見出し画像

ごめんなさい、わざとではありません




フランス王妃  
マリー・アントワネット。

オーストリアで生まれ、  
十四歳でフランスへ嫁いだ。

母からは  
「フランス国民のために生きなさい」  
そう教えられてきた。

宮廷の中で育ち、  
後に離れに作られた
プチ・トリアノンで暮らした。

一方、農民や商人たちは  
収穫がどうであれ、税が課せられ、
子どもがお腹を空かせれば、  
親は自分の分を差し出した。

その横を、豪華な馬車が通る。  
税を納めない身分の人たちが、  
祝宴へと向かう。

同じ国に住みながら、  
まるで違う暮らし。

空腹だけではない。  
同時に、人としての誇りも削られていく。

けれど、  
その民衆たちが持つ  
削られるという感覚を、  
彼女は知る由もなかった。

構造の上にいた。  
その仕組みを疑う視点すら、  
持ちにくい立場。

そして、  
革命が起こり裁判が始まった。

彼女は何度も言った。  
「子どもたちには罪はない」と。

それでも話はすり替えられる。

傍聴席にいた女性たちは、  
この裁判に違和感を抱いた。

王妃だから  
責められているのではない。

話しているのが  
「女」だからだと。

そして女性たちは思った。

この裁判は本当に、  
罪の話なのか、と。

そして彼女が  
処刑台へ向かう途中、  
処刑人の靴を踏んでしまった。

「ごめんなさい、わざとではありませんのよ」

咄嗟に出たのは、謝罪の言葉だった。




そして、現代の日本。

駅の通路で、肩に衝撃が走る。

振り向くと、  
ぶつかってきた相手は  
気にする様子もなく、  
人の波に紛れ込んでいく。

「ごめんなさい」の一言もなく。

極限で出るもの。  

そこに  
その人の生き方が  
反映されるのかもしれない。

言葉というものは、  
その場で突然つくられるものではない。

選ぶ言葉は、  
その人自身の履歴。

だからこそ、  
言葉一つ一つを、
雑に扱わないようにしていきたい。