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koukichi_t
僕が消えたあと
ふと考える。
もし僕が死んだら、この「僕」はどこへ行くのだろう、と。
心臓が止まり、脳が沈黙した瞬間、
昨日まで迷っていた言葉も、
言い出せなかった本音も、
胸の奥で折りたたんでいた弱さも、
すべてが同時に止まる。
その時も、世界はきっと何事もなかったように朝を迎える。
電車は走り、誰かがコーヒーをこぼし、
僕の知らない場所で恋が始まり、そして終わる。
ああ、そうなんだ。
僕が消えても、世界は何も変わらず続く。
そう思った瞬間、胸が少しだけ軽くなった。
ただ、完全に消えるわけじゃない。
僕が何気なく残した言葉が、
誰かの選択の端に引っかかっているかもしれない。
笑いながら否定した価値観が、
誰かの中で静かに肯定されているかもしれない。
僕はもう考えない。
でも、考え方は残る。
僕はもう感じない。
でも、感じさせてしまったものは残る。
人格とは、
生きている間に自分が纏っていた輪郭で、
死んだあとには、他人の中に散らばる欠片なのだ。
ある日、誰かがふと立ち止まり、
理由もなく切なくなったとき。
その感情のどこかに、
かつて「僕」と呼ばれていたものが
混じっているかもしれない。
それだけでいい。
消えることよりも、
世界に何も触れずに終わることのほうが、
ずっと怖かったのだから。
だから今日も、
僕は言葉を残す。
迷いをさらし、
不完全なまま、生きる。
いつか僕が消えたあと、
誰かの中で、
ほんの一瞬だけ揺れるために。
それが、
僕という人格の、
いちばん静かな生存方法だ。
