【姉のこと|🍀今の視点】負の連鎖〜最初の被害者は姉だった〜
他人なら、ただ連絡を絶てばいい。
けれど、家族だからこそ切ることが
できない、重く錆びた鎖。
今回は、私の人生を狂わせた「姉」という存在について書きたいと思います。
家族の中での姉は、常に
「絶対的な信用」の中に置かれていました。
「お姉ちゃんなら、できるでしょ」
今振り返れば、この言葉こそが、
姉にかけられた最も残酷な呪い
だったのだと思います。
自営業の両親は忙しく、
よく家を留守にしていました。
私が覚えている最初の、そして
決定的な出来事は、両親が私たち
姉妹を置いて香港旅行へ行ったときのことです。
当時、姉は小学3年生、私は小学1年生、妹はまだ年中さんでした。
「じゃあ、お姉ちゃんお願いね。
お姉ちゃんならできるよね」
そう言って母が置いていったのは、
数万円が入った大人用の大きな財布でした。
コンビニなどなかった時代。
朝と昼は、買い置きされたものを
食べ、夜になると姉は私たちを
連れて近所の喫茶店へ行きました。
幼い妹たちの手を引き、大金が
入った財布を握りしめて歩く。
その時の、姉の張り詰めたような、
必死な顔を今でも鮮明に覚えています。
姉は、その年齢には到底そぐわない両親からの要求に、インターネットもない時代、たった一人で必死に
応え続けていました。
大人にならざるえなかった子供時代
後年、姉が私に言い放った
「次女のあんたは何もしていない」という言葉。
それは、この過酷な時期を一人で
背負わされた彼女なりの、
血を吐くような叫びだったのかもしれません。
姉が精神を病み始めた頃、
私は必死に本を読み漁りました。
両親の、姉の、そして何より私自身の
心がどうなっているのかを知りたかった。
そこで出会ったのが、
「インナーチャイルド」
「アダルトチルドレン」という
言葉でした。
拒食症になり、大学で倒れた姉を
母が迎えに行ったときのことです。
救護室のベッドで、死にそうな顔を
した姉が母に頼みました。
「お母さん、手を握ってほしい」
しかし、母の返答はあまりに冷酷なものでした。
「私はそういうのはできないから」
そう言って、母は差し出された手を
拒絶したのです。
姉は後に、私にこう語りました。
お母さんは私に無理難題を
押し付けて、できて当たり前だと言って一度も褒めてはくれなかった。
死にそうな私の願いさえ、拒絶した。
お母さんからは、私の欲しいものはもらえない。
わかっているけれど‥でも、
どうしても諦められないの
姉の中の小さな女の子は、
今も、母の愛を求めて泣き続けています。
私たちは、
同じ毒親に育てられた被害者
けれど、その生存戦略は決定的に
違いました。
私は「自分が悪いんだ」と自分自身を傷つけ、
姉は「周りが悪いんだ」と人を
傷つけ、愛を試しながら生きる道を
選んだ。
お互いに、逃げ場のない絶望と
苦しみの中にいたことは理解できます。
姉もまた、歪んだ環境が生み出した被害者の一人なのでしょう。
けれど――。
だからといって、姉が私にしてきた数々の仕打ちが、間違いではないと言い切ることはできません。
ただ一つ、
今なら言えることがあります。
この両親のもとに生まれ、
この姉と生きてきた日々が
なければ、今の私は存在しません。
消えてしまいたくなるほど苦しく、
地獄のような道でした。
何度も、何度も死を考えました。
けれど、その暗闇をくぐり抜けて、
私は今、ようやく自分の人生を自分の足で歩いています。
今の私でなければ、
今の子供達にも出会えていません。
私は、今の自分に満足しています。
あの錆びた鎖を外したからこそ、
私は私の幸せを、一歩ずつ踏みしめることができるようになりました。
-------------------------------------
私の過去の根っこにある
「元の家族」とのお話にお付き合い
いただき、ありがとうございました。
姉との鎖を切り、自分の人生を生きると決めたあの日。
それは、私にとって本当の意味での
「自立」の始まりでもありました。
次回からは、その決別のあとに待っていた「今の家族」との日々を綴っていこうと思います。
守るべき存在ができたからこ
その葛藤、そして向き合わなければ
ならなかった新たな試練。
今の私に繋がる大切な記録を、
時系列に沿って少しずつ綴っていきます。
マガジン追加していただきました。
はっぴーhappyさん
いつも見守ってくださり感謝します🍀
いいなと思ったら応援しよう!
最後までお読みいただきありがとうございます。
もしこの記事が少しでもお役に立てたり、心に響くものがあったりしたら、チップで応援いただけると嬉しいです。
いただいたご支援は、クリエイターとしての活動費に使わせていただきます