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パラダイムシフト

2025年を締め括るにあたり、いまさらだが新型コロナウイルスのパンデミックについて語りたい。

時系列で書くと、概ね以下のような経緯だったろう。

・2019年末〜2020年1月
中国・武漢での感染拡大が報じられるが、日本ではまだ危機感は限定的だった。政府は水際対策を始めたものの、社会全体は正月ムードで、「日本には大きな影響はないだろう」という空気が強かった。
・2020年2月
ダイヤモンド・プリンセス号の集団感染が発生し、感染が一気に現実の問題として認識される。政府の船内隔離対応には賛否が分かれ、連日の報道で不安が増幅。マスクや消毒液、紙製品の買い占めが起き、社会に動揺が広がった。
・2020年2月下旬
政府は専門家会議を設置し、全国一斉休校を要請。突然の判断に教育現場や家庭は混乱し、共働き世帯の負担が問題化した。一方で「命を守る決断」と評価する声もあり、社会の受け止めは割れた。
・2020年3月
「3密」を避ける行動様式が示され、クラスター対策が日本の基本方針となる。イベント中止や式典の簡素化が相次ぎ、街には緊張感が漂う。海外のロックダウン映像を見て、日本の対応の緩さを不安視する声も増えた。
・2020年4〜5月
緊急事態宣言が発出され、外出自粛と休業要請が広がる。街は閑散とし、収入減への恐怖が現実化した。10万円給付やアベノマスク配布を巡り批判と混乱が生じ、自粛警察と呼ばれる同調圧力も社会問題となった。
・2020年夏〜2021年
宣言の解除と再発出を繰り返しながら、政府は「感染防止と経済の両立」を掲げる。Go To トラベル開始には違和感や批判が集まり、国民の間には緊張と慣れ、自粛疲れが同時に広がっていった。
・2021年
ワクチン接種が本格化し、政府は接種体制の構築を急ぐ。世の中では期待と不安が交錯し、接種を巡る情報の錯綜や分断も生まれた。行動制限の長期化により、精神的・経済的な疲弊が目立ち始める。
・2022年
オミクロン株流行で感染者数は急増するが、重症化率の低下により社会の受け止めは変化する。政府は行動制限を最小限に抑え、世の中では「感染しても働く」「日常に組み込む」という意識が広がった。
・2023年5月
新型コロナは5類感染症へ移行。政府は日常医療体制への移行を進め、社会では「ようやく終わった」という安堵と、「本当に終わったのか」という慎重さが混在した。コロナは、危機対応と社会の脆さを浮き彫りにした経験として記憶に残った。

2020年当時、ボクはまだ現場を持っていた。
感染が流行し始めた当初はボクらも状況を把握できず、テレビで感染者数や死亡者数の発表を見て不安を感じることしかできなかった。

政府の方針に呼応して会社から矢継ぎ早に指示が出る。そしてボクらはそれに従う以外に方法がなかった。外出することも、誰かと会うことも憚られるようになり、ミーティングは完全にオンラインになった。

ボクはちょうどこの時期に入社した数名を部下に抱えていた。彼(彼女)らは入社した途端テレワークとなっていて、誰にも直接会うことができなかった。不安のあまりオンラインの1on1で泣いていた子のことは今でも忘れない。

ボクは比較的早い時期にコロナに感染した。
ボクは、品川の某ホテル(いわゆる「新型コロナ軽症患者療養宿泊施設」)に隔離されることになり、一日の大半をベッドの上で過ごし、病院食を食べ、検温をして血中酸素濃度を記録する日々を過ごした。オンラインで仕事ができるとはいえ、当時のボクの仕事は現場ありきで、現場にいない限りできることはほんのわずかだった。

それまでワーカホリックだったボクは、初めて暇を持て余した。ロクな準備もせずに隔離されてしまったボクは、暇つぶしにオーディオブックを試してみることにした。ベッドに横になっていても、目を瞑っていても本が読める・・・・・というのは画期的だと感じたものだ。

それが2025年現在の自分につながっている。
そんな気がしている。

パラダイムシフトはいつもじわじわとやってくる。
コロナ禍をきっかけに、社会の常識と思っていた様々なことが解体され、時間をかけて再構築された。ボクはというと、部下を持たない仕事を選び、プライオリティのシフトよって生まれた時間を毎日の読書と投稿に充てるようになった。

それはじわじわと。

今年は巳年だった。
蛇は再生・成長・変化の象徴だ。
一年を振り返ってみると、剥がれ落ちたボクの鱗があちこちに落ちているように思う。今年はいつもに増して剥がれたモノが多かった。だが、剥がれ落ちた分だけ強く新しい鱗を纏っているはずだと信じよう。

来年も多くは望むまい。
だけど、変化は勝手に訪れるだろう。

そう、じわじわと。


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