才能は『キラキラしていない』ところにあるのかもしれない
私は言葉の意味を分解するのが好きらしいです。
ハーゲンダッツのイチゴ味は本物のイチゴなのか香料なのか。香料じゃないから、私にとっては薄ら酸っぱい、味の薄いアイスに感じられるのか。
無香料は本当に無香料なのか。化学物質の匂いだけなのか。あるいは、化学物質の匂いを別の香料で消した匂いなのか。
これはこれと言葉通りに受け取れなくて、ついつい分解したくなります。
私のお世話になっている方が、前に言っていた言葉があります。
「やりたいこと」 「やらずにはいられないこと」 「やらなきゃいけないこと」 「やれること」
日々の生活で「やりたいこと」と「やらずにはいられないこと」、このふたつの割合が多い人は幸福度が高いらしいです。
「やらずにはいられないこと」はその人の才能なのに、多くの人が才能を見逃すのは、それがキラキラしていないからだそうです。
テンションも上がらないし、努力した記憶もない。「呼吸」や「癖」と同じく当たり前にやっていること。誰かに褒められても「え、こんな当たり前のことでいいの?」と戸惑うことの中に、本当の才能(やらずにはいられないこと)が隠れているらしい。
その「やらずにはいられないこと」が自分でわかっていて、そこから「やりたいこと」を見つけられた人は幸せなんだと思います。
私の場合は、分解して考えずにはいられない。 それを言語化してnoteに投稿したい。
この「やらずにはいられないこと」が「キラキラした特別な才能」でなくてはいけないと思ってしまうと、自分の才能が見つからなくなる。
そして、「やらずにはいられないこと」で承認欲求を満たそうとすると、せっかくの才能すらも誰かに認めて賞賛し続けてもらわなければいけなくなる。それはもう「やらずにはいられないこと」ではなくなってしまう。
「やりたいこと」は「やらずにはいられないこと」の延長線上にある方が、生きやすいんだと思うんです。
「やらずにはいられないこと」は、一人でも、誰にも知られてなくても、ついやってしまっていること。だから人からの評価は必要ない。というか、誰に何を言われてもやってしまうのが「やらずにはいられないこと」
私はnoteを始めて、自分の「やらずにはいられないこと」がなんなのか見えてきました。
noteを「やらずにはいられないこと」を誰かに証明するためのものではなく、本当の「やらずにはいられないこと」になっている人が、幸せなんだと思います。
匂いのわからない私が作った『匂いしかしないカレー』。味と匂いを分解したら、母の脳内に右京さんが現れました。脳内湾岸署シリーズのカレー編です。
