【#9】連載小説 『 美容室「ヨアケ」、開店します。』(第3章「はい、どーじょ。」第1話)
美容室 『ヨアケ』には、ある「ひみつ」が隠されている。
それはもし知られてしまえば、全国から客がひっきりなしに押し寄せるような「ひみつ」だった。
だけど今のところ「ひみつ」は秘密のまま、美容室の奥底に隠されていて、
「ヨアケ」は、ごく普通の商店街の片隅にあり、平凡な様子で今日も通りを見下ろしていた。
「はい、どーじょ。」
「ありがとう。」
何かを握りしめた、自分のちいさな手。細くやわらかな手が、それを優しく受け取る。
ふわっと、何かの匂いがする。…なんだ?
あなたは、誰?
見上げてみる。
と…
……はっ?!
………顔だけイヌ?!
*
「まーたかぁ…あのヘンな夢…」
六畳一間のアパートの一室。目が覚めると、布団も敷かずに床で寝落ちしていたようだった。
カーテンも開けっぱなしだったので、寝転がった姿勢からは雲ひとつない青空が見えた。
吉祥寺 大は伸びをして、近くに落ちていたスマホに手を伸ばした。
「んん…あー、ねむ…。昨日やっぱ飲みすぎたかぁ…」
寝ぼけて何度かスマホを取り落としたが、ようやく画面を開く。
「………えっ?!うそっ、やべ!!時間ねえ!!」
吉祥寺はスマホを近くに落ちていたバッグに放り込むと、大慌てで準備を始めた。
***
「…って、だからここでシャンプーしてるんだ」
水曜日の朝。美容室「ヨアケ」に出勤してきたスタイリストの田辺麻衣が、あきれたように言った。
美容室のアシスタントは他のスタッフよりも早く出勤し、掃除などの開店準備をすることが多い。
入店したての吉祥寺はもちろん早く来ているが、スタイリストの中で一番年下の麻衣も、吉祥寺のサポートも兼ねて早く出勤していた。
「すみませーーーん!!もう少しで終わるんで…」
遅刻スレスレだった吉祥寺は、店のシャンプー台で自分の頭を洗っていて、出勤してきた麻衣を驚かせたのだった。
吉祥寺大は現在二十二歳、小柄で色白、くりっとした目が特徴的な、良く言えば元気いっぱい、悪く言えば落ち着きのない男の子だった。
シャワーの大きな音に負けないような大声で、しかも泡が口に入るのも気にする様子もなく、吉祥寺は今朝みた夢の話を麻衣に話していた。
「いやあ、ほんっとに、ヘンな夢ですよね~。おんなじの、ちっちゃい頃からよくみるんですよ~」
吉祥寺はシャワーを止めるとタオルで頭をワシワシと拭いたので、細かい水飛沫がとび、麻衣は顔をしかめた。
「もー。ほんとはカラーの練習でもないのにシャンプー台使っちゃダメなんだからね。そこ、まわりきれいに拭いといてよ」
「はいっ、センパイっ!!」
「うわぁ、返事だけいいよね~」
チリン
そのとき、一階のドアが開く音がし、誰かが階段を上がってきた。
ドアにはベルが取り付けられていて、開いたらすぐにわかるようになっていた。
「おはよー」
スタイリストの荒井美里だった。三十代後半のベテランで、服装は地味だが気さくな人柄の荒井は、特に主婦層に人気があった。
美容室「ヨアケ」は東京郊外の、各駅停車しか停まらない小さな駅の近くにある。
駅前商店街の細い脇道を入り、少し歩いたところにある雑居ビルの一、二階だ。
半地下の一階部分はフロントでレジと大きなソファー、トイレがあり、二階が椅子やシャンプー台があるフロアになっていた。
「あ、荒井さんだ!おっはようございまーす!」
「えっ?吉祥寺はなんで頭濡れてんの?」
「あー、そうなんですよぉ、よく聞いてくれました!それがですねぇ…」
話が長くなりそうな気がした麻衣は、
「昨日飲みすぎて寝坊して、遅刻ギリギリに来たんですって。だから髪ここで洗ってたみたいですよ」
と、荒井に早口で説明した。
「そうなんですよぉ!で、なんでギリギリになったかっていうとぉ、へんな夢がぁ…」
「さ、ほら早く髪乾かして、開店準備するよ!」
麻衣は天井からぶら下がった、コンセントのリール式延長コードを引っ張ると、そこにドライヤーをつなげ、吉祥寺に手渡した。
「はははっ!田辺、吉祥寺の世話係大変だねぇ。がんばれー」
荒井は笑いながら、奥にある休憩室に入って行った。
***
吉祥寺が美容室「ヨアケ」に来たのは、ひと月前くらいだった。
美容学校を卒業し、都内の美容室に就職したものの、失敗ばかりで長くは続かなかった。
街の小さな美容室は慢性的に人手が足りないところが多いので、応募すれば結構な確率で入れたが、すぐやめてしまい…というか実質クビになり、あちこち転々としていた。
落ち着きがなく、小柄だが動きが大きいので、すぐに何かに当たって落としてしまう。
先輩のスタイリストが塗っている途中の、調合したカラー剤を床にぶちまけてしまったこともあった。しかもそれがもう在庫が無いものだったので、客も怒らせてしまった。
やる気はあるのだが、慌てると空回りしてしまう。忙しい時間帯は特に焦って失敗してしまい、先輩にイライラをぶつけられることが多かった。
ある日、友達の引っ越しを手伝うために、吉祥寺はいつもは来ない小さな駅の商店街を歩いていた。先週美容室を辞めたばかりで無職だったので、駆り出されたのだった。
早朝の商店街はほとんどの店にシャッターが降りていて、住宅街から駅に向かう人々が、ただ無言で歩いている。みんなバラバラのはずなのに、靴音だけは、まとまって一つのものかのように鳴っていた。
そしてその中を、吉祥寺だけがキョロキョロしながら逆流していた。
「えっと…ここ抜けて…あれ?通り過ぎた?どこ曲がんだ?」
分かれ道で立ち止まり、スマホを眺めていると、どこからか視線を感じた。
「…ん?」
振り返ってみたが、吉祥寺が急に立ち止まったので迷惑そうに見ている人はいたが、わざわざこちらを見ている人は見つからなかった。
「気のせいかぁ…」
再び歩き始めると、また視線を感じる。
「ん??」
また振り返っても、だれも見ていないようだった。
「気のせいかな??…ま、いっか」
吉祥寺は気にするのをやめにして、友達の家に急いだ。
*
「あー、筋肉痛ヤベェなぁ!」
何時間もトラックとアパートの三階を行ったり来たりさせられたので、夕方に解放されたときにはクタクタだった。
「ま、いっか!やっきにっくだもんね~」
手伝ったお礼に、夜ご飯に焼肉をおごってもらう約束で、友達が用事を済ませる間その辺をブラブラしようと、商店街を歩いていたのだった。
その時、吉祥寺はどこからか再び視線を感じた。
「……ん?また?」
振り返ってみる。朝より時間があるので、吉祥寺は、戻ってきょろきょろ探してみた。
「……?あ、ネコ?」
通りの建物と建物の隙間から、猫がのぞいているのが見えた。
「うわぁ~ネコちゃーんだ~!!」
猫に目がない吉祥寺は、小走りで近寄った。猫は吉祥寺の手が伸びる寸前に、すっと立つと、優雅に歩き出した。
「うおっ、触らせてくれないかぁ…」
シルバーグレーの毛並みが美しい猫は、吉祥寺を振り返ると、深い海のような色の大きな瞳で、じっと見つめてきた。
それを見たら、なんだか気安く触ってはいけないような感じがして、吉祥寺は立ち止まった。
猫は歩き出したが、すぐに振り返るとあごをくい、と動かした。付いてきて、と言われているような気がして、吉祥寺は猫を追って歩き出した。
東京の外れの小さな駅なので、商店街は短かい。その脇道に入って少し行くと、猫はふいに立ち止まった。
「あれっ、なにここ?ヘアサロンかな?」
そこは二階建ての古い雑居ビルだった。
通りに面した部分は全面ガラス張りで、開け放たれた入り口のドアのみ木製だった。
ドアの上部には、通りに突き出すように取り付けられた鉄製の黒い看板があり、
「美容室 ヨアケ」
と飾り文字で書かれていた。
中をのぞくと、半地下になっている一階部分のフロントに、店員の男性がひとり立っていた。
吉祥寺は振り返ったが、猫はいなくなっていた。
「あれっ?ネコちゃーん??」
「猫が、どうかしました?」
そのとき、店の中にいた男性が入り口まで出てきて、話しかけてきた。
男性は背が高く、仕立てのよいスーツに白いシャツ、ツヤツヤ光る革靴を履いていた。
四十代後半くらいの、切れ長の涼しげな目が印象的な、いわゆるイケおじだった。
「あ、いえ…グレーの猫ちゃんが、なんかここに連れてきて?くれて…??」
吉祥寺は正直に話した。
「ははは、猫の客引きだな。ちょうど今すいてるから、君、良かったらカットしてかない?」
「えっ、でも今あまり、時間ないし…」
「俺のカットなら、二十分くらいあれば、シャンプーから仕上げまで全部終わるよ」
「えーーっ?!二十分?!すごっ!!…あ、でも僕今無職なんで、お金ありません!電子マネーも、残高ないです!」
吉祥寺はズボンの尻ポケットから財布を出すと、わざわざ中を開いて見せた。
千円札一枚と、店のレシートが数枚入っているのが見えた。
「ははははは!!!」
男性は吉祥寺のあまりの素直さに大きな声で笑うと、「無料でいいよー」と言った。
「えっ?はっ??ほんとに??」
普通なら怪しいかも…?と警戒してしまいそうだが、普段から信じやすい吉祥寺は、すぐに大喜びした。
「わあ!いいんですかぁ?」
「こちらから誘ったんだよ。まあこれも縁だからね。どうぞ」
フロント前にある大きなソファーに案内された吉祥寺は、「うわっ」「すげっ」などど周りをみながら、いちいち驚いていた。
渡されたカウンセリングシートに住所や名前、質問事項などを書くときでも、
「うー??なんだったっけなぁ~」
とか、
「あっ!そうそう、これかもーー」
などと独り言を言っていて、店員の男性はそれを見てクスクス笑っていた。
「はいっ!書けました~!お願いしまーす!!」
「じゃあ、二階にどうぞ」
「ありがとうございまーす!!」
カット台のある二階に案内されると、階段を上がりながらもキョロキョロして、落ち着きのない小動物のようだった。
「いらっしゃいませー」
二階のフロアには、客と店員がそれぞれ二名いるだけだった。
「オーナー、ご予約外のお客様ですか?」
小さな流しで、カラーを調合するボウルや刷毛などを洗っていた麻衣が、すぐに手を止めてやってきた。
「うん。俺がカットするから田辺さんシャンプーお願いね。お急ぎだから早めに」
「はい、かしこまりました。…いらっしゃいませ、こちらへどうぞ」
「えっ?!オーナーさんだったんですか?うわぁ、すげぇ!!」
吉祥寺の元気な声がフロアに響いた。
「どんな感じにする?」
シャンプーが終わり吉祥寺がカット台に座るとすぐ、美容室「ヨアケ」のオーナー、末継 暁がきた。
さっきはフロントのパートの女性、入江が帰ってしまった後だったので、たまたま店番として立っていたのだった。
「あ!お任せで!だって、オーナーさんセンス良さそうだから…」
「君は元気がいいね」
末継は吉祥寺の髪をとかしながら言った。
「ありがとうございます!あ…でもやっぱ僕、うるさいですよね…すみません…」
「いや、俺は褒めてるよ」
末継は腰に付けた高級そうな革のケースからシザー(ハサミ)を取り出すと、カットを始めた。
「えーっそうなんですか!…まぁ、元気だけは褒められることもあるんですけどぉ…」
「けど?」
「…元気が良いだけじゃ、やっぱなんかダメみたいだから、元気は封印するつもりです!」
「どうして?」
「えーと……えっ……… あ?!」
その時、吉祥寺は末継のカットに見入ってしまい、返事ができなくなってしまった。
