言葉を探して、立ち止まる。30分間の贅沢
それは、何かを成し遂げた時間ではありません。
ただ、言葉が出ずに立ち止まってしまった、30分間の話です。
最近、講座のテキストや構成を、少しずつブラッシュアップしています。
作っているのは、知識というよりも、「今の自分の状態を読むための道具」のようなものです。
そんな作業をしている中で、ふと、昔のお香の講座のことを思い出しました。
今日は、そのときの香りづくりと言葉について、少し書いてみようと思います。
お香を調合する。
それは、ただ香原料を混ぜればいい、というものではありません。
お香づくりには、順番があります。
師匠がよく言っていたのは、まず香りの「銘」を決めること。
次に、その銘の香りをイメージすること。
そして、そのイメージに合うように、香原料や分量を決めていくことでした。
「銘を打つ」というのは、形のない香りに、言葉で輪郭を与える行為です。
まだ存在しないものに、そっと名前を与えるような時間。
けれど、これが私はとにかく苦手でした。
「まず銘を決めて」と言われても、何も浮かばない。
香りを、言葉にできないのです。
日本には、
風薫る、空梅雨、春霞、冬紅葉……
季節や自然を表す、美しい言葉がたくさんあります。
それなのに当時の私は、そのどれひとつとして手に取ることができませんでした。
生まれて初めて、師匠のもとでお香を作ったとき。
どうにかひねり出した銘が、なんと「赤ちゃん」。
今から16年前。
息子を産んだ直後で、それしか本当に思い浮かばなかったのです。
赤ちゃん特有の、あの甘くてやさしい香り。
ふくふくとした、抱きしめたくなるような温もり。
そんなイメージを思い浮かべていたはずなのに、できあがったのは、鼻をすっと刺激する、どこか辛味のある香りでした。
師匠が思わず浮かべた、あの苦笑い。
その表情を、今でもよく覚えています。
「この香りと、この香りを合わせたら、こうなる」
その感覚が、当時の私の中には、まだ何ひとつ育っていなかったのでしょう。
これは、私だけの話ではありません。
講座で「この順番でやってみてください」とお伝えすると、すんなり進められる方は、ほんのひとにぎりです。
2時間の枠の中で、30分以上、手が止まってしまう方も少なくありません。
中には、携帯で検索を始める方もいます。
正直に言うと、以前の私は、その30分を「申し訳ない時間」だと感じていました。
うまく導けていないのではないか。
時間を無駄にさせてしまっているのではないか。
そう思って、次第に悩まないで済むやり方を用意するようになりました。
けれど今は、少し違って見えています。
あの30分は、答えを探している時間ではなく、五感が、ゆっくり目を覚ましていく時間だったのではないか。
香りと向き合い、自分の内側に、そっと耳を澄ませている。
とても贅沢な時間だったのではないか、と。
そして不思議なことに、若い方ほど、この「言葉が出ない時間」は長くなりがちです。
一方で、60代、70代の方は、驚くほど自然に、季節や気持ちを言葉にし、香りのイメージを描いていかれます。
それは、才能の差ではない気がしています。
長く生きてきた時間の中で、心の奥に静かに積み重なってきた景色や感情、記憶。
そうした「言葉の貯金」が、香りという刺激によって、ふっと呼び起こされているだけなのかもしれません。
今は、香りができてから、あとづけで銘をつけたり、あえて銘をつけず、作る過程そのものを味わってもらうこともあります。
いくつか銘を提示して、イメージを共有してから作ってもらうこともあります。
それはそれで、とても良い時間です。
けれど、少しだけ、寂しさを感じることもあります。
言葉が出ないことは、悪いことじゃない。
でも、言葉を探して立ち止まる時間そのものが、感覚を育てていたのだと、今になって思うのです。
講座を作り直している今、私はまた、昔と同じ場所に戻ってきたのかもしれません。
初心に戻る、というよりも、「考える」「感じる」「想像する」その過程を、もう一度、信じ直している感覚です。
知識を増やすためでも、うまく説明するためでもなく、ただ「今の自分を感じるために」。
効率や正解を求められる日常の中で、あえて言葉をなくし、立ち止まる。
そんな一見、何も生み出していないように見える時間こそが、私にとっての、そして今の私たちに必要な「ウェルビーイングな時間」なのだと思います。
