【#31】(終)連載小説 『美容室「ヨアケ」、開店します。』 エピローグ
クリスマスパーティーの数日後。
ヨアケの倉庫の奥、大きな鏡のついたアンティークのチェストの上には、暖かそうなストールにくるまった猫の小夜さんがいた。
年季の入った革張りのスタイリングチェアには、末継が座っていた。足元にはヒーターが置かれ、コンクリートの床にオレンジ色の光を放っている。
冬になると、末継は小夜さんが寒くないようにと色々と持ち込んでいたので、何も知らない従業員たちは、物好きのオーナーがまた一人で倉庫にこもってるよー、と噂していた。
『坂本さん、お母さんと叔母さんにはっきり伝えられて良かったわね。幻ではあったけれど…』
マグカップに入った温かいココアをすすりながら、小夜さんが言った。
「そうだね。でも坂本、最近はずいぶんすっきりした表情にみえるよ。叔母さんも実家からようやく出てったみたいだし…」
末継も湯気の立つコーヒーを一口飲んでから言った。
『小さい頃の経験を無かったことにするなんて、到底できる事じゃないわよね…』
小夜さんは考え込むように言った。
『でも自分の気持ちを声に出して言えたって、彼女にとって大きなことなのでしょうね。もちろん、幼いときに直接言えたら良かったのだけれど…。
あんなにいつもはっきりものが言えるひとなのにね。ちょっと知っただけで誰かのこと判断しちゃダメね』
「俺なんて、坂本にはいつも怒られっぱなしだよ」
末継が言った。
『あら、それはあなたが悪いんじゃない?でも私、あーちゃんになれて楽しかったわ。またやってみたいわ。そうだわ、アカツキの姿になってドタキャンのオーナー、っていう汚名を返上しようかしら』
「汚名って…。でもさ、俺がミスったせいで危なかったね。見つかるんじゃないかってヒヤヒヤしたよ。ほんとごめん」
末継はクリスマスパーティーの夜、倉庫を出る時間が無かったので、奥の暗闇で息をひそめていたのだった。
『ギリギリだったけど間に合ってほんとに良かったわ。やっぱり、なるようになるものね』
小夜さんは、坂本の冷たい手の上に前足を重ねた時のことを思い出した。そしてあのいつもがむしゃらに頑張っている子に、沢山の良いことがありますように…と心から願った。
『でもアカツキが間違えたから、ビンゴになったところにいられて幸運だったわ。吉祥寺くんにも感謝ね』
「景品、何選んだの?」
『良い匂いのするハンドクリームとリップのセットよ!』
小夜さんは嬉しそうに言った。
「小夜さんにリップかぁ…。それに前足にハンドクリームなんて滑るし使わないんじゃ…」
『…なんだか失礼ね。私がこれが良いって選んだのに』
小夜さんがムッとしながら言った。
「あっ!ごめん!」
『匂いをかぐだけで幸せなんだから良いのよ。でも美久ちゃんのクイズ大会の景品も、とっても素敵なのよ』
「何だったの?」
末継が聞くと、小夜さんはチェストの引出しの中に入り、すぐにまた飛び出てきた。
『これよ!』
小夜さんは持ってきたものを得意げに掲げた。
それは美久の手作りの、折り紙で作ったお花のメダルだった。首に掛けるリボンが付いていて、真ん中部分にはかわいいグレーの猫のシールが貼られていた。
それが色違いで合計五個もあった。
『猫はクイズが得意だって言ったでしょう?』
小夜さんは嬉しそうにそれを全て首にかけた。折り紙がこすれる軽い音した。
「来年は小夜さんにも、もっとパーティーを楽しんでもらえるといいんだけど…」
『あらでも、猫は参加できないでしょう?』
「そうだな…。何か方法、考えとくよ」
小夜さんは、幼い頃から気に掛けていたヨアケの跡継ぎ、暁の心根が優しいことが心底嬉しかった。
『ありがとう、アカちゃん』
「だから、アカちゃんはやめてって」
末継が言った。
『そういえば前から聞こうと思っていたのだけど、アカツキはどうしてヨアケを継ごうと思ったの?継いだ途端に、私とも話せるようになったから嬉しかったけれど』
「ああ…うーん。…まあ確かに最初は継がないつもりだったんだけどね」
母さんが引退前、最後に繋いだ出逢いを目の当たりにしたからかな、と思ったが、末継は口に出すことはなく、
「何となく」
と答えた。
『ふーん』
小夜さんもそれ以上聞くことはなかった。
「でもさ、俺も前から思ってたんだけど、小夜さんはどうして小夜、っていう名前なの?引き継ぐ店名はヨアケで、俺は暁だし、うちの母さんは朝日だし。朝とか明け方にちなんだ名前になりそうなもんだけど」
『あら、言ったことなかったかしら?』
小夜さんの口調には、得意げな様子がにじんでいた。
『小夜。夜、って意味でしょう?夜が来なければ、朝が来ることは無いからよ』
小夜さんはニコッと笑った。
『つまり私が来れば、必ず夜が明けるってこと!』
半地下の倉庫の天窓からは、通りのざわめきが微かに聞こえていた。ちょうど日が陰ってきたころで、夕飯の買い物をする人、学校帰りの子どもたちなどの、賑やかな笑い声が響いていた。
それは小さな商店街の日常で、そんな空気をまといながら今日も一日が終わろうとしていた。
小夜さんはふと背筋を伸ばし耳を立てた。そしてココアのカップを置くと、スッと開いたチェストの引出しに音もなく飛び込んだ。
引出しはひとりでに閉まった。
「オーナー、倉庫ですか?お電話でーす!!」
半分閉めてあったシャッターの上がる音がし、新城の声が聞こえた。末継は
「ああ、すぐ行く」
と言って、倉庫を後にした。
美容室の店名といえば、フランス語とか英語でオシャレな雰囲気のものが多いけれど、その店の名前は、
「美容室 ヨアケ」
だった。
変わっているのは店名だけではない。
この店にはある「ひみつ」が隠されていた。
それはもし知られてしまえば、全国から客がひっきりなしに押し寄せるような「ひみつ」だった。
だけど今のところ「ひみつ」は秘密のまま、美容室の奥底に隠されていて、
「ヨアケ」は、ごく普通の商店街の片隅にあり、平凡な様子で今日も通りを見下ろしていた。
(おわり)
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