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読者は一人に限ること

僕の小説の「読者」は常に一人だけ。
誰が読んだか知らないが、どの小説も読者は一人。
名前も顔も知らないし、一生おそらく会うこともない。
でも読者数は確実に、どの小説も一人だけ。

もはや手紙か。いや、断然「手紙以上」だ。
知らない誰かに手紙を書いても、マトモに読まれる筈がない。
でも「応募」は違う。相手方の業務上、とにかく読まれる。
お互い知らない仲なのに、表紙から最後の行まできっちり読まれる。
一人の読者がきっちり読んでダメを出し、あとは誰にも読まれない。
これは実際、潔い。だから応募はやめられない。

応募作品のどこが「ダメ」だか、知ったところで意味はない。
どこがダメだか気づかずに書いてる自体、その作品はダメなのだ。
ダメと分かれば十分。それ以上ダメ作品を他の誰にも読まれたくない。
だから読者は一人でいい。ダメでも一人に完読された。それで十分。

最近は「読者が一人」を前提に、応募作品を書いている。
もはや手紙か。いや、手紙以上に効果も結果も確実だ。
運だの相性だのでなく、どの作品をどこに出しても読者は一人。
どこがダメだか気づかない作者は今日も書いている。
書き上がったらまた応募する。一次選考でまた落ちる。
何を書いても読者は一人。これは実際、潔い。

令和の読者は一人に限る。
読者が一人じゃ何を書いても炎上しないし、夜道で刺されることもない。
ミリオン作家は、そうは行かない。キナ臭い御時世で政権のオモチャにされるか、築地の裏でフクロにされて昇天するか。自分の言葉で多くの心を動かす力は、世が世となればAI以上に危険な「兵器」だ。
自分の言葉で動く心は、一つで十分。だから読者は一人でいい。

今日もまた、読者一人が読むためだけの応募作品を書いている。
願わくば、この作品のどこがダメだか一生知らずに過ごしたい。
炎上も殺害予告も政治利用も御勘弁。どこの誰かは存じませんが、今回も是非とも一次落選で、何卒よろしくお取り計らい願います。