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【#26】連載小説 『美容室「ヨアケ」、開店します。』 (第5章7話「そっちからみたら」吉祥寺の場合②)

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崖を見上げると、上から木の枝のように太いツタが垂れ下がっていた。
大はまずそれを掴んだ。それから右足を上げ、落ち葉の詰まった排水パイプの穴に、つま先を掛ける。
少し勢いをつけて体を持ち上げると、次の足場を探した。
コンクリートの割れ目のほんの僅かの出っ張りを見つけて足を掛けると、ツタの上の方を握りなおした。
そんな風にして登ってゆくと、意外とすぐマフラーに手が届きそうなところまで来た。


「人が来ちゃうから、早くしろよ!」


誰かが言った。


(がんばって早くしてるのに…)


見上げると、あと少しで手が届きそうなところにマフラーがあった。
そして次の足場を探そうとした大は、つい下を見てしまった。


「うっ…!!」


下から見ているのと登ってみるのとは大違いだった。二メートルほどの高さだったが、地面がかなり遠く見えた。怖さに足がすくみ、大は一歩も動けなくなってしまった。


「なにやってんだよ!早く取ってこっち投げろよ!」


マフラーの持ち主のクラスメイトがイライラいた声で叫んだ。


「そ、そ、そんなこと言ったって…」


大はやっぱり怖くて動けなかった。
大体、どうやって降りればいいんだ?
飛び降りるには高すぎる。


「もうそっから手のばせば届くって!早くしろよ!俺、塾に遅刻しちゃうよっ!」


大は勇気を振り絞って、コンクリートのフチを掴んでいた左手を離し、マフラーに手を伸ばした。すると、ガサッという音がして右手で掴んでいたツタが数センチほど下に伸びた。
バランスを崩しかけた大のスニーカーが、濡れたコンクリートの上で滑った。
慌てて両手でツタを握りしめた、その時だった。


ガサッ!


ツタは元々、竹に軽く引っかかっていただけだった。引っ張られたことですぐに外れ、大は崖にぶら下がった。


「あっ!!!」


ツタは大の全体重を支えるほどには強くはなかった。
大は崖を滑り落ちた。


ザザザザザッ!!!!


全員が息を飲んだ、その時だった。


「ふー、良かった間に合った。大丈夫か?」


大は走って来た誰かの大きな腕に抱きとめられていた。

大は一瞬のことで訳が分からなかった。
その人は背が高い中年男性で、切れ長の目に、きれいに整えられた髪、仕立ての良いスーツにツヤツヤ光る革靴を履いていた。
そして、

「あんまり無茶すんなよ」


と言いながら、大をそっと地面に降ろした。
男性は近くに落ちていた手提げとランドセルを拾うと、砂を払ってから大に渡した。


「あーあ、ひざ擦りむいてる。帰ってすぐ消毒するんだよ」


男性が大の膝を見て言った。


「お、俺のマフラーは…」


そのとき、クラスメイトの一人が言った。
大の前に屈んていた男性がゆっくりと立ち上がった。
皆は何も言葉が出ず、その場に立ち尽くした。


「君たちは」


男性は、クラスメイトの目を一人ひとり見つめながら言った。


「君たちは、卑怯ひきょうだ。恥ずかしいと思った方がいいよ。覚えておきなさい。優しいひとの犠牲のうえに成り立つ幸せなんてありえない」


それから大の方に向き直ると、


「大くん、自分を封じ込めて人のために生きたらいけないよ。君の人生だからね。さ、行きなさい。気を付けて帰るんだよ」


と言った。

大はどう返事をしていいか分からなかったので、大きくペコリと頭を下げると、家に向って走り出した。
どうして自分の名前を知ってるんだろう、というのは、後で思ったことだった。

男性は大が角を曲がるまで見届けると、他の子達には目を向けることなく、どこかへ去って行った。

普段は自己中心的、大人の言うことなんて聞かないクラスメイトたちだったが、このときはなぜか皆静まり返り、マフラーもそのままにしてそれぞれの家に帰って行った。


***



「おっ?うわっ?!あーーーーーっ!!!ぬわっ!…あーあ」


テレビゲームがゲームオーバーになり、大はリモコンを放り出した。


「うわーもうっ!!あとちょーっとだったのにな~。あ、やべっ」


祖母が隣の部屋の壁をドンドンと叩く音がした。「静かにしろ」という合図だった。
大はため息をついてゲームの電源を切り、ベッドに寝転がってマンガを読み始めた。


大は高校一年生になっていた。
学校の成績はあまり良い方ではない。でも祖母は良い大学に行け、と、ことあるごとに言ってくる。
大はその頃には、美容師になりたい、という夢を持っていた。大学ではなくて美容学校に行きたい、と、ある時祖母にほのめかしたところ、鼻で笑われた。


「あんなチャラチャラした仕事!!とんでもない。あんたは大学に行くんだよ」


そのチャラチャラした美容師に、月一で通って超下らないお喋りを長々聞いてもらって、ご機嫌で帰ってくんのは誰だよ、と、大は心の中で思った。


***


ある日の夕飯の後、祖母がダイニングテーブルにたくさんのパンフレットをドン!と置いて言った。


「さ、どの塾にするかね?高校受験は大失敗だったからねぇ。今からたっぷり勉強しないと、良い大学には入れないよ。今度参考書も買ってくるから」


「……」


大は言葉を失った。


「何でなんにも返事しないのよ。あんたの為なんだからね。名の知れた大学じゃないと意味ないよ、行く価値なし」


「…えと…僕…」


「何?この塾?ここは駅前で良いみたいよ」


「…僕は…」


大は今日こそはしっかり話そう、と意を決して椅子に座った。


「ばあちゃん、ちょっと聞いて」


「は?何よ」


さっきからいたのだが気配を消していた祖父と父親が、驚いた様子で大を見た。


「僕…やっぱりさ…美容…」


「うーん、ここも捨てがたいわねぇ。個別指導…。あ!やっぱり家庭教師の方が良いかしら?でも来た人が無能だったら困るわねえ」


大の話に全く興味を示さない様子の祖母に、大はため息をついて、今日はもうやめようかと思った。
しかしその時、今朝届いた手紙に書かれていた言葉が、頭をよぎった。



「あれ?これ…」


朝起きると、枕元に手紙が置かれていた。
飾り文字で「Y」と刻印された蝋で封をされている封筒は、どこか見覚えがあった。差出人は書かれていなかった。


吉祥寺大くんへ


『君は本当は眩しいくらいに明るくて、まわりを照らすことができるんだよ。

好きなことを自分の中に封じ込める必要は無い。

誰かの人生を生きたらいけないよ。

君の人生だからね。』


中にはこれだけが書かれていた。


「あ、もしかしたら…」


大は勉強机の引出しの鍵を探した。


「あれぇ〜?どこだったっけなぁ?」


少し時間か掛かったがようやく見つけ、引き出しを開けた。
そしてぐちゃぐちゃに詰め込まれた文房具やプリントなどをかきわけ、奥から数年振りに「ダイジダイジカンカン」を取り出した。


「やっぱり…」


小学四年生の時に届いた、差出人の書かれていない手紙。
見比べてみると、全く同じ封筒だった。
久しぶりに古い手紙を読んでみる。

吉祥寺大くんへ

『こころを、いつまでもとじこめたままではいけないよ。

君のすきなもの、だれかに取られちゃ、だめだからね。

よくかんがえて。

君のすきなものは、なに?』


その時、ずいぶん前に崖から落ちそうになった大を助けてくれた、背の高いスーツの男性のことを思い出した。


「もしかしたらあの人…?でも何で…誰…?…あっ、やべっ!遅刻しちゃうや…」


大は手紙を封筒に戻すと、二通とも一緒に缶の中に放り込んだ。



「ばあちゃんっ!!」


祖母がようやく、大の方を見た。


「そんな大きな声出してうるさいね。なによ?」


「僕…び、美容学校に行きたい」


「ああ、まだ言ってんのそんなこと。ダメに決まってるでしょ。それよりパンフレット見なさい。早い方が入学金お得なんだから…」


祖母はテーブルの菓子皿にあった饅頭に手を伸ばし、包み紙を剥いて食べ始めた。


「僕は…僕は、美容学校に行きたい」


大はもう一度言うと、祖母をまっすぐ見つめた。大が本気なのが分かると、祖母は饅頭の最後の一口を放り込んでお茶をすすり、イライラした様子で言った。


「だからダメです。あんたは大学に行くの」


「きれいにしてもらえるって、すごい大事なことなんだよ」


「あんなチャラチャラした仕事…」



「チャラチャラなんてしてないよ!きれいになって性格とかさ、人生変わっちゃうことだってあるんだよ。すごい、ものすごい仕事なんだ」


大は辛抱強く説明した。


「ばあちゃんだってさ、髪切りに行ってるでしょ。嬉しいでしょ?」


「それとこれとは別。第一、あんたは不器用でセンスも無いんだから、なれないに決まってるわよ。それに吉祥寺家の跡取りなんだから。美容学校になんて、びた一文お金は出しませんからね」


「そ、それなら僕、…僕は………高校、やめるよ」


「はあ?!なーに言ってんの?入ったばかりなのに!!」


祖母が机に湯呑みをドンッと置いた。
引き戸を勢いよく閉めたり、大きな音を出して怒りの表現をするなど、他人を支配するすべを祖母は昔から自然に身につけていた。

大は一瞬ひるんだが、続けて言った。


「こ、高校辞めて就職すれば、美容学校に行くお金、貯められるでしょ?」


「え?…ふふふ…あははは…!!あんた、本気で言ってんの?子どもねぇ。世の中そんなに甘くないわよぉ」


祖母は、今度は菓子皿のチョコレートに手を伸ばし、


「ちょっと食べすぎかしら…ま、今日は動いたからいいわよね」


と独り言を言いながら口に放り込んだ。
それから、まるで何事も無かったかのように塾のパンフレットをパラパラとめくった。

大は悔しくて涙が出そうになったが、ぐっと堪えて言った。


「僕は…大学じゃなくて、美容学校に行きたいです。…お願いします」


大が頭を下げたので、祖父も父親も、驚いた顔をした。
全員があまりにも長い間祖母の言いなりになっていたので、突然の大の反抗に言葉が出なかったのだった。
祖母ですら同じだった。


「び、美容学校なんて、行かせるわけないでしょう。大学じゃなきゃお金は出しません。あんたのために言って…」


「僕のためじゃない」


大は小さな声で言った。


「は?今何て言ったの?」


「ぼ、僕のためじゃない。…ばあちゃんの為でしょ。孫が良い大学に入ったって自慢したいだけなんだ」


「あらまあ!そんな訳ないじゃない。あんただって、三流大学に入って馬鹿にされたくないでしょう?ましてや専門学校だなんて…。あんたのお母さんみたいになっちゃうからね!お母さんは高卒だから…」


大はカッとなって言った。

「僕の母さん、本当に僕を捨てたの?そんなに悪い人なの?高卒の何がいけないの?ばあちゃんの言うことってなんか…なんかさ、う、薄っぺらくて信用できないよ」


「まあっ失礼なっ!な、なんてことを…!!やっぱりあの母親の血が悪いのよっ!私がせっかく育ててあげてんのに…」


「…たの…」


「は?」


「た…頼んでないから。育ててくれなんて。血、とかも、あんま意味ないと思うし」


「何よっ!その口のききかたはっ!」


祖母は完全に切れて、勢いよく椅子から立ち上がった。


(第5章8話・「吉祥寺の場合③」に続く)


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