AI時代に必要な人材は、たぶんマケレレだ
高校のサッカー部で背番号を選ぶとき、僕は4番にした。
エースナンバーでも司令塔の番号でもない。クロード・マケレレの番号だ。サッカーをやっている友人には通じたが、それ以外の人間に「マケレレが好きで」と言うと、大体「誰?」で終わった。
そういう選手なのだ。
クロード・マケレレ。フランス出身の元サッカー選手で、2000年代初頭にレアル・マドリードに在籍していた。レアル・マドリードといえば、当時「銀河系軍団」と呼ばれていた。ジダン、フィーゴ、ロナウド、ベッカム。世界中からスーパースターを集めた、サッカー史上でも屈指の豪華チームだ。
マケレレは、その銀河系軍団の中盤の底にいた。ゴールを決めるわけでも、華麗なドリブルで観客を沸かせるわけでもない。彼の仕事は、ボールを奪い、スペースを埋め、スター達が攻撃に専念できるように守備のバランスを取ること。
地味だが、それを90分間、途切れることなく、やり続けた。
チームメイトは口々に「バロンドール(世界最優秀選手賞)はマケレレが受賞すべきだ」と言った。しかし、ペレス会長率いるフロントは、マケレレの年俸を上げなかった。ベッカムの5分の1だったという。彼の仕事は、フロントの目には映らなかった。
2003年、マケレレはチェルシーに移籍する。
その瞬間から、レアル・マドリードは崩壊した。
マケレレがいなくなった銀河系軍団は、攻守のバランスを完全に失い、タイトルから遠ざかった。彼がチームで何をしていたか、フロントは失ってから初めて理解した。
この話を、最近よく思い出す。
AI時代に必要な人材とは何か、という議論をよく目にする。コードが書ける人、プロンプトが上手い人、データを読める人。色々言われている。
僕は少し違うことを考えている。AI時代に本当に必要なのは、マケレレみたいな人間ではないだろうか。元日本代表監督のイビチャ・オシムは、マケレレのような選手を「水を運ぶ人」と呼んだ。ゴールを決める選手ばかりにスポットライトが当たるが、チームには地味だが絶対に欠かせない仕事をする選手が必要だ、と。
なぜそんなことを考えているのかというと、僕自身がずっと「水を運ぶ人」として働いてきたからだ。
大学を出て、最初の仕事は営業だった。とにかく売る力をつけたくて選んだ。超きつかったが、ただただ一生懸命だった。
その後、縁があって、急成長しているIT企業に転職した。組織の成長に体制が追いつかず、空白のポジションが次々に生まれる環境だった。結果、1年ごとに役割が変わった。営業、事業企画、Bizdev、プロダクト企画、マネジメント。毎年、名刺の肩書きが変わる。
その後、もう少し専門性のある肩書きがほしくなり、別の会社に移った。しかしそこでも、気づけば当初の役割を超えた「よくわからない仕事」を拾っていた。
そして現在の会社に来た。事業開発のポジションで入社したが、気づけばアライアンスの交渉、行政との連携、新規事業の立ち上げ支援と、役割は際限なく広がっていった。今は経営直下の遊撃隊のような立場に収まっている。社内外のあらゆる隙間に落ちた仕事を拾う係だ。
何社か渡り歩いて、ひとつだけ一貫していることがある。
どの組織でも、専門家たちの間に落ちた仕事や、誰も担い手がいないが今やらなければならない重要なプロジェクトが、自分のところに来る。
あるいは、来るのではなく、自分が拾いに行っている。
マケレレと同じように、僕もどの領域でも飛び抜けた専門性を持っていない(彼はあの「マケレレロール」の専門家だが、それは後から名前がついたもので、当時は誰にも定義できなかった)。
ただ、どの領域でもそれなりに動けはする。営業もやった、企画もやった、プロジェクト管理もやった、交渉ごともやった。ひとつひとつは専門家に及ばないが、それらを横断して「場を前に進める」ことだけは、わりと得意だと思っている。
「名前のない仕事」とはどういうものか、少し具体的に書く。
会社にとって重要なアライアンス案件があった。僕がその話を立ち上げ、骨格を作ったあとは、法務、事業、プロダクトと、それぞれの専門チームが動く段になっていた。ここからは各領域のプロの仕事だ。僕の出番は終わったはずだった。
ところが締結直前になって、先方との間で話がまとまらなくなった。各チームがそれぞれの論理で動いた結果、全体の方向にずれが生じていた。誰かが悪いわけではない。ただ、横を繋ぐ人間がいなかった。
会議室で、関係者全員の目がこちらを向いた。なんの専門性もない僕のところに、ボールが戻ってきた。
締結のデッドラインまであと3日。どう考えても間に合わない。でも、なんとかするしかない。
そこからやったことは、特別なことではない。高速で現状を言語化し、関係者全員の認識を揃え、得たいものと現状のズレを可視化し、最適な落としどころを探った。先方との商談をセットし直し、契約書のレビューを回し、PR準備の段取りまで、全部リードして前に進めた。ただの交通整理だ。でも、それを全体を見ながらやれる人間が他にいなかった。
なんとか間に合った。
この仕事は誰のKPIにも載っていないし、評価する枠組みがない。やって当たり前、やらなければ崩壊する。マケレレの仕事と同じ構造だ。
ここからは少しトーンが変わる。ここまで書いてきた「水を運ぶ人」の話に、もし共感してくれた人がいたなら、少しでも持ち帰れるものがあればいいと思って書く。
水を運ぶ人の仕事は、突き詰めると2つしかない。
ひとつは、専門家に適切な問いを立てること。アライアンス案件が迷走したとき、僕がやったのは法務に「ここは譲れない」と指示することではなかった。「先方が本当に気にしているのはこの1点だけだと思う。ここを通す建付けはないか」と聞いた。適切な問いさえ立てれば、専門家は自分で答えを見つける。逆に、問いが曖昧だと、どれだけ優秀な専門家でも見当違いの方向に走る。
もうひとつは、方向を握り続けること。専門家に任せたあとも、出てきたアウトプットがプロジェクトの目的とずれていないかだけは見続ける。細部は任せる。でも方向だけは絶対に離さない。あの案件で最後にボールが戻ってきたのは、方向を握っている人間が僕しかいなかったからだ。
この2つを支えているのは、結局のところ当事者意識と引き出しの多さだと思う。
当事者意識は、要するに一次情報に触れ続ける姿勢だ。現場で何が起きているか、関係者が何を感じているか、空気ごと掴んでいなければ、適切な問いは立てられない。マケレレが90分間走り続けられたのは、ピッチ上のすべてを自分ごととして見ていたからだろう。
引き出しは、もっと泥臭い話だ。ファイナンス、法律、システム設計、デザイン。どれも専門家レベルではない。ただ、プロジェクトの中で「これが要る」と思った瞬間に、全力で学ぶ。その繰り返しが引き出しになる。引き出しがなければ、専門家のアウトプットが正しいかどうかすら判断できない。レビューが形骸化する。
そしてもうひとつ、環境の話がある。余白だ。
水を運ぶ仕事は、誰のKPIにも載らない。「交通整理をしました」とは書けない。だから、短期的な評価を追いかけていると、この動き方は続かない。僕自身、「これだけやっているのに」と思った時期もあった。ただ、振り返ると、短期評価を追った時期より、目の前のボールを拾い続けた時期の方が、結果的にキャリアが前に進んでいた。
だからこそ、稼働の80%で十分な成果を出す立ち回りを意識している。残りの20%は「何が来ても動ける余白」だ。遊んでいるのではない。水を運ぶための余力だ。安宅和人さんの『イシューからはじめよ』の言葉を借りれば、イシュー度の高い仕事、本当に解くべき重要な問題は、計画的にアサインされない。ある日突然、発生する。そのとき余力がなければ、飛び込めない。マケレレが90分間、あのポジションを維持できたのも、無駄に走らなかったからだ。走るべき瞬間を見極めていたからだ。
ここで、冒頭のAI時代の話に戻る。
ここまで整理してきた「水を運ぶ人」の動き方——専門家に問いを立てて動かし、方向性をレビューする——を読み返して、気づいた人もいるかもしれない。
これ、生成AIに対してやっていることと、まったく同じ構造なのだ。
AIは、個々の専門知を底上げする技術だ。コーディングも、法務の知識も、デザインのたたき台も、文章の下書きも、AIを使えば一定の水準には誰でも到達できるようになる。つまり、個別の専門性の高さだけで差がつくゲームの構造が、変わりつつある。
専門性の差が縮まるほど、専門性とは別の能力——誰のタスクでもない仕事を拾う力、専門家を繋ぐ力、場を前に進める力——の希少性が、相対的に上がる。
AIが専門知を民主化するほど、「水を運ぶ人」の価値は上がるのではないか。
そしてもうひとつ。水を運ぶ人がAIを使いこなしたとき、何が起きるかを考えてみてほしい。
プロジェクトの方向をぶらさず、必要な専門知をAIに問い合わせ、出てきたアウトプットを目的に照らしてレビューし、前に進める。人間の専門家にお願いしていたことの一部を、AIエージェントに置き換えられる。問いを立てる力とレビューの目があれば、AIは最高の専門家チームになる。
最近、ある提案案件を一人で初動から回したときのことを書く。
商談が終わった瞬間に、AIに議事録を整理させ、タスクとネクストアクションを抽出する。先方の温度感、言葉の端々に出ていたニュアンス、前回からの変化。そういう「行間」を自分の言葉で補足して渡す。AIはそれを踏まえて、次のアポイントの候補文面まで出してくる。
社内に持ち帰ったら、提案の方向性を固めるための企画書をAIと壁打ちしながら30分で作り、関係部署とのMTG用ドキュメントに仕立てる。合意が取れたら、社外向けの提案資料の叩きをAIに出させ、契約周りの論点整理も並行で走らせる。デザインのモックが要ると判断すれば、それもAIに作らせる。簡易的なプロトタイプが刺さりそうなら、それも作る。
以前なら、この工程のそれぞれに別の専門家の稼働が必要だった。企画は企画、法務は法務、デザインはデザイナー。調整だけで1〜2週間はかかっていた。今は、初動の8割を一人で回せる。
ただし、これは「AIが優秀だから」ではない。AIにただ「提案資料を作って」と言っても、使い物にならないものが出てくるだけだ。目的は何か、相手は誰か、制約は何か、ここまでの経緯でどんな温度感があるか。それを正確に、かつ簡潔に言語化して渡せるかどうか。結局これは、人間の専門家にお願いするときとまったく同じスキルだ。
適切な問いを立てて動かし、出てきたものをレビューする。水を運ぶ人の動き方そのものだ。相手が人間かAIかが変わっただけで、やっていることは何も変わっていない。
つまり、水を運ぶ人の「場を前に進める」能力は、AIによって何倍にもレバレッジがかかる。専門性が高い人がAIで効率化するのとは、質的に違う変化だ。交通整理ができる人間がAIという新しい専門家チームを手に入れた、という方が近い。
もちろん、これは僕のポジショントークかもしれない。突き抜けた専門性を持てなかった人間が、自分の存在意義を正当化するために、都合のいい時代の解釈をしているだけかもしれない。その可能性は否定しない。
ただ、マケレレの話だけは事実だ。スター揃いのチームから地味な黒子を放出した瞬間に、銀河系軍団は崩壊した。
そして、もうひとつ事実がある。
レアルを去ったマケレレを迎え入れたチェルシーは、当時30歳の彼に多額の移籍金を払い、相応の待遇で迎えた。監督のラニエリは、マケレレを「チームのバッテリーになる男」と評した。スターではなく、バッテリー。電源。チームを動かす根幹。結果、チェルシーはプレミアリーグ連覇を達成し、黄金時代を築いた。
レアルのフロントには見えなかった価値が、チェルシーには見えていた。
振り返れば、僕自身にも似たような転機があった。キャリアのある時期から、目に見えて年収という形でも評価をもらえるようになっていった。やっていることは変わらない。名前のない仕事を拾い続けているだけだ。ただ、それを「価値」として見てくれる人が、周りに増えた。
水を運ぶ人の価値は、普遍的に認められるわけではない。見る人が見なければ、わからない。だからこそ、自分が成果を出せる場所、そしてその成果を正しく評価してくれる場所に身を置くことが大事なのだと思う。マケレレがチェルシーに移ったように。これからも、そうありたい。
大学を卒業するとき、何かのプロフェッショナルになるのだと思っていた。弁護士か、コンサルタントか、あるいは何かの「専門家」。名前を言えば誰もが知っている、華のある仕事をする人間。
現実は、だいぶ違うところに来た。
「何をする人なんですか?」と聞かれると、いまだにうまく答えられない。水を運ぶ人です、と言っても、たぶん伝わらない。
ただ、この問いに対して「わからない」のまま走り続けてきた結果、自分としてはそれなりに面白い場所にいる実感を持てている。それは確かだし、それだけでいいようにも思う。
マケレレの「マケレレロール」は、彼がレアルで走り続けていた当時、名前がなかった。誰にも定義できなかった。それが後から「マケレレロール」と呼ばれるようになり、今ではサッカーの戦術用語として定着している。名前は、後からついた。
最近、似たようなことが自分にも起きている。「あの動き方ができる人がもう一人ほしい」「2号が必要だ」と言われることが増えた。自分の名前が、ひとつの役割の代名詞になり始めている。10年前には想像もしなかったことだ。
専門性は、最初から持っているものではなかった。泥臭く当事者意識を持って立ち回り続けた結果、自分にしか出せない価値が、後から見えてきた。マケレレの「マケレレロール」がそうだったように。
もし何かひとつ始めるなら、引き出しを増やすことだと思う。仕事の中でわからないことが出てきたら、そのまま流さずに調べる。それだけでいい。点と点がつながる瞬間は、必ず来る。
当事者意識については、正直うまく言えない。ただ、自分の仕事に真剣になるということは、自分のキャリアに真剣になるということであり、突き詰めれば自分の人生に真剣になるということだと思う。そのくらいしか言えない。
簡単な道ではない。泥臭い立ち回りも、日々たゆまぬ学習も必要だ。それでも、もし今「自分には専門性がない」と悩んでいるなら。あるいは、キャリアの途中で「今から専門性を身につけるのは遅いのではないか」と感じているなら。こんな生き方もある、とだけ伝えたい。
余談だが、マケレレはレアル・マドリード在籍中の公式戦145試合で、わずか2得点しか挙げていない。
フランス代表では通算71キャップで0得点。ゼロだ。
ゴールという、サッカーにおいて最もわかりやすい成果指標において、マケレレの貢献はゼロである。それでもチームメイト全員が「彼が最高の選手だった」と言った。
僕はこのエピソードが、どうしようもなく好きだ。
高校で選んだ背番号4番は、20年経った今でも、僕の番号だと思っている。
