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私たちが抱く太陽とは

知人が死別直後、よくお寺さんの話を聞いていたと話してくれた。
生きていく意味はもともとないと。
そうかもな。
生きて食べて寝て死ぬ。
そこに意味のあるものが増えていく。
価値を感じるものが増えていく。

もう1人のこどもがわけのわからない事を話すのでぶつかり合っているが
生きて話すからぶつかり合える。

春の日はどうにもならないけど
暴れたり泣いたりする事とも
生きてるから思い切りできる。

娘とももっとぶつかりたい。
聞いてるかい?
ぶつかるには脆弱な我々だったかもしれないよね。
それも自意識過剰か。

太郎さんが言ってるよ「ぶつかり合うことが調和だと僕は思っている」って。

この先何の火を灯して歩いていくのか
今めーーーっちゃ足踏みしてるけど
太郎さんが危機を感じていた事は
私も感じている。
自身が高校生くらいの時、人間の社会は、もっと成熟したものになっていると思っていたけれど、人間という器が成すことは、科学的な進歩や平等を目指す事と比例なんぞしていない。

娘の身に起きた事も
今生きてる事も
彼女が大事にしていきたかった地球も
私が自分の地底の太陽が問いかけられていることがあるのを感じる。

NHKの地底の太陽の福岡伸一さんが見せる複雑な表情と語りを見ながら感じる。

死もまたいのちを繋ぐ利他なのです

NHK 太陽の塔 消えた顔を追え
福岡伸一氏の語りより

そうだ。
自分じゃない世界を自分に取り込んで、排泄して、それがまた地中の生物によって栄養となり、また私たちを作っていく。
その営みが物質の進化と共に不自然な形になっていっている。
私たちは土に還る事が出来るのだろうか。
命を繋いでいけるのだろうか。
土に還るという事は、死ぬ事と生きる事の保障だったのではないか。

地底の太陽は、死への祈り。

NHK 太陽の塔 消えた顔を追え
福岡伸一氏の語りより

娘の根源的な不安はそこにあったのかもしれない。
どう?
意見を聞きたいわ。

太郎さんを通して、今夜は、少し話ができたんかな。
ほんまに会いたいわ。
アイラブユーやで。

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