アドラー心理学について学ぼう - ⑦【まとめ】ボクの原体験と理想的な社会の実現
さあ、木曜日だ。
木曜日は「アドラー心理学」について書く日だ。
先週は、人が幸せになるためには、勇気を持つことが必要だということについて書いた。
コミュニティの中に自分の居場所を見つけるためには、そのコミュニティを共存しなければならず、そのためにはコミュニティの中の人たちと横の関係を築こうとする勇気が必要だということを書いた。
今週でアドラー心理学のシリーズを終了しようと思っている。
最終回は「ボクのアドラー心理学の原体験と理想的な社会の実現」というタイトルで書き進めていこうと思う。最後までお付き合いいただけると幸いだ。
人生の目標と人生の課題
さて、一旦「人間の目標と人生の課題」を確認しよう。
アドラーは、人間の行動面と心理面のあり方について、それぞれ2つずつ、全部で4つの目標を提示している。
行動面の目標
1. 自立すること
2. 社会と調和して暮らすこと
心理面の目標
3. 自分に能力があると思うこと
4. 人々は自分の仲間であると思うこと
そして、その4つの目標を達成するために、解決しなければならない「対人関係の課題」があると説いている。それは「仕事関係」「交友関係」「愛情関係」の3つだ。それはすべて「人間関係の課題」である。この3つは仕事関係→交友関係(友人)→愛情関係(恋人や家族)と関係が深くなるに連れ、簡単に切り離すことができなくなり、与え合う影響度も大きくなる。それが、相手に権力を誇示しようとしたり、束縛しようとしたり、疑心暗鬼になったりすることにつながっていくのだ。
誰でも、ちょっとしたきっかけで「自分に能力がある」と思えなくなってしまうことがある。そして、ちょっとしたきっかけで「周りの人たちが仲間だと思えない」と感じるようになってしまうときがある。
ボクとアドラー心理学
ボクがアドラー心理学に傾倒しているのには訳がある。
高校生の頃、ボク自身も勇気がくじかれて「人間の目標」を見失った当事者だったからだ。
多くの学校がそうであるように、ボクの生まれ育った田舎町も、小中は通学エリア内の学校に通い、高校は受験して合格した学校に収まるというシステムだ。あまり自分から交友関係を拡げていこうとしない性格のボクは、小中は顔馴染みの連中に囲まれて学校生活を送っていたが、高校に入って、それまでの友人と離れてしまったあたりから、少しずつ怪しくなってきたんだと思う。
ボクは小中時代はいわゆる「いい子」の部類だった。
アドラー心理学っぽく言うと、家庭というコミュニティにおいても、学校というコミュニティにおいても「特別な(良い)存在であろう」としていた。素行も成績も比較的上位であったので、ボクの欲求は満たされていて、欲求が満たされていたことでボクは人生に幸せを感じていた。
環境(コミュニティ)の変化
しかし、高校に入学したことによって、ボクの「学校というコミュニティ」はガラッと様相が変わった。ボクは運良く(ひょっとすると運悪く)その当時県で一二を争う公立の進学校に入学した。それまでは自分の「通学エリア」という狭い範囲の中だけから集まってきていた同級生が、一気に「県」という広範囲の中から、しかもある程度優秀な子ばかりが集まるコミュニティの中に放り込まれたわけなので、当然みんなほぼ横並びの状態から一斉スタートを切ることになるのだ。
ボクはそこを理解していなかった。
子供だったボクは、中学までは勝手に世界は自分を中心に回っていると勘違いしていたが、高校に入って優秀な同級生に囲まれたことで、その妄想は成立しなくなった。
高校2年の頃には、ボクは完全に「学校」というコミュニティの中で、勝手に劣等感を抱き、劣等コンプレックスに片足突っ込んだような状態になっていた。なので、中学までは「特別な(良い)存在であろう」としていたのが、高校に入ってから、少しずつ「特別な(悪い)存在であろう」とすることで、自分の承認欲求を満たそうとした。今から考えるとアドラー心理学の商品サンプルのような人生を送っていたのだ。
学校以外のコミュニティの存在
その時にボクを救ってくれたのは、学校の外のコミュニティだった。今となってはどんな経緯で知り合ったのかも覚えていない、3歳くらい年上の社会人のグループだ。彼らの中の一人がお店をやっていて、そこがそのグループのたまり場だった。
よく考えてみると、二十歳くらいの男女数名の(ゆるーい)グループに高校生のボクが一人混じっている状況なので、かなり浮いてたはずだ。でもみんなボクのことを対等に扱ってくれて、いつお店に顔を出しても歓迎してくれた。ボクも彼らがどんな人たちか知らないながら、心からリスペクトしていた。彼らはボクに彼らの中で流行っている音楽を聴かせてくれたり、お店のプロジェクターで古い映画を見せてくれたりした。ボクが事故って右手を骨折したときには、髪が長いと大変だろうからと、メンバーの中の美容師の人(その時初めてその人が美容師だと知った)が、たまり場のお店の営業開始前にブルーシートを広げて無償で髪を切ってくれた。
みんなあだ名で呼びあっていたので、本名も知らない関係だったし、もうお店もなくなってしまったので今では連絡先もわからない。だけど、そのコミュニティに受け入れてもらった経験がなかったら、ボクは現在のこの場所にいなかったろうということだけはわかる。
もう一つ、ボクを救ってくれたのが「アルバイト先」のコミュニティだ。ボクはまあまあ器用で、どんな仕事でもすぐ覚えてサクサクこなしていたので非常に重宝がられた。ボクはこのコミュニティの中では「特別な存在」でいることができた。働いてお金をもらっていたわけではあるが、それ以上に、アルバイト先という小さな「コミュニティに貢献できている」という感覚がボクを幸福にしてくれていたのだ。
ボクのアドラー心理学の原体験
ボクのアドラー心理学的な原体験はここにある。
アドラー心理学というと「褒めてはいけない、叱ってもいけない」「勇気づけが重要だ」というキーワードが独り歩きしていることが多い。ボクはこの原体験があるからこそ、このキーワードがよく理解できる。
3歳上の社会人コミュニティも、アルバイト先のコミュニティも、特に誰かがボクのことを褒めてくれたわけではない。もちろん叱られたこともない。褒める側(叱る側)は褒める(叱る)相手を自分より立場が下と思っているから褒める(叱る)のだ。そんな縦の関係が蔓延る世界では、その人の「人間の目標」は達成できない。
コミュニティの住人がボクにしてくれたこと
ボクが関係していたその2つのコミュニティの住人たちは、ボクを受け入れてくれ、ボクが困っているときに必要最低限の手を差し伸べてくれただけであり、「成功するためにはこんなことをするべきだ」とか「そんなことをやっていたら将来ロクな大人になれないぞ」などと言われたことは一度もない。ただボクを見かけたら声をかけてくれて、年齢や社会的な立場など関係なく対等な仲間として扱ってくれたに過ぎない。
そしてボクはその2つのコミュニティの中で、少しずつ「自立できる」ようになり、「社会と調和して暮らすこと」ができるようになり、「自分に能力があると思える」ようになり、「人々が自分の仲間であると思える」ようになっていった。つまり「くじかれていた勇気」を取り戻すことができたのだ。そしてそれが現在につながっている。
思い返してみると、あれが「勇気づけ」だったんだろうと思う。
おそらく本人たちもそんなことは思ってなかったろう。
アドラーの理想としたことは実現できる
だから、ボクはアドラー心理学の世界は夢物語ではないと思っている。
誰もがちょっとしたきっかけで勇気をくじかれて、劣等感を感じ、コンプレックスを抱くようになる可能性があること、そして「自己受容」ができないことで苦しんだ挙句、悪くあろうとする方向に進んでしまうことをボクは知っている。
そして、自分が所属しているコミュニティはひとつだけではないこと、違うコミュニティに行けば、そこで受け入れてもらえる可能性があること。そして、そこで受け入れてもらうことで、たとえ自分の人生の中に劣等感を感じるコミュニティが他にあったとしても、そのコミュニティの中でも「自己受容」できるように心が変化することをボクは知っている。
大事なのは「自分から動くこと」
コミュニティに受け入れてもらえること。そして、そのコミュニティに何かの貢献ができていることで、人は幸せを感じる。そのためには、まず自分から動かなければならない。
自分から新しいコミュニティに飛び込んで、そこにいる人たちと横の関係を構築していかなければならない。そして自分がコミュニティに貢献できることがあるか模索しなければならない。
そして、コミュニティ側は受け入れなければならない。
受け入れた上で、その人と横の関係を構築しなければならない。その人を褒めるのでも叱るのでもなく、そのコミュニティに居ていい存在なのだと「勇気づけ」てあげることが重要なのだ。
あとがき
参考まで…
ボクはこの原体験を元に、自分の娘と縦の関係を築かないよう心掛けている。彼女は彼女、ひとつの人格だ。だからボクは娘に「勉強しろ」とか「良い成績を獲れ」などと言うことはない。あくまでも「家族」というコミュニティの中で、彼女自身が自立でき、調和して暮らすことができるよう配慮しているだけだ。そして必要な時に必要なサポートをしている。
学校というコミュニティはボクが介入できるところではないと思っている。だから、学校の中で発生する「人間の課題」は彼女自身が解決すべき問題だ。ただし、彼女が自分で解決できないほど環境が悪いのであれば、ボクは躊躇なく彼女のコミュニティを替える(転校させる)覚悟はできている。
またボクたち夫婦は、家族というコミュニティの中に彼女が存在していることこそが、十分な彼女の価値だと思っていて、彼女自身もそう自覚してくれていると思っている。また、学校というコミュニティの中では、得意分野を磨くことで彼女自身の「自己受容」が実現できているように見えている。
彼女が関係するコミュニティは、家族と学校、親戚、そして部活といくつかの友人関係くらいだろうか。その数はボクたち大人と大差がない。今のところ、彼女が関係しているコミュニティにおいて、彼女はそれぞれに自分のできることを見つけて「他者に対する貢献」をし、それによって彼女なりの幸せを感じているようだ。
7週に渡ってアドラー心理学について書いてきた。
本当はこんなページ数でアドラー心理学が書ききれるものではないし、専門に研究されている方から見れば非常に稚拙な内容であろうとも思っている。
この一連の記事が、誰かの救いになれば幸いと願って、アドラー心理学のシリーズは終了しようと思う。皆さんのご拝読に感謝申し上げたい。
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