洋書の多読について
中上級者向けの英語勉強法としてよく言われるのが、洋書の多読。
とにかく英語の文字に触れ続けて、体に感覚を染み込ませるというわけだ。
noteで「洋書」と検索すると、
洋書◯十冊読破した自分が教える…
洋書で英語力!
洋書の多読◯百万語突破!
みたいな記事がごまんと出てくる。
別に批判しているわけではなく、自分は本当にこういう人を尊敬している。
僕も、昔は英語学習のためにハリーポッターの「炎のゴブレット」までの4作品は読んだ。
ただその程度だと50万語にすら届かない。
何年も不断の努力を重ねてきた結果なのだろう。
すごいと思う。
ただ、そういう記事に関して一つ思うことがある。
それは、
いつまで多読を英語の「勉強法」だと思ってるの?
ということ。
もちろん、建前でも「勉強法」だと言っておいた方がウケは良い。
noteというプラットフォームの中でも、英語学習はホットなジャンルだ。
興味がある人が多ければ、ビュー数も稼ぎやすくなる。
世の中が「コスパ最強の英語学習法!」で溢れかえっているのも無理はない。
ただ、洋書が読めるなら、すでに英語はある程度理解できているのだ。
ならどうして未だに洋書を英語学習として消費しているのだ、といつも残念に思う。
洋書は英語学習でいう登竜門のようなものだ。
英語を実用的に使うための大きな関門。
厳しい逆流を切り抜けて竜になったのにも関わらず、昔の慣れ切った池でくすぶっていては、何も始まらない。
自分の場合は、ハリーポッターのような子供向け小説が読めるようになった後は、歴史や社会学の教養書に手を付けるようになった。
もちろんページをめくるたびに、初見の単語と鉢合わせた。
だが、完全に迷子になるわけではない。
文脈から全体的な内容を把握するように心がけると、基礎さえ固まっていれば洋書は難しくないのだ。
もっと抽象化するとしたら、
英語「を」勉強するという目的思考から、英語「で」勉強するという考え方にシフトして知見を広げる手段にしよう、ということ。
東大の友達なんかを見ていると、十分な英語力はあるのに、それを使って学ぼうとしていない人が多いなと感じる。
彼らが忘れているのは、英語は結局のところ言語でしかないという所だと思う。
英語は所詮使わないと意味がない。
洋書、YouTube、映画、ニュース、なんでもいい。
何となくで単語帳を何周もするのは、宝の持ち腐れだ。
かと言って、足早に単語帳を手放すのもリスクが大きい。
自分が中学生の頃は、理解できないのに海外のマジック動画を見漁っていた。マジックはビジュアルで理解できるからこそ、英語の内容がおろそかになってしまい、基礎を本格的に固めるのが遅れてしまった。
そして、その反動か高校時代では基礎をやりすぎて、ネイティブでも使わないような単語も覚えようとしてしまっていた記憶がある。
このように、英語学習を辞めるタイミングを見極めるのも難しい。
だが、忘れないで欲しいのは、英語を使って何かを学ぶことでも英語力は上がるということ。
あくまで問題なのは、洋書を読みながら分からない単語を一つずつ調べてノートにメモするような、自己満足のための効率の悪い勉強だ。
日々のルーティン的な英語勉強にマンネリを感じている人は、思い切って今やっていることをキッパリと辞めて、英語を一言語として使いまくると良いのかもしれない。
