「天使が棺を捨てる日に」第五話
日差しなど差し込みようのない地下にも、朝は訪れる。二人分の寝息が一人分になったのは、ネイス内の時計が七時を過ぎた頃だった。
こんこんと、金属同士が軽くぶつかるような音に、フィフスは目を覚ました。ネイスのカメラには、前面装甲をノックするヨハンの姿が映っている。
「おはよう、フィー。身体に痛みはないか?」
「……朝か。大丈夫だ。この程度でネイスの操作を誤るほど私は無能じゃない」
「それは何よりだ。昨日の約束通り、今日はフィルターを探しに行く。生体認証を解除するから、コックピットを開けてくれ」
昨日の今日だ。無論、警戒心が解けたわけではない。しかし生体認証の解除を切り出したのはフィフス自身な上、ヨハンがコックピットに押し入ろうというのなら、食料と薬を手渡しした時に実行できたはずだ。過剰に不安がることはないだろうと、フィフスは言われた通りコックピットを開いた。ヨハンは開いたコックピットハッチの端に足を掛けコックピットに半身を入れると、コンソールの一部に手を翳した。
ヨハンがそうした瞬間に、コックピット内に蛍光色の光が走り、ロックされていたシステムが次々と解除されていった。ヨハンはそれだけするとすぐにコックピットから出て行った。
「言っとくけど武装には期待するな。碌な物を持たせてもらえなかったってのもあるが、殆どはここに墜落してきた機体から回収したジャンク品だ」
「ジャンク品? 動くのか?」
「正確にはジャンク品を修理した物だから一応動くけど、当てにはするな」
フィフスがコックピット内のインターフェースに表示されている武装欄を見てみると、確かに表示がアンノウンとなっていた。正規品ではない証拠だ。
「まあとにかく、例え近所で戦闘が起こっても無視して逃げるんだ。やり過ごせ。ほら、ささとコックピットを閉じろ。限りあるフィルターが勿体ないだろ」
フィフスは言われてコックピットを閉じた。手足、武装、全てが接続済みとなった表示を目視してからフィフスが操縦桿を握ると、ヨハンに棺桶とまで呼ばれていた煤けたネイスが、膝をついた姿勢から立ち上がった。
「どうだ? 動かせそうか?」
「問題ない」
そうか、と言うとヨハンは工具箱を持って、フィフスを先導し始める。彼の先導通りに崩れた壁側の通路を進むと、奥にやや広い空間とリフトが見えた。リフトは物資の搬入用だろう。リフトは物資が積まれた際のはみ出しを防止するため、縁の全体が黄色と黒の縞模様に塗装されている。複数人で上げ下ろしすることを想定しているようで、リフト本体と離れた壁に稼働用のレバーがあった。
ヨハンはフィフスに先にリフトに乗るよう誘導すると、自らは壁にあるレバーを上げた。ヨハンがレバーを操作した瞬間、がこんと音がしてリフトがゆっくりと持ち上がり始める。ヨハンはどうやって乗り込むつもりなのかとフィフスが彼の様子をモニター越しに眺めていると、ヨハンはレバーを上げた瞬間から走り出し、既に床から数十センチ上がったリフトに飛び乗った。
「……毎回こんなことを?」
「ん? ああ、このリフトの乗り方か? 毎日これだ」
「何か……他にないのか? こう、遠隔操作できるような……」
「無いね。いや、やろうと思えば作れるかもしれないけど、そこまで手が回っていないからな。少なくとも、もう暫くはこのままだ」
フィフスは溜息を隠せなかった。
リフトの先は下の部屋をやや広げたような空間だった。トラックの出入りに十分な高さの搬入口とシャッターの痕跡が見て取れるが、爆撃や戦闘の影響だろう。今は辛うじて剥がれていない屋根と穴だらけの壁、そこに少しだけ張り付いたシャッターの一部があるだけで、雨風を半分程度は凌げるくらいの廃墟となっている。
「ここからはもう外だ。落下物やら飛来物やらに注意しろ。そして気づいたら俺を守ってくれ」
「その強化外骨格で防げないのか?」
「無理。そりゃ人間の皮膚よりは強いけどね。せいぜい瓦礫に引っかけて怪我しない程度のものだよ。だから愛情込めてボディガードしてくれよ?」
「愛情? ……下らないことを。私に期待するな。手の届く範囲にいれば、どうにかしてやる」
フィフスは愛情というものに価値はないと考えている。正しくは、そう教え込まれそう信じているのだった。特に、個人が個人へ向ける情愛については、無駄とすら感じる。部隊内で死者を悼むことはあれど、過剰な個人間の干渉は時に判断を鈍らせる重荷でしかない。天使に愛は不要。必要なのは、命令への忠実さと実行に足る能力のみだ。
フィフスが冗談めいたヨハンと共に搬入口から屋外へ出ると、辺りが妙に明るくなったように感じられた。ネイスのカメラがモニターに映し出しているのは、街の光景――正確には、街だったものの残骸と、戦禍の爪痕だった。廃墟でない建物は視界のどこにも無く、元々使われていたのであろう道路らしきアスファルトの塊は、陥没と隆起によって数メートル規模の断崖を幾層も作り出している。瓦礫の山やら潰れた自動車やらがそこかしこに放置され、戦闘行為の余波らしい火災も至る所に見て取れる。町全体に燃え広がる気配が無いのは、おそらく燃え移る有機物も限られているからだろう。火のついた物はそのまま他の何を燃やすこともなく、煤となって街を彷徨うのだ。雲は厚く、煙と煤が街を黒く霞ませる中、炎の赤だけが日差しの無い地上を僅かばかりに照らしていた。
ヨハン曰く、街の様子はいつもこうなのだという。ただ不定期に起こる戦闘によって瓦礫の山や廃墟が崩落するなど、歩き回るには危険が伴うのだそうだ。
二人はそれから一月ほど街を探索したがフィルター液は見つからず、食料も腐敗していないものは殆ど手に入らなかった。得たものの割りに危険は多く、廃墟の外壁がヨハンの頭上に崩れ落ちるなど、フィフスがヨハンを守らなければならないことが日に二度も三度もあった。その代わりに危険な生物の類と遭遇することは一度も無かった。人が暮らしていないということは都市に蔓延る生物群がそのまま消えるということであり、しかし森林に呑み込まれてもいないこの街には、獲物となる有機物が存在しないのだろう。フィフスとヨハンは朝から暮れまで無機質な街を歩き、夜には地下の一室に帰るといった日々を繰り返した。
