見出し画像

なぜ親は、子供の言葉を翻訳するのだろうか





朝の4時。  
スマホの通知音が鳴った。

見ると、息子から、
「風邪ひいたかも」  
というメッセージ。

息子は、
大学に通いながら
一人暮らしをしている。

その一言で、  
厄介な私の脳は、  
今の息子ではなく、  
幼い頃の息子の姿に  
書き換えられてしまう。

幼い頃、  
昼は元気でも、  
夜になると  
急に熱が上がった日々。

扁桃腺が腫れやすく、  
決まって高熱を出した。

夜中に何度も、  
氷を取り替え、  
額に手を当てた。

眠っている息子の  
呼吸の音を確かめるために、  
耳を澄ました。

中学生の頃、  
オペで悪いところは取った。  
それからは、  
熱を出すことも  
ほとんどなくなった。

だから、  
もう大丈夫だと  
思っていた。

けれど今、  
私の住む東京から、
離れて暮らしている。

額に手を当てることも、  
息の荒さを確かめることはできない。

画面に並ぶ文字だけが、  
今の息子を知る  
唯一の手がかり。

「風邪ひいたかも」

その短い言葉の裏に、  
最悪の状態を  
脳が勝手に  
翻訳していく。

本当は  
40℃を  
超えているのではないか。

喉が  
焼けるように  
痛むのではないか。

なのに、  
一人で  
苦しみ悶えているのではないか。

だからこそ私は、  
「大丈夫?」  
と、だけ返す。

もし、
私の翻訳通りなら、  
返事をすること自体、
負担になるかもしれない。
そう思って。

しばらくして、  
返信が来た。

「少し寝た
もう大丈夫そう」

その  
「大丈夫そう」  
という言葉を読み返す。


布団の中で、  
体の力が  
少し抜けていく。

心配が消えたわけではない。  
形を変えただけ。

小さい頃と、  
今はもう  
同じではない。

それでも。

子供からのメッセージを  
つい大げさに翻訳してしまう。

親とは、
本当にどうしようもない
生き物なのである。