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#12 休職中の最悪な思い出と、嬉しかった恩師の言葉

私は、7人家族だった。
両親と私と、妹が4人。

私の家族は、とにかく変わっていた。
幼少期から「変わってる」と言われ続けた私が言うのもなんだが、明らかに、本当に、かなり、みんな変わっていた。

一般的な家庭とは明らかに違う。何もかもが世間とズレてる。
実家を離れて生活するようになってからは特に、それを痛感することになった。

親には人並みに厳しく育てられたし、ちゃんとしたしつけも受けてきた。そう思っていた。だが、それは大きな勘違いだったことに気づいた。

『ガチャ親』とか『毒親』なんていう表現は大嫌いだが、親は選べない。
最近になって私は気づいた。私にとって、父と母はまぎれもない『毒親』だったということに。

もし、普通の家庭に生まれて、普通の親に育てられて、ちゃんとしたしつけを受けていたら。
私の人生は、まったく違ったものになっていたのではないか。
そんなことを考えてしまうことがある。

父と母と私の3人には、共通点がある。

父は、明らかに発達障害の特性があった。
母には、父のようにわかりやすい特性は見られなかったが、吃音があった。そして鬱っぽい傾向が昔からあり、後に統合失調症と診断された。

そして、そのふたりから生まれたのが、私という最強のアスペルガー。
そう、3人ともに発達障害なのである。

あとの4人には、私が知る限りでは発達障害の特性は見られない。
だけどきっと、別の障害があるんだと私は思っている。

同じ親から生まれたはずなのに、なんか違う。まるで別の生き物のようだ。
血がつながっていると思いたくもないし、そう感じられなくなった。姉妹であるということが、もはや気持ち悪い。

私は、この妹たちが大っ嫌いだ。

もう一度言う。
大嫌いだ!!!

私は基本的に、女性が嫌いだ。
女の世界というものが嫌いだ。

その最たるものが、妹たちだ。
もしひとりでも男兄弟がいてくれたとしたら、私たち家族の関係性はかなり違ったものになっていただろうな。

念のため、誤解のないように言っておく。私は、すべての女性が嫌いだと言っているわけではない。
世の中にはいろんな人がいて、合う人もいれば合わない人もいる。というか、合わない人のほうが圧倒的に多い。だが、魅力的な女性もたくさん存在しているので、好きか嫌いかは当然、人による。

父も母も、もういない。
だから、もうあの4人と煩わしい付き合いをする必要も、もうない。

お父さん、お母さん、ごめんね。
5人が仲良くしてくれることを望んでたと思うけど、やっぱり私は無理。仲良くできんわ。

次女とは、意思の疎通が不可能なので話が通じない。
こいつは、基本的に人をなめくさっている。
人をおちょくったような言動が多く、まったく会話が成立しない。
まず、聞いたことに対して答えが返ってこない。話しているとイライラしてこっちがおかしくなるので、できるだけ接触しないよう距離を置いてきた。
仕切りたがりで、自ら世話を焼き、恩を売る。ポイントを押さえて自分を売り込むのが上手い。そういう計算だけ頭がまわる。
「気が利かなくて頼りない長女より私のほうがエライでしょ」と周りにアピールしまくっているようにしか私には見えない。

母の葬儀のときのエピソードがある。
私の友人がわざわざ遠方から駆けつけてくれた。妹たちとは初対面。次女はその友人に向かって手を差し出し、
「はい、香典(ちょうだい)」
と言ったという。

その話を聞いて、私は一瞬、耳を疑った。
アホだとは思っていたが、まさかここまでのドアホだとは思っていなかった。

友人は我慢しながらも、私を呼んでほしいと次女に頼んだそうだ。
しかし、一向に私を呼ぶ気配がなかったので、もう一度頼んだという。だが、それも無視されたとのこと。
しかもその後、次女とその旦那がふたりでいるところに居合わせたそうなのだが、その場でも無視されたという。

信じられへん・・・!!!

だから、友人が来てくれていたことに私が気づいたのは、出棺のときだった。次女は、なぜ私にそれを伝えなかったのか? 意味がわからない。

「お前の妹やから我慢したけど、男やったら殴り倒してるわ」と言っていた友人。そりゃそうだよな。いっそのこと、そうしてくれればよかったのに。
次女のあまりのアホさに、私は愕然とした。

それから8年後、父の葬儀のときには、次女は私にこんなことをぬかした。
「また勝手に来ないよね?」

私は心のなかで「は???」と思ったが、そのときは何も言い返さなかった。後になって「『勝手に』ってなんやねん!!!」と怒りの感情がグラグラと沸いてきた。こいつは、いったいどこまで無礼なやつなのだろう。

父の葬儀の場だったので、父の前で喧嘩をしたくなくて我慢したが、我慢しすぎたなと後悔している。

このように、次女は救いようのないおバカなのである。

三女は典型的な内弁慶タイプで、自分の思うようにいかないことがあると暴れる。
昔の私とタイプが若干似ているので、私が実家にいたころは衝突することが多かった。喧嘩もよくした。父が真剣に止めに入るくらいの、激しい取っ組み合いの喧嘩もしたことがある。

四女は大人しくて控えめなタイプ。
面倒見がよくて、家事の手伝いも進んでやるし、親の面倒もいちばんよく見てくれた。四人のなかではいちばんマトモかと思っていたが、どうやら次女の言いなりになっている様子。そのせいで、私への接し方がだんだんおかしくなっている。

五女は末っ子で甘やかされて育っているので、自由奔放。要領がよくて意外とズル賢いタイプ。こいつも、次女の犬のような存在であると思われる。
私とは親子ほど年齢が離れている。五女が生まれて私が実家を出るまで、私がずっと五女の面倒を見ていた。本人はそんなこと、まったく覚えてもないんだろうな。

4人のうち3人が、私の知らないうちに結婚(1人は再婚)しており、そのうち2人は子どもを産んでいた。
父と連絡をとるたびに、妹たちがどうしているのか話を聞いていたので、だいたいの状況は知っていた。だけど、本人たちからは何ひとつ知らせはなかった。だから当然、私は祝いなどもしていない。

妹たちは、私には大事な連絡を一切してこない。
連絡してくるときは、自分たちの都合のいいときだけだ。

父が他界したときも、連絡があったのは亡くなる前の晩だった。
本当なら、もっと早く連絡できたはずなのに。

義理の弟たちに初めて会ったのは、父が他界してから。
女ばかりの家庭で育ったもんだから、男兄弟に対する憧れはとても強い。なので、会えるのをちょっとだけ楽しみにしていた。
しかし、ほのかな期待はやはり見事に裏切られた。

自分から挨拶もしてこない。話しかけてもリアクションがない。愛想もへったくれもない。私の名前どころか、「お姉さん」とさえ呼ばれることもなかった。
五女の旦那に関しては、何があったのかは知らないが、葬儀にも出席せずに妹を置いて自分だけ帰ったりだとか。もちろん私への挨拶もなく。

もう、信じられないことばっかりなんですけど???

相当、私のことを悪く聞いてるんだな。
義理の弟たちのリアクションで、私は直感した。

そして、次女には散々いけずをされた。
ときには自身の旦那といっしょになって。

葬儀場へ移動するときのこと。
次女:「お姉ちゃん、どうする? うちの車に乗って行く?」
私:「ありがとう。そうさせてもらっていい?」
次女:「じゃあ、うちの旦那にお願いして」

・・・このようなやりとりが繰り返し、何度もあった。

葬儀が終わって解散になったときには、私の宿泊するホテルと四女の住む自宅アパートが同じ方向で通り道であるにもかかわらず、「お姉ちゃんはバスで行けるやろ」と四女だけ車に乗せ、知らない場所に私ひとりだけ置いてさっさと帰っていった。
その翌朝、父の住んでいたアパートの整理をするために再び集まったが、次女夫婦と四女の3人は同じ車に乗ってやってきた。

マジで気分悪い。

私、これでも長女なんですけど!?
それが目上の者に対する態度ですか!?

当然、私の胸の内では彼ら・彼女らに対する憎悪が渦巻いていた。
だけど父が他界したばかりで、それを表に出す元気もない。それに、私は休職中。まだ本調子ではない。これ以上、しんどい思いをしたくなかった。

体調を崩して休職中ということは伝えた。にもかかわらず、姉に対して平気でこんな仕打ちができる妹たち。
どこの世界に、こんなやつらと仲良くしたいと思う人間が存在するだろう。

いまになって思うけど、どうせもともとこんなに仲悪くて、どうせ上手くいかない家族なんだから、あのときブチギレててもよかったかなーとも思う。

お父さん、お母さん、申し訳ない。
私たち5人とも、あなたたちの失敗作やったね。
まともなしつけを受けてないから、こんなにアホな子に育ってしまったよ。ほんまにごめんなさい。

だけど、せめて、私だけでもまともになってみせます。
どうか、そっちから見守っていてね。


私にとって、妹たちのことは最も触れたくない話題だ。
できることなら、この忌まわしい記憶を、私の人生からすべて消し去ってしまいたい。だけど、きちんと書き残しておかなければならない。私にはその義務と権利がある。

家族の話は、詳しく書くとそれだけで巨大長編になってしまうので、これ以上のことはまたの機会に譲る。だけど、休職中に味わった嫌な想いについて、少しでもここに書いておきたいと思った。

父が他界したのは、休職に入って2か月が経ち、だんだん調子がよくなってきたなというころだった。
せっかく状態が上向きになってきていたのに、妹たちとのことでまた調子が崩れてしまった。そのせいで、回復までに余計な時間がかかったのは言うまでもない。

こんな醜い感情、文字にしてもやっぱり気分のいいものじゃない。思い返すだけでも、ふつふつと怒りの感情が沸いてくる。
読んでくださっている方にも、不快な思いをさせたりするかもしれない。

でも、ごめんなさい。書かずにはいられなくて。
そして書き出すと、自分の感情を吐き出せるだけ吐き出さないと気が済まなくなって。それでもやっぱり書き足りない。


ここまではかなりドロドロした内容だったので、お口直しに、ちょっといい話もしておこうと思う。

父の葬儀が終わって、大阪に帰る前に、30年ぶりに高校時代の恩師と話す機会があった。

高校時代、私は不登校児だった。ある日突然、学校に行けなくなった。
ガールズトークの輪に入れず友達はいなかったが、いじめられていたわけではない。成績はわりと優秀なほうだったし。
なぜ不登校になったのか、決定的な理由はなかったような気がする。いま思えば、発達障害が影響していたんだろうな。

出席日数ギリギリでなんとか卒業したのだが、そのときの担任の先生には本当にめちゃくちゃお世話になった。
卒業してからもずっと、あらためてお礼を言いたいと思っていたのに、なかなか勇気が出なくて。次に帰省したときには絶対に会いに行こうと思っていた。そして30年が経ち、やっと、思い切って連絡することができた。

残念ながらお会いすることは叶わなかったが、電話で先生とお話しすることができた。当時の話をいろいろ聞かせてもらった。私自身が忘れていたエピソードや、知らなかったエピソード、そして母とのエピソードも。いまとなっては貴重な話ばかり。

「僕は、学校に行きたくないなら別にそれでいいと思ってた」
と先生は言ってくれた。

だけど、高校は義務教育ではない。辞めたければ辞めればいい。
なのに、私が卒業できるように最後まで寄り添ってくれた先生。
とってもありがたかった。

今回のこと、妹たちとのいざこざについての話を聞いてもらうと、
「それは、あなたのことを知らないからでしょ」
と言ってくれた。あぁ、大人の意見だ。やっぱり、そうだよね。
先生のその一言で、私の気持ちはずいぶんと落ち着いた。

妹たちは私のことを「実家から離れて、長女のくせに親の面倒も見ないで、大阪で呑気に生活している」と思っているのだ。私のことを何も知らずに。

まぁ、あいつらはそもそも私のことに興味なんてないし、知ろうともしてないけどね。私の話をしたところで、聴く耳もたないだろうなぁ。
それで自分たちの好き勝手に、みんなで私の悪口を言ってるんだろう。

私は、家を出てからは親の支援を一切受けていない。
満足いく収入ではなかったので仕送りはできなかったが、完全に自立した生活を送っていた。そういう意味では、私は立派な親孝行をしたんだと思う。

両親の世話をしてくれた妹たちに引け目を感じることがないといったら嘘になるが、実家に留まった妹たちのように、親に甘え続けていたわけではなかったから。

私がなぜ実家を離れ、家族と距離を置いてきたのか。
私がどんな想いで生きてきたのか。
父と母に、私がこれまでどんな目に遭わされたのか。

そんなこと、まったくわかっていない。
私に聞こうともしないで、私のことを自分たちで勝手に決めつけているのだ。

「そうやね、そこは妹さんたちにも妹さんたちなりに思うところがあるんだろうね。だけど、あなたは親元を離れて自由になって、息苦しさからやっと解放されたんだよ。もしあなたがそのまま親元にいたら、みんなダメになってたよ。だから、あなたはそれでよかったんだよ」

優しくそう言ってくれた先生。

あぁ、ここにひとり、以前の私を知っていて、私のことをわかってくれている人がいる。
生まれ育った地元で、ひとりぼっちになってしまった私にとって、その言葉がどれほど心強かったか。たまらなく嬉しかった。

「僕ね、あなたは作家になると思ってた」

30年前に「あなたには才能がある。あなたは作家になりなさい!」と真剣に勧めてくれたのが先生だった。
30年経ってもまだそのことを覚えていてくれて、そんなことを言ってくれるなんて。嬉しすぎる。

「長年、いろんな生徒を見てきたけど、あなたは他の生徒とは違ったもん。表には決して出さないけど、内に秘めた強さがあってね。僕はあなたを見ていて、こういう人が将来、大きな花を咲かせるんだろうなぁと思ってた」

先生は、いつも誰にでも厳しかった。私もたくさん叱られた。その先生が、私のことをそんなふうに見ていてくれてたなんて。嬉しすぎて涙が滲んだ。
作家になるよう勧めてくれたのは、単に私の文章力に感心したからではなかったんだ。

「いまからでも、書いてみたら?」

書きたい。
書きたいことはずっと、胸のなかにあった。

その言葉に、あらためて背中を押された。書くなら、いまだ。いましかない。
両親がこの世に存在しなくなったいま、誰にも遠慮することはなくなったのだから。

「仲間でわいわい遊んで、楽しかったーって言ってそれで満足するような人は、きっと小説なんて書こうと思わないんだよ」

そんなことも言ってくれた。
この言葉は、なるほどと思った。たしかに、私はそうなのかもしれない。とっても奥が深いな。


大阪に帰って、調子を取り戻すまでに少し時間がかかってしまった。
だけど、大阪はやっぱりいいな。街並みも好き。歩いてると落ち着く。ひとりでも全然淋しくない感じがする。

そして、休職して半年ほど経って状態が良くなってきたころ、私は執筆活動を開始した。

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