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三十三の一 ①

《はじめに》
・本作中には某地における三十数年前の児童相談所・所員等が登場します。これは当該施設の現況とは著しく異なるものであり、作中に見られるような福祉スキルの極めて薄い職員が配属された「児相」は現存しません。
・今後、当該施設と関わりを持たれるおそれのある方は、利用上の混乱や不安惹起を避けるため、以降の記事を購読されないよう御留意願います。
・本作に「料金に見合った価値」はありません。予め御承知おきの上、百円以上の何かを失う覚悟でお読みください。

 卯 月

児童相談所ジソウって、どんな施設か御存知ですか?」
 平成五年度入庁式、県民生活部長室で辞令交付。赴任先へ向かう車内で、迎えに来てた次長おばさんが優しく俺に問いかける。
「いえ全然。恐縮ですが初耳です。」
「そのほうが幸せですよ。素晴らしい御家庭で、御両親に感謝ですね。」
 流石は福祉、慈愛に満ちた嫌味だね。長居は無用。新採部署は人事異動が早いらしいし、どのみち長くて三年か。
 一般事務職採用だから、一般の事務の仕事をするんでしょ。資格も技能も夢もねえ、庶務だ経理だ窓口でしょ。
 履歴書も論文試験も面接も、福祉のフの字も児童のジの字も言ってねえのに、最初の職場がジソウかよ。どのみち長くて三年か。

 擦り傷だらけの色褪せた後部座席で車内を物色。チャイルドロックが公用車両に必要か? 行政資産も原資は血税、不要装備は省くべし。
「配属は、一時保護課になりますね。」
 何ですか一時保護って。何でもいいけど。
「理系の大卒なんですね。どんな研究してたんですか?」
 困ります。やらずに逃げて逃げ切った勉強のこと聞かれても。
「電子システム学科の自動制御システム研究室で、UNIXにおける対話型CADシステムの開発を。」
「まぁ。何だか専門的ですね。ジドウ‥‥なんとかシステム。」
「はぁ。」
「‥‥‥」
 沈黙システム。 話題変えます? 車内で俺が泣き出す前に。

「児相の男性職員は、宿直があるって聞きましたけど。」
 辞令交付の会場で聞いた話を再確認。職場に泊まって何をする? 金融機関じゃあるまいし。 ‥あ、裏金の隠し金庫を守るため?
「所長以外は十日に一度、宿直当番なんですよ。でも心配は要りません、みんな可愛い天使ですから。」
 所長以外は可愛い天使? 何だそれ。
「最近安定してますが、それでも保護所は大変ですよ。」
 安定? 保護所? 意味不明。何を保護して安定するの?
 会話の途切れた信号待ちで、去年の夏からクリーニングも出してねえ俺の就活スーツを眺めつつ、次長が一言。
「明日からジャージで出勤してください。背広だと動きにくいし、保護所にいると汚れるし。お持ちですよね、ジャージ。」
 は? 自分の耳と次長の口を疑った。
 庶務だ経理で汚れる職場? 常時ジャージの一般事務? 何だそれ。

 児相へ到着。通用口の扉を抜けて「ここから保護所」のフダが掛かった扉の前をスルーして、まずは事務所で御挨拶。
「よかったわぁ、今年は若い男性で。」
 退職間際の保母さんが笑顔で俺を迎えてくれる。
 若い男性? どこが? 流石は福祉、見た目は不問。
「やっぱり保護所の指導員は、若いオトコに限るわね。」
 指導員? 一般事務が何の指導をするですか。書類の書きかた? カラ出張と二重帳簿の作りかた? 余った予算の消化のしかた?
「一時保護課は課長と保母わたしと指導員。三人仲よくやりましょう。」
 だから指導員って何? 若い男性? なんの冗談?

「じゃあ早速、コドモに挨拶しましょうね。」
 誰のコドモ? 保母さんの? 所長の天使の?
 保母さんと共に「ここから保護所」の扉を開けて、未開の境地へ進まぬ足を踏み入れる。
 何だこれ。 出来損ないの幼稚園? 無認可の学童保育?
「ちょうど、おやつの時間です。一緒にどうぞ。」
 は〜、一般事務って勤務中「おやつの時間」があるですか。
 ここはロンパールームかよ。困ったちゃんだ。
 保母さんの後に続いて、一時保護所の食堂へ。

 鼻先に紫色の火花が散った。ヤクルトの吉井を狙うレーザーみたく鋭い視線が突き刺さる。裸眼で太陽見た時みたく網膜をうっすら炙り、涙腺の奥がじんわり焦げ臭い。
「ほらトモミ、挨拶しなさい。新しい指導員せんせいですよ。」
 火花の火種、中学二年の入所女児。どこから見ても、とても児童コドモと思えない、立派に大人の、いやそれ以上の、いやその。
「先生、よろしくお願いします。」
 トモミちゃんは表情一つ変えないで、よれたスーツで固まる俺にスーパーハードのワックスで鋭く固めた真っきんきんの頭を下げる。
 トモミちゃん、今のあいさつ漢字でしょう? シャッター街のシャッターだとか地下道とかの壁とかにスプレーとかで書いてある、例の漢字のアレでしょう? お食事中に恐縮です。こちらこそ、どうぞ夜露死苦。


 沈黙のまま、おやつの時間は過ぎていく。
 指導員? 新しい先生? 明日から毎日ジャージで勤務?
 これ、職場体験じゃなく「配属」だよね。辞令出てるし。
 え? 一般事務って何? どうぞ夜露死苦? 意味不明。
 俺の仕事は庶務だ経理だ窓口じゃなく、こいつの相手か?
「では明日から、このの指導をお願いします。」
 何をしろって? 福祉どころか教員免許も持ってねえ、ヤンキーの仲間どころか友達一人いやしねえ俺が明日から保護所でジャージ着て、とても児童コドモと思えねえこいつらに何をしろって?
「ほらトモミ、先生とお話しなさい。」
 保母さんの声に動じないトモミちゃんは黙々と、おやつの湿気た海老せんを一本つまんで又一本、シケモクみたく口へと運ぶ。海老せん三本ごとに一回、鋭い視線で火花を散らす。こっち見ないで。涙が出ちゃう。

 何を話せって? 室内に話題も酸素も見当たらない。こんな娘と一体何を話せって? 共通の話題? あるわけねえし。スーパーハードの尖った視線メンチに炙られて、苦し紛れの言葉をようやく絞り出す。

「‥‥どんな音楽、聴いてるの?」
 沈黙システム、制御不能。開発者を呼べ。俺か。もう無理。大学戻る?

(次章へ続く)