戦闘機から落ちてヘリに拾われた話
「ブルーに乗りたくて、自衛隊へ」
子どもの頃、ブルーインパルスが飛んでるのを見て思った。
「これ、人間がやってるってマジか?」
歳を重ねるにつれて、HEROが流行れば検事に、GTOが流行れば教師に、やりたいことなんてコロコロ変わりつつ学生時代を過ごしていたんですが、就職活動を避けることはできなかったんですね。
「せっかく30年くらい働くなら、憧れを飯のタネにしてえよう。」
という軽い気持ちで、一般大学を卒業し、飛行要員として航空自衛隊に入隊したわけです。
そこに地獄が転がっているとも知らず…。
僕はブルーの5番機に乗りたかったんですけど、5番機は航空学生出身者しか乗れないという事実をつきつけられるのは入隊後です。笑
約3年のアチの無限地獄編
訓練はなんか思ったより色々キツかった。
テレビもネェ…
車もネェ…
土日もネェ(外出禁止)…
飛行機毎日ぐーるぐる(エルロンロール)…
って感じ。
まじで精神と時の部屋みたいな3年を過ごすわけです
でもなんとか
ウイングマーク(=免許皆伝の焼印)をゲット。
自分の時代は、航空学生の40期代〜50期くらいの世代が教官のボリューム層だったので、アチる能力だけが非常に高くなった20代でした。
▼アチとはなにか。リンクで移動
上司の機嫌、どう取ってる?“アチる”という新スキル
その後進んだのがT-4の戦闘機基礎課程(FTB)。
昔ながらの「戦闘機動」をちょっと体験しようね!みたいなコースです。
ウイングマークもとって、次の戦闘機での教育の前段階って感じでなんか比較的のびのびしてた記憶があります。
心優しい心臓が“やめとけ”と言ってきた
そんな中で行われる、耐G訓練。
簡単に言うと、「人間遠心分離に乗って、高G環境下で失神しないように頑張ろう」っていう国を挙げた根性だめしみたいなやつです。
で、ここで僕、頻脈が出たんですよ。
心臓が「おい、ちょっと待て、9G無理じゃね?」って言い始めたわけです。
で、トボトボと訓練装置のある入間から浜松まで帰ってノーフライの日が続いたわけです。
浜松で教官たちは言った。
「心臓、焼く?」
「TACネーム、ベイダーでいいじゃん笑」
(TACネーム=上空のあだ名みたいなもの)
「大丈夫、俺の同期も心臓焼いて戻ったから!」
いやそんな軽いノリで聞く??って思ったけど、
選択肢は2つ。
焼いて戻るか、別の道か
① カテーテルアブレーションという手術で心臓を焼いて、もう一回戦闘機に戻る
② 手術せずに、Gの少ない機種(輸送機 or ヘリ)へ転換する
入間から浜松に戻る新幹線の中では「焼いてでも戻ったるわ!」って気持ちしかなかった。
でもよく考えたら、戦闘機課程、マジでしんどかったんですよ。
しかも行く先は無限地獄の、殺し合いの螺旋ですよ。
「焼いたあと、またあれ戻んの?いや無理だろ…」
ということで、手術せず降りることにしました。
夢より心臓。ブルーより健康。
選んだんじゃない。流れで“ヘリ”だった
さて、じゃあどこ行きますかって話になる。
輸送機 orヘリのいずれかを選択するんですよね。
・操縦桿が股の間についてる
・フライトが主に外見て飛ぶ
・救難隊は航空総隊といって、がちがちの前線部隊
・転換者からヘリの人気がないので、すぐに教育に入れる
という理由でヘリに行きました。
この「なんとなく」が、後に地獄の扉を開けるとも知らずに。
ヘリって難しい
戦闘機は「スピードと加重の暴力」だったけど、
ヘリは「繊細な裏切りの連続」だった。
ちょっと操作をミスったら、機体がイヤイヤして左右にグラグラ。
本当にイヤイヤしてくるんすよ、ヘリって。笑
訓練が進むたび、どんどん「やべぇもん選んじゃった感」が増してくる。
正直、この時期が一番萎えてたかもしれない。笑
初めて乗ったヘリがUH-60という機体で、約90時間で事業用操縦士の免許取得させられるわけです。
というかこの90時間で、計器飛行も、陸上捜索も海上捜索も要救助者のピックアップもやらされるわけで…。
民間も経験した今思うことは
「常軌を逸してる脳筋課程」
部隊に行けば変わると思ってた
萎え萎えでしたけど、とりあえず課程は終わった。
「現場に出れば違う景色が見えるかも」と淡い期待を抱いて、部隊へ。
結果──
「現場のほうが全然やばかった。」
来てすぐコパイロットの養成訓練始まるんですけど、すごい急ピッチで進めようとするんですよね。
理由はパイロットがいないから。笑
救難機って、戦闘機が上空にいる時はもちろんのこと、飛んでない土日も何かあったときのために「酒飲まないで、遠出せず家の近くで遊んどけよ。」みたいな決まりがあるんです。
その人柱を作るために、急ピッチで訓練組まれるわけです。笑
ほかにも色々あるんですけど、自分は一般大学から自衛隊に入隊してるので、35歳過ぎたくらいからデスクワーク中心になるのが見えてたんです。
そこでふと思った
「デスクワークなら、飛んでお金もらいたいなあ」
というところで民間のヘリ会社に転職したわけです。
転職に関しては、本当に運が良かったです。
戦闘機じゃなかったけど、今がある
戦闘機になる夢は、途中で終わった。
選ばれなかった感覚。
夢から降りた感覚。
後悔がないといえば嘘になるし、自分の限界だったといえばそれもまた本当だった。
でも今も空を飛んで仕事をしている。
訓練も、課程も、部隊も、全部しんどかったけど
振り返ってみれば、あれもこれも今にちゃんとつながっている。
寝ても覚めてもいつもそばには同期がいる数年はぶっちゃけ今思えば楽しかったかも。笑
戦闘機から落ちて、ヘリに拾われた。
たくさん税金をかけてもらって、今も飛んでいる。
自衛官として飛んでいない以上、何か自分の見識を社会に貢献しなければならないのではないか。とよく考えるようになりこの活動をはじめました。
正直、やりたいことはありますが
世間の需要は全く別なところにある気もして、ゴールはいまいちわかりません。笑
フライトと同じで、その時のベターな選択肢を取り続けられればと思ってます。
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