「天使が棺を捨てる日に」第十一話
"私"には、私の技量だけでは勝つことはできなかった。幸運を何度重ねれば気が済むのか、分かりやしない。しかし幸運を、最大級の運を、あと一回だけ呼び寄せなければならない。
炎上する輸送機の真横に降り立つと、そのまま天井と壁を剥がし、貨物を漁った。この辺りのやり方は、街の探索で身についた技術が役立ち、傷一つつけることなく目的の物は見つかった。
コンテナは如何にも堅牢で金がかかっていそうな造りをしていた。有難い限りだ。炎上する輸送機から慎重に取り出してから、コンテナを抉じ開けた。中身を見ると、薄灰色の、平たい直方体をした機械が一つ、収まっていた。これがコールドスリープ装置に違いない。
コックピットを開けた。ヨハンは重く、引き摺るのもやっとだった。コックピットハッチの端に義足が引っかかって、ネイスから下ろすのには余計に苦労した。
彼の身体をコールドスリープ装置の傍まで連れて行って漸く気づいたが、このコールドスリープ装置は人間が入るために造られたわけではないようだ。少なくとも大人が入れるような大きさではない。子供くらいの体躯でやっとの大きさだ。しかしヨハンなら、彼なら強化外骨格を外せばどうにかなるだろう。
右腕を外したときと同じ要領で、左腕を外した。足も似たような構造で、特に困ることはなかった。腹部と背部の外骨格を外した瞬間、皮膚との間に溜まった血が流れ出てきた。順調だ。しかし何故か、私は不安に駆られた。私を抱き締めてくれた腕も、肌で感じた温かさも、義手やその発熱によるものだと分かってはいた。しかし手が外れ、足が外れ、少しずつ小さくなってゆくヨハンをいざ目の当たりにすると、私の中で不安が燻り始めるのだ。
ヘルメットに手を掛けると、彼のヘルメットが、ただのフルフェイスのそれであることに気が付いた。首から下の強化外骨格とは、連結されていない。すぐに脱がすことができた。
そして初めて、ヨハンの顔を見た。青年というには大人びた、壮年というには幼さの残る、痩せた顔つきだった。半分固まりかけた血が、その痩せた顔一面に張り付いている。拭おうと触れた瞬間、彼の肌の感触――ざらついたコンクリートのような、弾力の失われた固い感触が指から伝わってきた。頬の血を拭うと、ヨハンの肌の色が分かるようになった。灰色だ。色彩を失くした彼の肌はところどころがひび割れて、ひびの奥から新しい血液が、とめどなく滲んできている。痛々しいが、それはつまりまだ血流は途絶えていないということでもある。失った血の量は心配だったが、ひとまず彼は生きている。そのことに安堵した。
ヨハンの皮膚は、マクスウェル汚染の影響だろう。事情を知らぬ者が今のヨハンを見れば、醜い顔だと思うかもしれない。彼が私に見せたがらなかったのも、今なら分からなくはない。しかし――。
「……気にしなくてよかったのに」
私は、その顔を愛おしいと思った。指から伝わる温もりが、抱き合って眠った昨夜の記憶を呼び起こす。明日も、明後日も、その十年二十年先も、彼と共に眠って、起きて――おはようを言って、美味しいものを食べて――そういう日々を送れたら、どんなに幸せだろう。一緒に過ごすのは、ヨハンがいい。代わりがいないなんてことは、もしかしたらないのかもしれないが、それでも私はヨハンがいい。
コールドスリープ装置には操作方法が丁寧に書いてあるわけではなかったが、ボタンのシンボルで概ね理解できた。蓋の開閉だけはそれらしいボタンが見当たらない以上人力のようだったが、ロックするためのハンドルがついていた。ヨハンから一度手を離し、蓋のハンドルを回す。固いが、その分ロックした後は安全だろう。力を込めてハンドルを回しきり、蓋を開けた。あとはヨハンを入れるだけ。生きていれば。これは死者を蘇生する機械ではない。私の計画は全て、彼がまだ辛うじてでも生きていることが絶対条件だった。
再びヨハンの元へ駆け付けた。膝をつき、彼の鼓動を確かめた。胸に触れても、首に指を当てても、固い皮膚からでは脈は測れそうにない。ならばと呼吸を確かめようとした時に、ヨハンの瞼がぴくりと動いた。
「ヨハン!」
呼びかけた。血を失い過ぎたことで意識が朦朧としているのだろう。彼の瞼はゆっくり開いたり閉じたりを何度か繰り返し、今度は唇が開いたかと思うと空を見上げていた瞳が震えながら私の方を向いた。
「フィー……?」
微かに振動した声帯の音が、吐息に乗って聞こえてきた。
「ヨハン! 私、フィフス! 分かる?」
「……あ、あ。分かるよ。君、何、してるんだ?」
ヨハンは半開きの目で私を見つめながら尋ねてきた。
「貴方を、コールドスリープさせる。腕も足も肌も、貴方の中の臓器も全部代わりを用意する。絶対に、生きられるようにするから、それまで――」
コールドスリープという言葉を聞いた瞬間に、ヨハンは全てを悟ったかのように微笑んだ。私が彼の意思に背くような危険を冒したことも、これから何を成そうとしているのかも、見透かされている気がした。
「――約束だ。君自身を、犠牲に、するなよ」
私の言葉を遮って、ヨハンは言った。寿命のことや、そもそもの困難な道のり、様々なこれからのことを心配してくれているのだと分かった。
「分かった。約束する。私のことも、貴方のことも、全部どうにかしてみせる」
「……もし。もし、俺が起きたときに、まだ君の……問題が解決、していなければ、俺も君のために、方法を探すよ」
強く頷いた。喉が絞られて、ヨハンに聞こえるくらいの声は出せそうになかったからだ。思わず肩に力が入る。気が付けば彼の両肩に手を置いて、半ば覆い被さるような姿勢を取っていた。
「……ヨハン。またね」
まだ瞳の先が私を向いているうちに、彼の唇に口付けた。乾きかけの血の臭いと、鉄の味がした。
強化外骨格を全て取り去って、幾分か軽くなったヨハンを、全力で持ち上げた。手足がなくとも、人間は重い。コールドスリープ装置の中になるべくそっと降ろし、蓋を閉じた。ハンドルを回し、ロックする。そして、コールドスリープのボタンを押した。ガスが中に充満する音がする。もう中を見ることはできないが、これで、大丈夫なはずだ。ヨハンは冬眠し、次に起きるのは私が必要な物を揃えた日だ。しかしまずは、輸血だけでも手に入れたら、一度起こしてみてもいいかもしれない。
立ち上がり、一息ついた。身体が揺れるほどに強い心臓の鼓動が、もうずっと鳴りっぱなしなのに今になって気が付いた。深く息を吸って、吐いた。しかし、休んでばかりではいられない。やることは山積みだ。まずはネイスを修理しないといけないし、フィルター液の交換も必要だ。ヨハンが私の元の機体を修理していたところを見ていたからやり方は問題ないが、確かコールドスリープ装置を積んでいた輸送機は大型の昆虫に襲撃されていたはずだ。まだその群れがこの辺りをうろついているかもしれない以上、なるべく早く備えたい。武装は、元の機体の余りを使おう。そして準備が整ったら、ヨハンを連れて街を出よう。この棺桶で。
もうすっかり静かになったコールドスリープ装置に目をやった。改めて見ると、これも棺桶のような形をしている。棺桶に入るなど縁起でもないが、二人で入るなら悪くない。
