細かい筆触で積み重ねる作品群は、この時期にのみ見られる特徴を示しており、その後の「白の時代」で見られる自由な線と直線・色面からなる画面とは異なっている。
後に世界の絵画市場を席巻することになるユトリロには時まだ画商はついておらず、酒の飲み代を稼ぐ為、作品を買ってくれる身近な人々に安価に売るのみであった。彼は何よりも純粋に、生きる為に絵を描いていたのである。

展覧会解説より抜粋

“純粋に、生きる為に絵を描いていた"

飲み代を稼ぐ為というのもなんだか切ないが、何かに病んでいるからなのか、突き抜けるような明るさとはあまり縁がないのかな、と単純に思う。

ただ第3章の『色彩の時代』を見ると、その印象も少しだけ払拭できた気がする。

以下、時折額が傾いているけれど、撮り直す&修正する気力なくお許しを。

《モンマニーの3本の通り》
1908年頃
《パンソンの丘、モンマニー》
1908年
《モンマルトルの
サン=ピエール広場》
1908年頃
《モンマルトルのサン=ピエール広場から眺めたパリ》
1908年頃
《ヴィルタヌーズの城》
1908年〜1909年頃
《サン=メダール協会、パリ》
1908年〜1909年頃
《大聖堂、ランス》
1908年〜1909年頃
見に行ったなあ。
ワインを巡る旅で・・・懐かしい。
見にいけて本当によかった・・・・
スマホがない時代なのが・・・悲しいが
しっかり記憶は刻まれている。
私の中の記憶は、明るく晴れて、ステンドグラスが素晴らしく
静かな時間が流れていた
こんな暗いイメージは皆無
《サン=ドニ運河》1906年〜1908年
《パリ郊外ーサン=ドニ》1910年

ユトリロのイメージ。
落ち着いた(暗いとも言える)色調の絵。

総じて・・・やっぱり暗いなあという印象なのに静かな世界に引き込まれる。

次は、『白の時代』へ。


第2章 白の時代

1909年を前後して、ユトリロは白を基調とした独特なマチェールをもつ一連の絵画を制作しはじめた。一般に「白の時代」と呼ばれる様式の誕生である。
ニュアンスに富み、様々な表情に満ちた自亜の表現がその特徴であるが、ユトリロは通常の絵具に石膏や場合によっては鳥のフン、砂などを加えることで、画面にざらつきと重量感を与えた。それにより、古びた壁や路地にリアリティと幻想的な味わいが生まれる。単なる白ではなく、灰色がかった白、黄味がかった白など、そのニュアンスを使い分けている。こうして、歪んだ一点透視図法で描かれた街並みの中にリアルな絵具の質感がもたらされた。
絵葉書や写真をもとに描かれることの多かった作品は、人々が眼にする都市のイメージを絵画という媒体で反復するものではあった。しかし、こうした失われゆくパリの姿を描いたユトリロの作品は、大衆の心をつかむ。批評家や画商の支援を得て、1910年代前半のユトリロは次々に作品を制作してゆき、作品も次第に売れるようになる。経済的余裕を手にしたヴァラドン一家は、1913年にブルターニュ地方やコルシカ島へのヴァカンスに出かけ、ユトリロは旅先でも制作を続け、その画面は深化を遂げた。
しかしながら、順調な制作活動の一方で、ユトリロの健康状態は日ごとに悪化していく。1910年、1912年、1913年にはパリ近郊サノワ市の療養所に入り、主治医エトランジェの献身的で集中的な加療をうけ、その病状は一時的に回復した。しかし、1914年に第一次世界大戦が勃発すると、自ら志願した兵役検査が健康上の理由から不適合となった。落伍者の烙印を押されたように感じたユトリロは、酒癖をより悪化させてゆく。その結果として、全盛期である「白の時代」は、1915年を境に停滞していったが、その反面、画家としての名声は、高まっていくばかりであった。

展覧会解説より

ユトリロ全盛期『白の時代』


《マルカデ通り》1909年
実際の石畳の色はもう少し綺麗な緑味を帯びていて、
右の煉瓦色のとの対比も良くて好き
マルカデ通りはパリ18区に位置して中世の時代に
定期市(ラテン語でmarucadus)が開かれていたことに関連して名付けられた。(解説より)
《パリのサン=セヴラン教会》1910−1912年頃
解説にコンパスと定規を使って描いた、とあった。
確かに”きっちり”している・・・
《サン=ジャック=デュ=オ=パ教会、パリ》1910−1912年頃
《ベルト王妃のらせん階段の館、シャルトル》1909年頃
《モンモランシーの通り》1912年
気持ち明るい色調・・・な気がする

ラパン・アジル(ユトリロが生涯繰り返し描いたモチーフ)

ラパン・アジル=跳ねる、ウサギという意味。
パリ18区(モンマルトル)のソール通り22番地にあったキャバレーまたはシャンソニエ。

ここの絵が沢山展示されていた。

ユトリロが繰り返し描いたモンマルトルの象徴的なキャバレー《ラパン・アジル》を題材に、彼の制作方法や表現の変遷を探ります。異なる時期に描かれた複数の《ラパン・アジル》を比較することで、構図や色調、筆致、質感の違いが明らかになり、ユトリロがどのように風景と向き合い、再解釈を重ねていったのかが浮かび上がります。写生に基づいた忠実な再現から、記憶や感情を交えた詩的な表現へと至るプロセスをたどることで、ユトリロ特有の視点と絵画的思考に触れます。

https://artexhibition.jp/topics/news/20250709-AEJ2692838/

このキャバレー『ラパン・アジル』は、ユトリロが生涯において繰り返し描いたモチーフの1つであって、その数は300点を超えるとも言われている。
描かれた天候や季節の表現に変化はあるものの、絵はがきをもとに制作されたそうで、同じ構図になっている。

いろんなラパン・アジルの中で私が一番いいなと思った
《モンマルトルのラパン・アジル》1912年
友達も全部の中ならこれ1枚と言っていた
この1枚は3枚並べてあったラパン・アジルの真ん中
3枚の中ならこれかなあと友達と意見が一致
同じ場所のラパン・アジルが3枚のうち、
右2枚
左2枚

ラパン・アジルだけで300枚を超える絵を描いた。
ムーラン・ド・ラ・ガレットも350枚くらい描いたというから、それだけで700枚弱・・・すごい・・・。

再び他の「白の時代」

《緑の屋根の農家》1913年
《ブール=ラ=レーヌのスペイン皇女の館》1915年頃
中を見たいし、住んでみたい
こんな通りを歩きたい
《ピエイクロスの修道院、コルシカ》1914年
建物を平面的に構成しようとする試み。
ユトリロは母と近しい人たちと約半年コルシカ島に滞在した。
《廃墟の修道院》1912年
実際の修道院はもっと白くない(横に写真があり)
最初、廃墟とは思わなかった・・・
《「可愛い聖体拝受者」、トルシー=アン=ヴァロアの教会》1912年頃


教会を描いた作品も多かった。

何気なく友達に、
『どの教会の絵が好き?』と聞いたら、
『あまり教会が好きじゃなくて』と言っていた。
教会が好きとか嫌いとか、
考えたことがなかった。
単に絵のモチーフとして見ていたし、ヨーロッパ旅行も建築物として見ていた。

《教会、ヴィルタヌーズ》1912−1914年頃
《サン=ディディエの教会、ネイロン》1917−1918年頃
時刻は7時半前
朝?夜?
《郊外の教会》1920年
《ベル・ガブリエルの酒場、サン=ヴァンサン通り、モンマルトル》1916年頃
《サン=ジャン=オ=ボワの教会》1914年頃

いわゆるユトリロのイメージの絵が多かった。

第3章 色彩の時代

色彩の時代・・・
最初の方のこの1枚。
なんか、ちょっと危うい感じが漂っていた。
友達も「うん、なんか分かる・・・」と言ってくれて・・・
上手く言葉にできない。


ここからのゆとりの絵は、カラフルで、まるで今までの「白の時代」の反動のよう。

写真だと伝わらないけれど・・・
《モンマルトルのミミ=パンソンの家とサクレ=クール寺院、モン=スニ通り》1925年
《シャラント県、アングレム、サン=ピエール大聖堂》1935年
《アトリエ座》1926年
これは、水彩
《モンマルトルの眺め》1926年
《オーモン近郊の学校》1926年
実際の絵はもう少し暗く見えた
《郊外の教会》1921年頃
《ボワシエール・エコールの教会と通り》1935年頃
署名の最後の”V”は、母ヴァラドンの”V”
《聖トマス教会、モンマニー》1938-1940年頃
《ラパン・アジル、サン=ヴァンサン通り、モンマルトル》1927年
『白の時代』の暗いラパン・アジルは・・・どこへ・・・
《雪のサン=リュスティック通り、モンマルトル》1927年
《ビュイサントのノートルダム、礼拝堂、雪景色、ポミエ》1933年
《雪のヴェジネ、聖ポリーヌ教会》1938年
白いけれど確かに『白の時代』とは違う・・・
《モンマルトルのムーラン・ド・ラ・ガレット》1922年頃
生涯で350ほどムーラン・ド・ラ・ガレットを描いたらしい・・・

おまけ

最後の展示室に・・・東郷青児の作品が2点飾られていた。

ゴッホ『ひまわり』

最後は、ゴッホのひまわり。

7つあるうちの1つが日本にあって、こうして見られるのもありがたいし、SOMPO美術館所蔵のひまわりはなかなか綺麗だと思う。

以前、これと
ロンドンのナショナルギャラリーの
ひまわりを同時に見られる
展覧会に行った

おまけ

行きたい!
網走なら行けるのに、
私がそちらにいくのは11月後
半終わってる・・・!!残念🥹
これも行きたいけど、
時間がない🥹
インド更紗は再来週、ゴッホは12月に行けるかな

毎回思う。土曜日だけでは無理。
国民の教養を向上すべく、毎月教養の日という祝日を作ってくれないかしら。

ミュージアムショップ

絵葉書と画集を購入。

帰りの電車で読んでいた

絵葉書は友達に出す予定。

それから午後の朗読の友達に、ひまわりのクッキー缶を買った。

https://tabelog.com/
写真撮れず、検索した
食べログの写真を転載


中身は東京會舘のクッキー。

これも可愛い。

いやいや、
節約大好き界隈に住むためには、この手のものから買わないようにしないといけない。


ともあれ、モーリス・ユトリロ展はとても良かった。

暗くて、疲れている時に見たらどうかなと思ったけれど問題なく、むしろ静かに鑑賞して、心に波風が立たない絵が多かったと思う。

これから・・・

芸術の秋・・・
私が行こうと思っているものを掲載。
もし興味があるものがあれば・・・ぜひ。

10月


来週は、伝統工芸(つまみ細工・組紐)

日本の美しい手仕事(横浜:みなとみらい)

道明組紐作品展(銀座)

どちらも友達の関係のもの。楽しみ。

最終週は美容院なので行けない。元気があれば何か見に行きたい・・・。
今のところ、候補は東京ステーションギャラリー『インド更紗 世界をめぐる物語』が場所的に負担がないかな。

11月


芹沢銈介美術館(静岡)

オルセー美術館展(上野)

あとは北海道で何か見たい・・・。
候補はこれ・・・北海道近代美術館特別展】トーベとムーミン展
(11月24日なら行ける。月曜日だけど空いている)
もしくは・・・札幌芸術の森美術館の木版画

12月

戸栗美術館

東京都美術館(ゴッホ)

行けたら静嘉堂文庫招待券があるから行きたいが春の展示もいいかなと思案中)

年内は、これで終わり・・・。
全部予定通り行けると、2025年は全49回。
肺炎にならなかったら・・・50回は行けたのにな・・・。


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