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反応がなくても、ちゃんと誰かに届いてると知った夜

スキもコメントもゼロの日


あれは、noteを書きはじめて
数週間たった頃のことでした。

投稿ボタンを押す手は、
あいかわらずドキドキしてたけど、
少しずつ慣れが出てきていた時期。

でも、ある投稿を境に──
びっくりするほど反応がなくなった。


スキも0、コメントもなし。

フォローも増えなければ、
アクセスも鳴かず飛ばず。


「今日の記事、ちょっと気合い入れて書いたのにな…」

そんなことを思いながら、
布団の中でスマホを閉じた夜でした。


無視されてる気がした


SNSの世界では、数字が温度計になる。

だから、数字が動かないと、
「誰も読んでない」
「つまらなかったんだ」
「何か間違えたかな」

そんな風に、すぐに自分を責めはじめてしまう。

noteの中でも、Xでも、
誰にも何も言われない。

それどころか、タイムラインにも
自分の存在がないみたいな感覚。


その夜は特に、息子の部活帰りの一言に
イラッとしてしまって、
家族にも冷たくしてしまった。


全部が「うまくいってない日」って、
あるんですよね。

その日は、まさにそれでした。


突然届いた「見てますよ」の声


そんな数日後。

見知らぬアカウントから、DMが一通届いた。

「初めまして。いつもnote、読ませてもらってます」
「コメントする勇気はなくて、でも毎回、救われてます」


え?


あの、反応ゼロだった投稿も…?


聞いてみると、
その人はログインせずにnoteを読んでいたそうです。

スキも押せず、コメントも書けないけど、
心のなかでいつも、拍手してますって。


生きててよかったよ。


ガチンコで涙が出ました。。。


誰かの無言の共感って、ちゃんと存在してる


noteは、読者の姿が見えにくい場所です。

XみたいにRTやいいねが
爆発するわけでもない。


でも──

読んでくれている人は、たしかにいる。


コメントしない人。
スキを押さない人。
でも、毎回読んでくれてる人。

そんな気配だけの読者って、実はすごく多い。


あの夜、無反応のnoteの向こうにも、
ちゃんと誰かがいて、僕の言葉を静かに受け止めてくれていた。


数字だけじゃ、届いたかどうかはわからない


アルゴリズム的な評価ではなく、
人間の共感って、見えないことが多い。

でも、その見えない共感こそ、
noteを続けるエネルギーになる。

たとえ、今日の投稿が
誰にも届いていないように思えても──


数日後、数週間後、あるいは数ヶ月後に、
ふと誰かの心に火を灯すことだってある。

noteって、そういう静かな灯台みたいな場所なんです。


最後に伝えたいこと


「反応がない投稿」が、
「無意味な投稿」ではない。

あなたの言葉が誰かを救ってるかもしれない。

見えない読者は、ちゃんといる。

静かに読み、静かに共感し、
静かに心を温めてくれている人が。


僕自身、もう何度も
やめようかなと思いました。

(実際二年間やめてたし…)

でもそのたびに、
ふいに届く無言じゃない共感に支えられてきた。

あなたの投稿も、きっと誰かに届いてます。

たとえスキが0でも、
画面の向こうにちゃんと誰かがいる。


それを信じて、これからもnoteに言葉を綴っていこう。

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