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バタバタな夕暮れは、こどもが「ありがとう」に出会うための余白かもしれない。


夕方のキッチン。

「おなかすいたー!」

「ママ、あそぼう!」

そんな声に、

「ちょっと待ってね」

「今ご飯作ってるからね」

と返しながら、

フライパンを振る手を止めずに動き続ける。
 
 
そしてふと、

「もっと手際よくできたらいいのに」

「待たせてばかりでごめんね」

そんなふうに思ってしまうことはありませんか?


私は、保育士をしていた頃に見たある光景を思い出すたびに、

必ずしも「スムーズにできること」が一番大切なわけではないのかもしれないな、と思うんです。  
   
 
──
 
 
4歳児クラスを受け持っていた先生のことです。

5歳になると当番活動が始まります。

台ふきをしたり、
花に水をあげたり。

みんなで役割を持ち、
責任を持って取り組む経験をしていきます。

 
でも4歳は、その少し前。

ただ大人の真似をしたいだけではなく、

「自分でやってみたい」

「誰かの役に立ちたい」

そんな気持ちが芽生え始める、
とても大切な時期です。

 
 
ところが、その先生のクラスでは、
あまりそうした姿を見ることがありませんでした。

給食準備の時間になると、
担任とこどもたちは全員ホールへ行き、リズム運動。
 
その間に、もう一人の先生が教室で配膳を済ませ、

すべて整ってからこどもたちを呼ぶ。

とてもスムーズで、安全なやり方でした。

誰もこぼさないし、

バタバタすることもありません。

 
でも私は、
その光景に少しだけ違和感を覚えていました。

 
こどもたちが、

大人が準備している姿を見る機会がないからです。

先生が忙しそうにしている。

それを見て、

「せんせい、なにかやろうか?」

と声をかける子がいる。

「本当!?助かる!」

と言われて嬉しそうに動く。

そして、

「ありがとう」

と言われて、少し照れながら笑う。

そんな姿を私はたくさん見てきました。

 
──
   
     
誰かの役に立てた。

喜んでもらえた。

自分にもできた。

その経験は、

こどもたちの心を大きく育ててくれます。

 
でもそれは、

大人が完璧に整えた場所からは生まれにくいものです。

 
少し慌ただしい。

少し不格好。

そんな余白があるからこそ、

こどもたちはそこに入り込み、

「手伝いたい」

「力になりたい」

という優しさを発揮できるのだと思います。

 
 
だから、

毎日バタバタしているお母さんやお父さん。

スムーズにできないことを、

マイナスに捉えなくてもいいのかもしれません。

その慌ただしい背中も、

完璧じゃない姿も、

こどもにとっては大切な学びの場。

「ママ、てつだおうか?」

「これ、はこぶね!」

そんな優しい心が入り込むための、

大切な余白なのかもしれません。


 

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