犬も食わないケンカ
父と母はよくつまらないことでケンカした。
例えば父が写真を撮ると必ず自分の指まで被写体に入れてしまうのだがその度に母は眉を八の字にしてぷりぷり怒っていた。
そう言えば昭和45年の大阪万博に行く時も全部戸締まりしてから父がチケットを忘れていて、母に「ほんっとうにお父さんは!」と叱られていた。
あっこれはケンカじゃないか。
父が母に叱られたのだ。
ケンカですね。気を取り直して。
父も母も戦時中に子供時代を過ごしたので、よくどちらがよりひもじい思いをしたかでケンカしていた。子供の私から聞いてるとリアリティが沸かないし、「私なんか〇〇を食べていた!」「オレなんか〇〇を食べていた!」と言い合っているのを見てなんてくだらないことでケンカするんだろうと呆れてたけど、今思えば「ひもじい思い」をしたことのない私には二人の切実さがわかるわけもない。それだけ二人とも子供ながらに辛い思いをしたということだ。
戦争なんてするもんじゃない。
それはそれとして。
中でも印象に残ってるケンカがある。
それはテレビを囲んで兼高かおるの世界を旅する番組を見ていた時だ。アフリカのどこかだったと思う。生き生きとした人々の暮らしを身近に感じながら、子供ながらに私も興味深く見ていた。そのアフリカ人の中に一際朗らかに笑う若い女性がいた。父はその女性のことを「すてきな人だなぁ。」と褒めだした。画面の中でその女性が白い歯を見せてケラケラと屈託なく笑うと父もつられて涙を流しながら笑って「素敵な人だなぁ。」と繰り返していた。そしてトドメに言ったのだ。
「こんな人と結婚したいなぁ。」
私は別に変なことにも思わなかった。しかし母は違った。
「私は黒人の人とは結婚できない。」と母。さらに「本当に肌の黒い人と結婚できるの?」と父に詰め寄る。父は何も気づかないで「結婚できるよ。」という。母は私にも訊く。私も無邪気に「結婚できる!」という。そこで母がムキになって「私は肌の色の違う人となんて結婚できない。」とつよい言葉でいう。
もちろん母はあまりに父がその黒い肌の女性を褒めちぎるので、ヤキモチを焼いていたのだ。でもその時の私はともかく父もまったく気づく様子がなかった。そのケンカがどうやっておさまったの覚えてないが、今思うと母が意地らしい。
父のために言い添えておくと父も父で母一筋だったのだ。
それは子供の私自身が何もなくても肌身で感じていたし、後に母が病を得て痛感することになるのだが。
でも、その話で締めくくりたくないのでこの辺でやめておく。
ところで何故、母の日のすぐ翌月に父の日があるのだろう。調べればわかるのだろうが、何か取ってつけたようだ。それに、私的には花とかお供えとかの面でも、少し間が空いててくれたほうが助かるのだけどな。
オマケに父の命日が3月。母の命日が4月なので、忙しい。
今年の母の日はカーネーションの花3本と自分で作る元気がなかったので、市販の安いパウンドケーキをお供えにした。
なんか締まりのない終わり方だがこれでオシマイ。
