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予定にないことに嫌悪感を抱く。自分の中の合理性

おそらく去年だったと記憶しているが、大人になって虫にさわれなくなった。得たいは知れているのだが、ひとりでに動くものに嫌悪感を抱くようになった。子どもの頃は通学途中に草むらに入って、バッタを探していたのに...。しばらくふれてこなかったこともあるだろうし、予定調和的な環境に慣れすぎたのかもしれない。

たとえば、一日を過ごすサイクルはおおよそ決まっている。朝起きて、ごはん食べて、支度して、外に出る。なんやかんやあって、夕方に帰ってきて、ごはん食べて、風呂に入って、ダラダラして寝る。"なんやかんや"にはバリエーションがあるが、そんなに多くもない。細かいことだけを見れば、今日だけというのもあるが、横道に帰ったら戻ってこれないわけでもなく、ちょっくら顔出したくらいのものばかり。

でも、虫は予想外のことをする。急に飛んでいったり、鳴いたり、ケンカしてたり。そんなことは人間にもあるはずで、ときおり目にするはず。ただ殴り合いのようなケンカは子どもの頃がほとんどで、日常的に目にすることはない。多くの仕事で身体的な暴行はパワハラになるからだ。もししてしまうと自分の生活に大きな影響が出る。理性的にコントロールできる部分が歳を重ねると増えてくるので、見かける機会が少なくなる。

だが、自然界の生物にとってはそんなことはない。気づいたらひと悶着起こっている。「え? なんでこんなことが起こっているの?」とすら思う。それは私たちも同じで、子どもの頃に親から「どうしてそういうことするかなぁ???」と怒られた経験があるだろう。その行為は親からしたらとんでもないことで、「なぜに???」と疑問符が涌いていることだろう。行為自体に問題があることもあれば、今して欲しくないことが起こってしまった、なんてこともある。

そんな行為に対して、自分の中の合理が勝手に働いて、「これはおかしい!」と断罪する。そういう自分が想定していないことへの耐性が落ちてすぐに否定する。子育てはしたことがないが、本当の意味で何が起こるかわからなくて、落ち着かない状態なのだろう。自分が無意識のうちに排除してしまいがちな行動を子どもはしてしまうから目が離せない。

そんなことを突如思ったのは、郵便配達が来たからだ。直接の受け取りが必要なもので、必ず応対する必要があった。でも、いつ来るかは明確に分からない。そのときばかりは、予定にない訪問にも寛容になる。「あ、来たかも?」と思うからだ。

私は普段からネットショッピングしないから、ピンポンを鳴らされると「何事!?」と思ってしまう。鳴ったらほぼほぼ宗教勧誘か、訪問セールスだと思ってしまう。訪問される予定がまったくないから身構えてしまう。

同じように、身に覚えのない電話も身構える。「あとで掛けます」と言われていれば、着信に寛容になれる。しかしまったく想定していないところに電話が鳴れば、不審がる。

最近の若者は電話に出ない、とよく聞くが、自分の想定外のことはスルーしている。

心理学には、危険が迫ったときに3Fと呼ばれる3つの反応がある。それはFreeze(固まり) - Flight(逃走) - Fight(闘争)の3つだ。危険度が低くければ固まり、高いと闘う。

たとえば、親しい人と仲違いした場面を考えると、相手が包丁を持ち出したらまず固まるだろう。そしてそのまま襲ってきたら、逃げようとする。逃げてもダメだと思ったら、どうにか包丁を奪おうとして闘う。

同じように、予定外の電話や訪問があれば、「まず、誰?」と思って固まる。そこでおそるおそる応答するかもしれないし、さらに危険を感じて逃げるかもしれない。その人たちと闘う場面があるとしたら、しつこいときだろう。何度も何度も嫌な目を受けて、「もう(かけて)こないでください!」と怒鳴る。

自分の都合や想定にないことは危険であり、避けようとする。見知らぬ人ならなおさらだ。虫も同じだ。次にどんな動きをするかの見当がつかないから、動きを観察しようとじーっと固まる。相手の出方を見る。もし襲ってきたら逃げるし、逃げられないと思ったら手で払うなどして闘う。そうしてハチに刺されたりする。

でも、ハチは闘わずにじっとしていれば刺されないことが多い。嫌悪感を抱くことであっても、向き合ってみれば大したことがなかったりする。ただそれが難しい。

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