ゆとりと詰め込みを行ったり来たりしている日本の教育はなぜ迷走するのか?
1990年に私が教員になった時、学習指導要領が改定されん、「ゆとり」というキーワードが1人歩きしました。
その後、学力低下が指摘され、再び覚える量が増えました。
そして、今「生きる力」をつけるための「アクティブラーニング」という言葉がクローズアップされています。
自分の教員としての信条は「心の根っこを育てる」です。
毎日の授業に奔走していた新卒3年目の時、自分は子どもたちに何をするべきなのかを考え抜いた末に導き出した結論でこれは教員生活33年目の今も変わりません。難しい話は別の方に譲るとして、子ども達が社会に出て幸せな人生を生きるための学びが果たして学校で行われているのか?
33年間の違和感をここで整理し、これからの時代を担う若い先生方の指針にでもなれば幸いです。
ファシリテーターとしての教員
私が新卒の時に教頭に言われた「これからはゆとり教育ですから、宿題で詰め込んだらダメなんです。」は違和感しか感じませんでした。
ゆとりとか知らんし。 自分が必要なら宿題を出す!そう思ってましたし、そうしてました。
やたらと「学習指導要領に則って・・」ということを言われるたびに、
「大丈夫?自分の頭で考えてる?」とかなり生意気なことを感じていました。
なぜなら、その教頭は学級担任もしていて、その経営がガチガチの「締め付けスタイル」に自分の目には映ったからです。(教頭から私は、あちこちが抜けている割に、頑固でプライドの高い先生に見えていたと思います。)
しかし、この考えは今も変わっていません。もちろん、新卒の時はよりは、学習指導要領は読み込んでその本質は掴んでいるつもりではいますが。
今は、やたらと「生きる力」とか「アクティブラーニング」とか言っているけど、昔も今も子どもたちが生き生きと学び、育つ学級の先生方は、マイナーチェンジでブラッシュアップしながらも、授業のやり方や子どもたちに求めていることは変わっていない。
子ども達が学びたくなるように仕向け、勝手に学んでいくように仕組んでいく。
その過程で子ども同士が学び高めあう。
ざっくりいうとファシリテーター的な存在。付かず離れず子ども達を見守りながら、子ども達が本気で学びあう環境を組織し、提供できる先生。
これが私が思う、子どもを伸ばす教師の変わらないスタイルです。
このような先生方は、人として何か惹きつけるものがあります。(それぞれの個性によってタイプは異なりますが)
また、思ったことはズバリと意見を言いますが、悪意がないのでさっぱりしていて、尾を引きません。そして謙虚です。
子どもを伸ばせない教師の共通点
私が違和感を感じる教師。
✅子ども達と接している時と親や他の先生(管理職)が見ている時の態度が違う。
✅やたらと偉そう。(この手の先生は若手や女性教員、用務員などにも尊大な態度を取ることが多い)
このような教師のもとで学んでいる子ども達の授業や休み時間の反応。(一見すると良さそうな先生の場合)
✅一見するときちんとしているように見えるが、目が死んでいる。(発言、反応が薄い)
✅一見授業は活発に見えるが、一部の子だけで成り立ち、あとはお客さん状態。
✅教室の雰囲気が温かくない。どこか探り合っている。本心を出さない。他人に無関心。そんな殺伐とした空気感がある。
そもそもダメそうな感じの先生の場合。
✅規律が崩壊
✅教室環境が乱雑。汚い。
✅私語が頻発。姿勢が悪い。
ダメそうな先生の担任は正直きついです。経験でなんとかなるなら、まだいいのですが、残念ながら、改善されない方が多い。
一見良さそうな先生は、経験によって多少体裁は整いますが、あくまでも体裁です。
子ども達は正直なので、時間が経てばメッキは剥がれます。
教育の変わらない目的は自分の人生を自分で切り拓き幸せに生きることができる子どもを育てること
時代によって求められることの変化はあるけれど、変わらないことは、
自分の人生を自分で切り開き幸せに生きること。そのための力をつける。
これが教育の根本だと思います。
そのためには自ら学んでいく姿勢を身に付けさせなければなりません。
ところが、肝心の教師が自ら学んでいないから、「言われたことを教えること」に腐心するのです。
学習指導要領が悪いのではなく、それを自分の腑に落とせない、未消化なままで子どもに向き合う教師が悪いと私は感じています。(ここでは、家庭や社会の要因は一旦置いておきます。話が長くなるので)少なくとも学校はそのような場でなければなりません。
夢を応援する者でありたい
また、私たち教員が自分基準に「子ども達の夢を摘み取るような存在」であってはいけません。
現場で多いのは、学力を基準に「お前には無理だ」と夢を諦めさせるドリームキラーの先生方です。
学校の先生には否定されたけど、立派な人生を歩まれている方は、有名無名を問わずたくさんいます。
特に植松電機の植松社長は、ご自身の小・中・高校時代の理不尽な経験から「この社会から無理という言葉をなくす」と教育事業にも力を入れておられます。
植松社長のお言葉を聞くたびに、子ども達の未来に触れている我々は、自分の狭い人生経験から、ドリームキラーになってはいけないと自戒を込めて思います。
夢を実現するためにどうすればいいのか?教員は人生の伴走者的な視点で支えてあげる存在であるべきだと私は考えます。
「甘い!」もっと現実を知らせるべきだ!
その考えには一理あります。しかし、それを決めるのは本人です。ささっと諦めるのか、粘るのかも含めて。
安易に自分の知っている幸せの基準を子ども達に刷り込んではいないか?
ここも自問したいところです。
私たち教員の日々の関わりは子ども達の未来に触れている
このことを肝に銘じていたら、「無理」なんて言葉は出てくる余地などない!
まとめ
❇️教育の大事なことは、今も昔も変わらない。
子ども達が自分の人生を自分で切り拓くこと。
❇️教育の迷走は教育の狙いを腑に落ちるまで落とし込めていない教師にある
❇️教師は子ども達の未来に触れていることを常に肝に銘じて接するべき
終わりに
本音を書きました。
「そういうお前はできているのか?」という反感も買いそうですが、そこは日々発展途上で、トライ&エラーで子ども達と共に学びの途中です。
学校だけではなく、人生は学び体験すること。それが生きることであるとも感じています。
私の思いが何らかの波紋となってあなたの心に届いたら嬉しいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました🙇♀️
素敵な出会いに感謝です💕
🌈soiの全ての記事はこちら🌈
🌈soiが学んでいるnote大学はこちら🌈
いいなと思ったら応援しよう!
サポートいただけたら大変励みになります!まだまだ未熟者ですが、このサポートを糧に成長し続けます。乞うご期待くださいませ💕私の渾身の過去記事もスキをいただけたら泣いて喜びあなたの記事にとびます😭
https://note.com/soisoiy/n/n78e56644bc41