死から見える生
最近コロナウィルスに関わって、当たり前のことがいかに有難いことであるかについて考えさせられる。と同時に最近、やたらと「死」について考える事が多い。
正確にいうと「死生観」というものだ。
命は有限であり、こうしてブログを書いている今も、刻一刻と死に向かって確実に近づいている。
こんな当たり前のことに普段思いを馳せた事があっただろうか。
コロナウィルスが猛威を振るい、日常生活が規制されることによって、否が応でも自分の在り方、身の振り方について考えてしまう。
学校現場ではコロナな対策によって、本当にやるべきことはなんなのかが、浮き彫りになった。
語弊を恐れずに言うなら
今まで、一生懸命やってきたこと結構無駄が多かった?と言うこと。
例年ならゴールデンウィーク迄、参観日、PTA総会、二者懇談等ゴールデンウィーク迄怒涛の日々が続続く。
しかし今回は軒並み延期に。
また、三密の関係で全校生徒が集まるのもNG。
なので、生徒総会は紙面での承認。
5月の修学旅行も7月に延期。
その結果、例年になくゆったりと新学期をスタートすることができる。
今まで教師も生徒も保護者も「ああ忙しい!」ってやってたあれはいったい何だったのか?
もちろん、先が見えない不安感もあるし、部活動にエネルギーを注いできた生徒や教師にとっては、すごいストレスになっていると思う。
かくいう私も教師生活31年をサッカーの指導に情熱を傾けてきた身として言わせてもらうと
かつての世界が夢が幻であったような不思議な感覚につつまれている。

定時に仕事を終え、こうしてのんびりと散歩ができる。
土日に部活動がなく時間を気にせず、朝寝坊ができる幸せ。
こんなにゆったりとした時間を生きている。
こんな世界を知る事ができた今、コロナが落ち着いたら前と同じ世界に戻るのだろうか。
私は戻らないと思う。
再びサッカーの指導が再会再会しても、何のためにサッカーをやるのか?(やりたいのか)
人生とサッカーの関わり、
自分にとってサッカーとは何なのか?
限りある人生の時間の中で、サッカーをやる意味をしっかりと問いたいと思う。
何のために生きているのか?限りある人生で自分がやると決めてきたこと(天命)ってなんだろ?
いや生きるというよりも
生かされされている私。
世間がえらいことになっている今、実は意外と幸せを感じている私。
教育を通じて、子供達の健全育成に寄与することが天命なのかはわからない。
でもお金を稼ぐために教員をやっているのではなく、好きなことをやってお金をもらっている感覚なので、天命なのかもしれない。
天命のハードル上げすぎて、「天命迷子」になりかかっていたけど、ゆっくりと自分を見つめる良い機会を得たように思う。
自分の寿命があと○○日だとしたらあなたは何をしますか?
特段これといってないなあ。
今はこの「ない」を受け止めたいと思う。
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