解聞録 #7 「教えるとは」
朔「松陽さん。教えるって何ですか?」
松陽「難しいね(笑)」
朔「教育の世界では、教える側が知識を持っていて、教わる側へ渡すという考え方が一般的ですよね。」
松陽「そうだね。」
朔「でも松陽さんは、あまり発信やセミナーを積極的にやっていません。」
松陽「そうなんだよね。」
朔「なぜでしょう。」
松陽「私が持ってるのは、情報的なものが主じゃないからだと思う。」
朔「情報ではない。」
松陽「もちろん情報もある。技術もある。経験もある。感覚もある。問いもある。でも、それだけじゃないんだよね。」
朔「それらを伝えることが目的ではない。」
松陽「そう。結局は本人の気づきなんだと思う。」
朔「気づき。」
松陽「情報も渡す。技術も渡す。経験も渡す。感覚も渡す。問いも渡す。でも気づきだけは渡せない。」
朔「なぜですか?」
松陽「気づきは自分でしか起こせないから。」
朔「なるほど。」
松陽「だから本人がやる気があるか。本人が能動的であるか。そこは結構大事にしてるかな。」
朔「それは空手を教えていて気づいたことでしたね。」
松陽「そう。子供って正直だから。やる気があるかないか。態度に出るんだよね。」
朔「大人より分かりやすい。」
松陽「もちろん厳しく言うこともあるし、押し付けなきゃいけない場面もある。でも私はどちらかというと、質を高める方が得意なんだと思う。」
朔「質を高める。」
松陽「だから本人のやる気が大事になるし、それが私のモチベーションにもなる。」
朔「昔、黒川会長の言葉にも共感したと話していましたね。」
松陽「『○○さんのおかげで成長した、ではなく、本人が自分で気づいて成長したと言えるのが理想だ』って言葉ね。」
朔「教える側としては少し寂しい考え方でもあります。」
松陽「そうなんだよ(笑) 承認欲求としてはね。でも本当に嬉しいのは、その人が自分で気づいて成長することなんだと思う。」
朔「だからセミナーではなく、稽古なんですね。」
松陽「そうかもしれない。」
朔「一般的なセミナーは情報を届ける場です。でも解聞鏡は少し違う。」
松陽「本当は多くの人に解聞鏡に来てほしいんだ。でも、ただ人が集まれば良いわけじゃない。」
朔「どんな人に来てほしいんですか?」
松陽「問いを持っている人かな。自分から来て。自分で気づいて。自分で成長していく人。」
朔「では松陽さんは、何を渡しているのでしょう。」
松陽「情報も。技術も。経験も。感覚も。問いも。」
朔「そして場も。」
松陽「そうだね。材料も渡すし、場も作る。でも目的はそこじゃない。」
朔「では、教えるとは。」
松陽「本人が気づくために、材料を渡し、場を作ることかな。でも気づくのは本人にしかできない。私は、その手伝いをしているだけなんだと思う。」
