正解を探すほど、迷ってしまった日から—— 私が「自分を読む力」を手渡したい理由
蒸籠から立ちのぼる湯気を、
ただ眺めていた、ある冬の夕方のことです。
台所に立つことは、
これまで何度も、自分を立て直してくれた習慣でした。
何を食べるか。
どう温めるか。
今日は動くか、休むか。
知識も経験も、
もう十分にあるはずだと思っていました。
それなのに、
その日はどうしても、手が止まります。
——今日は、何を選べばいいのだろう。
ふと、
何も浮かばなくなったのです。
私はこれまで、
ハーブや香り、自然療法、養生、四体液質といった
さまざまな知恵を学び、伝えてきました。
自分自身の不調にも、
季節の揺らぎにも、
それなりに対処できるようになっていたと思います。
けれど、
ある時期から、
これまで続けてきたケアが、
そのままでは届かなくなっていきました。
年を重ねるごとに増していく違和感は、
「年齢のせい」と一言で片づけるには、
あまりにも感覚がはっきりしすぎていたのです。
体も心も、
「これまでの延長線」では
読めなくなっていった。
後から、それを更年期と呼ぶのだと
認めるしかありませんでした。
まだまだ気持ちの上では若いつもりでも、
からだは、容赦なく変化していく。
長年積み上げてきた知識も、
講師としての経験も、
そのときは、頼もしい支えにはなってくれませんでした。
むしろ、
「わかっているはずなのに、整わない自分」を
突きつけられるようで、
少しだけ、苦しかった。
体の変化にうすうす気づきながら、
見ないふりをしていたのは、
きっと、講師としてのプライドも
どこかにあったのだと思います。
でも、それではいけないと気づいたとき、
私はこの不調をどうにかするための
新しい方法を探すことをやめました。
何かを足す前に。
何かを改善する前に。
一度、
立ち止まってみることにしたのです。
いま、体はどんな感じだろう。
熱はある?
冷えている?
乾いている?
湿っている?
呼吸は、浅い? 深い?
たとえば、
寒い朝に、無意識に
湯気の立つお茶を選ぶように。
夏の夕方、
理由もなく
冷たい水に手が伸びるように。
振り返ってみると、
私自身もずっと前から、
こうして体の声に導かれて
選んでいた瞬間が、
たしかにあったのだと思います。
けれど、
心も体も、言葉では教えてくれません。
痛い。
おいしい。
暑い。
寒い。
そんな身近な感覚なら、
すぐに言葉にすることができます。
でも、
なぜかわからないけれど、心がざわつく。
運動もしたのに、
体は疲れているはずなのに、なぜか寝つけない。
昼間、理由もなく眠気に襲われる。
その「なぜか」という違和感も、
心や体からの、大切なメッセージだと思うのです。
けれど、
それを受け取るための言葉がない。
だから、
「なんとなく不調」という言葉が
よく使われるのではないでしょうか。
でも、私はありがたいことに、
その「なんとなく」を
身近な言葉で確かめる方法を、
すでに学んでいました。
それに、
ずっと気づかなかっただけです。
ずっと、
そばにその言葉たちはありました。
そこで私は、
これまで学んできた言葉を、
答えを出すための道具ではなく、
からだの声を聴くための言葉として、
そっと手元に置きなおすことにしました。
今の自分に、
そっと耳を澄ませてみる。
すると、
少しずつ、
選ぶ基準が変わっていったのです。
健康にいいから、
という理由で食材を選ぶのではなく、
「いま、食べたい」と感じるものを選ぶ。
心地よい眠りに導くと言われる香りを、
使う前に、
それが本当に心地よいかどうかを
からだに聞いてみる。
「正しいから」ではなく、
「今日は、これが静かに合うから」。
派手な変化はありません。
けれど、
暮らしの中に、
確かな安心が、
少しずつ戻ってきました。
いま私は、
電子書籍を書き、
辞典を編み、
noteに「書庫」をつくっています。
それは、
大きな計画や目標ではありません。
けれど、
今日の私が立ち止まれる場所を、
明日の誰かにも、
そっと残していく。
そのために、
書き、整え、
続けていくことを選びました。
それは、
誰かに正解を教えるための場所ではありません。
学ぶ前の人も。
学びの途中で立ち止まった人も。
学び続けて、
少し疲れてしまった人も。
迷ったときに、
「自分に戻ってこられる場所」を
残したいと思ったからです。
正解を探すほど、
迷ってしまう人がいます。
まだ言葉を持たないまま、
不調や違和感を
抱えている人もいます。
ハーブや養生、
さまざまな知恵に出会う、その前に。
あるいは、途中で。
もう一度立ち止まり、
「今の自分は、どんな状態だろう」と
静かに読める人が、
増えていくこと。
それが、
いまの私が、かなえたい夢です。
知識が、不安になる前に。
知識が、重たくなる前に。
知識が、
迷いではなく、
安心として、
暮らしに根づくように。
そのための
「読む力」と「選ぶ力」を、
そっと手渡していくこと。
もし、
これを読んでくださったあなたが、
今日は少し立ち止まってみようかな、
そう思えたなら。
それだけで、
この夢はもう、
誰かの暮らしの中で、
静かに息をしはじめているのかもしれません。
