「天使が棺を捨てる日に」第二話
黒々とした煙と煤、そして焼ける赤だけがこの街の色だ。煙を吸って重く垂れ下がる雲が、僅かにでも日の光を差し込ませてくれたのは、もう二月は前のことになる。汚らしい曇天のすぐ下では、今日も棺桶同士が戦闘をしている。こんな街では流れ弾や落下物など日常茶飯事で、散歩するのにも機体が欠かせない。街中では毎日違う瓦礫が燃えていて、煙を吹き上げている。お陰様で俺の棺桶も煤を被って、最近では随分年季の入った機体に見えた。
年季の入っているのは機体だけじゃない。中のフィルターも、そろそろ枯渇する。そういう意味では、これはまさにカミサマからの贈り物と言えるだろう。白い機体。B国の、天使とか呼ばれている下級兵士たちのものだ。前面装甲の亀裂は、銃創ではなく刀創だろうか。不運なことに敵国のエースにでも落とされたらしい。
この汚染地域で生きてゆくためには、フィルターが必要だ。この街に来ている以上、おそらく中にまだ生きているフィルターがあるはずだが、他の物資は望み薄かもしれない。消耗予定の兵士にくれてやる余剰物資などどの国にも無いからだ。
さて、お誂え向きに亀裂の入った装甲を剥がしてやろうと、俺は機体に膝をつかせながらコックピットを開き、工具箱を持って瓦礫の上へ降りた。その時だった。
奇妙な音がした。金属が割れ砕ける音だ。前面装甲に走った亀裂が一気に縦に広がると、割れた半分が機体を剥がれ、俺目掛けて倒れ込んできた。咄嗟に工具箱を放り捨て飛び退いた次の瞬間には、俺の立っていた場所に数トンは下らない金属性の装甲が、素知らぬ顔で転がっていた。
瓦礫の山の一部となった折れた通信塔の一部や住宅を支えていた鉄骨が甲高く震え、衝撃の余韻を伝えている。耳と足裏から伝わるその感覚で俺はようやく我を取り戻すと、放り投げた工具箱の行方を探した。しかし、それらしい影はどこにもない。正直なところ自らに降りかかる危険、つまり倒れ込む装甲以外の些事は目に入らなかったのだが、記憶の糸を手繰り寄せ工具箱の軌跡を辿れば、今まさに装甲の下敷きとなっているところに落ちたに違いないと分かった。確かめるまでもなく、使い物にならないだろう。
思わず溜息が出たが、よくよく考えてみれば悪いことばかりではない。機体の解体には時間がかかる。手間が省けたと思うことにした。
どれ、と割れた前面装甲からコックピットを覗き込んだ瞬間、俺は言葉を失った。自らの息を呑む音がはっきりと聞こえた。人間が乗っている。あの高度から墜落して、人の形を保っているだけでもかなり珍しいが、俺が驚かされたのはそこではない。人間は、まだ大人になりきれないくらいの年頃の、可憐な少女だった。およそ戦場というものを知らず、花や美術品と生きてゆくことが許される上流階級の娘でも、ここまで整った容姿をしている者はそうはいないだろう。透き通るような儚げな白髪に、色素の薄い肌。なるほど、天使とはよく言ったものだ。俺も死ぬときは、こんな美人に看取られたい。
身体の殆どが白い少女を見ていると、前髪の間からつつ、と赤い血が伝い始めた。半ば呆けていた俺ははっとして、少女の脈を取った――息がある。
放っておいたほうが利口だ。何なら殺してしまって、物資を少しでも奪ったほうが俺のためになる。そうした打算を余所に、俺は咄嗟に少女の身体を抱きかかえ、俺の機体へと連れ帰った。コックピットを閉じ、機体に半壊した少女の機体を抱えさせ、俺は一度住処へ戻ることにした。
