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4人のお父さん。その価値。

「じいちゃんは先に死ぬ。だからあんたはしっかりしなさいよ!」

物心ついた時にはすでに、祖父からそう言われていた。ことあるごとに。

祖父と私。

小さな頃は、聞けば教えてくれたけれど、小学生になると「辞書引きなさい」「じいちゃんなんでも知ってるわけじゃない、自分で調べて」と言われるようになった。

祖父は紳士服の仕立て職人。

職人の世界では、十聞いて十覚えるなんてスタンスではやっていけない。そもそも聞いた十を全部覚えられるわけないから。

十覚えるために百、調べたり先輩の動きを見たり、考えたりしないと身につかない。

そう言われた。


祖父はあまり怒らなかった。

かといって、迎合してくるタイプでもなく私含め孫に「かわいい」と言うところは聞いたことがない。ただ静かに見守っている感じ。

そんな祖父に、高校時代怒られたことがある。

怒られたというより、一言刺されたとでも言おうか。

部活ばかりだった私に

そのままでいいと思っているのか

この一言だけ。

母子家庭だから、国公立へ行かないと。
そのためにもっと勉強しないとダメじゃないか。このまま部活ばかりで受かるほど甘くはないんじゃないか。

そんな意味を一言だけで。


なぜ祖父が時々厳しい言葉をかけたのか。

それは、私に父がいなかったから(ちなみに余談だが、母にとっての祖父は「超甘いお父さん」だったらしい…)。


1歳で父とは死別。
気づけば母と、母の両親である祖父母との暮らしが当たり前だった。

「大変だったね」とよく言われたが、正直比較できないので大変さもほぼ感じず、まず悲しさもなかった。

悲しむ資格すらないくらいに、父の記憶はない。

けれどそんな私も、当時ほんの少し悲しかったのかもしれない。

お風呂でのこと。

存命中、お風呂は父の担当だった。

母の実家に戻ってからは祖父がその役を担うことになる。

私は大泣き。なだめてもすかしてもダメ。

入れ方が違ったのか、人が違うことに対してなのか。

まだ父が亡くなったことも死の概念も、何もわからない1歳の私は何を感じたのだろうか。




父の写真はほとんどない。唯一あるのは結婚式の写真くらい。

一方で生まれてから1歳まで、私の写真はたくさんある。

初めての子ども(結果的に一人っ子になったけれど)で父母は張り切ったのだろう。


お正月の帰省。祖母の手、私、母。撮影は父。


そして母と私のツーショットも何枚かあるが、父との写真はない。ゼロ!

過労による突然死だったので、まさか娘と自分との写真を1枚も撮らずこの世を去るとは…と、本人が一番びっくりしてるに違いない。


親戚には母よりも父に似ていると言われてきたので、もっと写真が残っていたらと思うことも。

結婚式の写真を見ても、遠い人のようで正直愛着が湧きにくいし。


母は精神的に本当に大変だっただろう。

けれど自分にとって「父が亡くなって大変、悲しい」という感情は今もよくわからない。

でも「いなかった」わけではないと、写真を見ると思う。

見えないけれど、確かに存在したから私がいるわけで。

結婚して、初めて直接「お父さん」と呼ぶ人ができた。夫の父だ。

私自身は父に対して全く思い入れがなかったが、義父母は「お父さんに挨拶したい」と岐阜の端っこから水戸の端っこのお墓までお参りに行ってくれた。

父とはそのくらい重要な存在なのかと改めて思わされた。


4人の父、最後は夫だ。

わが家の「お父さん」が誕生して10年余り。

娘が小さな頃は、娘と「お父さん」の関わりを見ながらどこか追体験していた気がする。

子どもたちにとって、父とはどんな存在なのか、これからどんな関係を築いていくのか、興味深々だ。

息子と「お父さん」。


私にとって「父とは何か」改めて考えてみる。

父の存在と不存在は、その後の私の人生を強制的に方向づけた。

祖父の「しっかりしなさいよ」は私を奮い立たせ支えてくれたと同時に、本来のマイペースで自由な部分を長く抑えこむ「呪縛」としても機能してきた。

父とは、存在の源であり、良くも悪くも死んでからもなお影響力を発揮し守る役割なのかも。


そこにあるのは「愛」なのかな。

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