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60歳からの学び直し・生き直し9 当たり前でない日々 これが最後かもしれないと思って生きる


最後は、突然やってきた

突然に、大切な愛息を失った。
ひたすら、家族の幸せを 家族との幸せを願って生きてきた私にとって、
信じられない 受け入れがたい現実

ずっと大切に思ってきた息子
大切に思い、愛してきた私の子どもたち
自分の食べる分を減らしてでも増やしてきた子どもたちの食事
結婚前からの服を着て、成長する子どもたちの洋服を買ってきた。
小さくなって着られなくなった息子の服を着ることもままあった。
飽きて着なくなった娘の服を今も着ている。
何の苦もない。
子どもにしてやるのが、私の幸せだった。
人の子どもたちと夫も加わって、5人で過ごすのが私の幸せだった。
みんなで笑い合えるのが、私の幸せだった。
仕事との両立は、簡単ではなかったが、夫の両親の大きな助けもあって、
何とかやってこれた。
仕事と家を往復するだけの私にとって、
家族と子育ては、私の全てだった。
働く喜びはあったが・・・家庭が一番。子どもが一番だった。
子どもたちが大学へ進学するまでは。

少しずつやってくる体力の衰え
そして、仕事における責任の重さ
子どもが大きくなるに伴い、
目の前の仕事に追われ、自分中心になってきた。
大切なものより、忙しさから逃れることが優先された。
必死だった。
不器用な私は、人より時間をかけるしかなかった。
心配性な私は、確率の低い事象への危惧から、必要以上に人の見えないことまで想定し、準備した。
何が大切かを見失い、が見えなくなっていた。

過度の期待を 

子どもたち、夫、そして、自分にしてきた。

子どもたちに多くを望み、要求し、苦しめた。
自分の満足を得るために。
同じように、過度の期待を自分にも、夫にも課し、必死に働いた。
働いて働いて、働いて、、、
誰かに認めてもらおうと、自分の納得のいくまで働いた。
他人の評価を求めて、他人のニーズも考えずに求められていると考えたことを自分で決め、走ってきた。
小学校の時に恩師に言われた「頑張り屋さん」を続けてきた。
目の見えない何かに向かって、ひたすら走ってきた。

そんな私だから

子どもたちは、自分勝手な母さんの勝手な要求に応えようと奮闘してきた。
不器用な長男はそれに苦しみ、もがいてきた。
それを見て育った次男はのらりくらり逃れながら大人になり、
末っ子の娘は家を出ることで母の呪縛から逃れ自立した。

「あげまん」になりたかった私だから、夫の尻もたたいてきた。
自己中心的な妻の恫喝におびえながら、夫は逃れるように仕事をしてきた。

そうして、気づいた時、

一番そのあおりを受けた長男は身体を悪くしていた。
その内よくなるだろうと思った病気は、大学を卒業して12年、続いた。
ようやく心を取り戻し、少しずつ社会へ出ようとした時、
自分の願いと現実のギャップを感じたのだろうか。
そこから逃れるように、
彼はこの世からいなくなった。

何の言葉も残さずに

いえ、少しずつ残してくれていたのかもしれない。

あの日、私は大きな息子を膝に抱こうと思った

なぜか、そんな映像が目の前に流れ、
照れながら嫌がる息子を想像し、くすっと笑った。
重いだろうな。

しかし、何日後かに抱いたあの子は、
入りきらなかった二つの骨壺になって、
私の腕の中にいた。

先日、夢であの子をこの手で抱きしめた夢を見た。
涙があふれた。
あの子を抱いた感触が、そこにしっかりあった
その感触は、夫なのかもしれない。次男なのかもしれない。
あの子を最後に抱いたのはいつだろう。
でも、確かに長男だった。

あの子の好きなクレープ屋さんの前を通る

いなくなる一週間前だろうか。
「好きなクレープを買って行ってやろうか。」
そう思ったけれど、
荷物が多いから、次回にしようと思って買うのをやめた。
が、次回は無かった。

あの子に食べさせたいと思ったマロンタルト。
「一緒に来て!」と作業の手伝いを口実にして誘ったが、
「やっぱりやめておく。」そう言って一度上げた腰を下ろした。
買って行ってやることもできたのに、
帰りが深夜になると思い、次回にすることにした。
それは亡くなる前日。
結局、食べさせてやることはできなかった。

実家にあった新しい布団をあの子に準備した。
洗って、乾燥機にかけ、最後の一干しをあの子に頼んだ。
そうして、乾いた夏蒲団は、動かなくなったあの子に掛けられた。
一週間前に買ってきた敷布団のシーツも、生きている間に使うことはなく、「あの子に買ってきたものだから。」
その日が来たら、燃やしてしまうであろうあの子が寝る布団に敷いた。

また、今度。

また今度、、、その日がまた来ることがないことを知る。

おっぱいが好きだったあの子

初めての子育てだから、
どうしていいかわからず、泣けばやっていたおっぱい。

「オッパイ、バイバイね。」そう言って飲ませた断乳の日。

末っ子の娘が生まれた時、
「僕も飲んでみたい。」と言って吸っていた6歳の息子。
「まずっ。」そう言って、二度と飲むことはなかった。

「母さん。」と、泣いて離れなかった保育園。
愛しかった。

麻疹にかかって一緒に入院。
熱が下がってきても、手足を動かせず心配したあの日。
鮮明に覚えている。

長子だったからか、一つ一つの出来事が印象深く思い出される。

今も聞こえる「母さん」の声

夫とけんかをしたときには、黙ってそこに居て、様子をうかがっている。
いえ、心配してずっと見ているのを感じる。

朝、言い争いのけんかをして、夫は朝食も食べずに出ていった。
見送ることもなく送った。

「もし、これが最後になったら。」
そう思うと、大きな後悔が襲ってきた。

胸騒ぎがして、「電話に、一言入れようか。」そう思っていた時、
玄関のドアが開く音がして、夫が帰ってきた。

「ごめん。」とも言えず、
「ご飯食べる。」と尋ねる。

あの子の写真を前に、いつもより遅い朝ご飯を二人で食べる。
ありがとう あの子が二人を守ってくれた。

亡くなってからも、心配をかけているダメ親だ。
にもかかわらず、またぶつかる。
自分を理解して欲しくて。
いつまでも子どものような愚かな二人を親のように息子は今も見守ってくれている。

同じ失敗をまた繰り返して。
ごめん、いつまでも心配かけて、ごめん。

きょうが最後かもしれない

これが最後かもしれない。
それを知っているのに、成長のない私。
今の時間を大切にできない私。
今ある存在をも大切にできない私

また、息子に期待し、息子を苦しめている私。
いえ、十分なんです。
ここに居てくれるだけで。
生きていてくれるだけで。
優しい子です。

遠方に離れて暮らす娘も、孫を連れて帰ってきてくれるのは、
親を心配し、
楽しみをつくってやろうとしてくれているから。
それが感じられる。
私の夢だった「夫と二人で孫守り」
「この子と会うのもこれが最後かもしれない」
そう思ってその時を楽しむ。

生きていることも、
一緒に何かできることも、
当たり前ではない。
一緒にご飯を食べられることも、
自分でご飯を食べられることも、
朝目覚めることも、
出かけて、無事家に帰ってこられることも、
何もかもが当たり前ではない。

守られて、
生かされて、
生かしてもらって、
生きている。
できている。

あの子の一生から、
あの子の長くない生涯から、
一所懸命に生きること
与えられた運命を受け入れ、精一杯生きること
自分にできることを精一杯行っていくこと
そうして、
今を生きていくこと

どこに向かって言ったらよいのかわからない私だが、
あの子に恥じぬよう、生きたいと思う。
「母さん、がんばったな。」って言ってもらえるよう、生きていきたいと思う。


そう言えば、身体を悪くしてからも、よく言っていた。
「俺、研究でお金儲けて、父さんと母さんに楽させてあげる。」って。
あの子が望むことは、父と母の幸せ!
ありがとう
そう思ってくれている存在があることが幸せであり、ありがたい。
ありがとう

先日、次男に久しぶりにハグをさせてもらった。
「元気でおってね。」と伝えた。
「母さんもね。父さんとあんまりけんかせんとね。」って。
ここにも、居てくれた父と母を気遣う者が。
ありがたい
ありがとう

守り守られて、きょうも生きる。
生かしてもらっている。
感謝して生きる道 歩んでいきたい。






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