見出し画像

「郡」とは何だったのか——住所から消えた一文字と、AI時代の地方行政

日曜日、なんとなくYouTubeを見ていた。おすすめに出てきたのは、「郡」についての動画だった。

ずいぶん地味な題材だと思う。市や町なら分かる。ニュースでも聞くし、市役所も町役場もある。けれど「郡」と言われると少し困る。知っている言葉なのに、説明しようとするとうまくできない。

動画を見ながら、子どものころのことを思い出した。自分の住所にも、かつて「郡」という文字が入っていた。

「群」という字なら分かる。羊の群れ、人の群れ。何かが集まっている感じがする。では「郡」は何なのだろう。市でもない。町でもない。村でもない。それなのに、住所を書くたびに当たり前のようにそこにいた。

小学生のころ、市町村合併があった。引っ越したわけではない。家も学校も、いつもの道も変わらない。ただ、住所から「郡」という文字が消えて、市の名前に変わった。子どもの自分にとっては、その程度のことだった。

それから長いあいだ、郡が何だったのかを考えることもなかった。

市には市役所がある。町には町役場がある。村にも村役場がある。では、郡には何があったのだろう。

調べてみると、昔は本当に「郡役所」があった。そこから、思っていたよりずっと遠くまで行くことになった。

郡役所という、今はない役所

近代の日本では、県と町村のあいだに郡役所が置かれていた。1878年の郡区町村編制法によって設けられ、郡長と職員がいた。市は基本的に郡から外れて県と直接つながり、小さな町や村の上には郡という中間の単位があった。郡役所は1926年に廃止されている。

最初は、昔の制度の一つだろうと思った。けれど、何をしていたのかを知ると印象が変わった。

当時の町や村は、今よりずっと小さな行政組織だった。一つの町や村だけで、学校や道路、河川の改修までを十分に運営するのは難しい。そこで、町村より少し大きな「郡」という範囲で、複数の町村をつないだり、町村だけでは持ちにくい機能を補ったりしていた。

ここで、郡が急に古びたものに見えなくなった。むしろ、今でもどこかで聞く話に思えてきた。

消えたのは、郡役所だけだった

現在の自治体も、似た問題を抱えている。

小さな町が、その町だけで大規模な消防組織を持つのは難しい。ごみ処理施設もそうだ。水道、病院、介護、情報システム。ある程度の人数や設備をまとめたほうがうまくいく仕事は、たくさんある。

だから今でも、自治体の境界を越えて仕事をする。一部事務組合や広域連合という名前を、暮らしのなかで意識することはあまりない。けれど、ごみを出し、救急車を呼び、水道の蛇口をひねる。その向こうには、自分の住んでいる市や町だけでは完結していない仕組みがいくつもある。

郡役所はなくなった。けれど、小さな自治体だけでは持ちにくいものを、もう少し大きな範囲で持つ、という必要までなくなったわけではない。姿を変えただけだった。

そう考えると、平成の市町村合併も少し違って見えてくる。町や村を残したまま、必要な仕事だけを一緒に行った地域がある。反対に、複数の町村そのものを一つの市にまとめた地域もある。どちらも、小さな自治体だけでは難しくなる仕事を、もう少し大きな単位で支えようとした答えだった。

土地は、合併してくれない

人口が減っていくのなら、自治体も大きくまとめたほうが効率的なのではないか。最初は、かなり素直にそう思った。

町長も、議会も、総務の部署も、財政の部署も、それぞれの町に置く必要がなくなる。情報システムも共同にできる。専門職も配置しやすくなる。まとめられるものは、たしかに多い。

けれど、考えているうちに一つ引っかかった。

二つの町が一つになっても、道路の長さは半分にならない。水道管も短くならない。山の向こうの集落が、役所の近くまで移動してくれるわけでもない。高齢者の家を訪ねる距離も縮まらない。

組織は合併できる。けれど、土地は合併してくれない。

人口が減れば、行政に必要な仕事まで同じ割合で減るわけではない。むしろ人がまばらになれば、一人の住民のところまでサービスを届ける距離は長くなる。

そこで、別の問題が見えてきた。

人が減るのに、人が要る

これから自治体で最後まで人が必要になる仕事は、たぶん、人間に近いところにある。

高齢者の生活を支える。子育ての相談を受ける。生活に困っている人の話を聞く。災害が起きたとき、避難できない人を確認する。家庭の中で起きていることを知る。

どれも、書類を処理すれば終わる仕事ではない。相手の話を聞き、表情を見て、事情を知る。ときには怒りや不安も受け止める。かなり人間的で、たぶん、かなり疲れる仕事でもある。

一方で、少子高齢化が進めば、行政を支える働き手そのものも少なくなる。人口が減る。働く人も減る。それなのに、最後まで残る仕事ほど人間を必要とする。

「人口が減るのだから、公務員も減らせばいい」だけでは、どうも計算が合わない。

だったら、減らすべきなのは人ではなく、人間がやらなくてもいい仕事のほうではないか。

そこで、AIのことを考えた。

人を減らすためではなく、人を残すためのAI

文書を探す。長い資料を要約する。定型的な文章を作る。会議を文字に起こす。法令を調べる。大量の情報を整理する。

似たような作業を、国でも、県でも、市町村でも、それぞれの職員が繰り返している。ここを機械に渡せないだろうか。人を減らすためではなく、人間でなければできない場所に人を残すために。

そんなことを考えていたら、少し驚くニュースに行き当たった。

今年7月28日、熊本県で最大震度7を観測する大規模な地震が発生した。その翌日、デジタル庁は政府職員向けの生成AI環境「ガバメントAI 源内」を、被災自治体や関係自治体、災害対策機関にも緊急提供している。

大規模災害では、情報の集約、整理、共有といった仕事が一度に押し寄せる。そこで、文案の作成、資料の要約、法制度の調査、翻訳、文字起こしなどにAIを使える環境を開いた。同じ日に、災害派遣デジタル支援チーム、D-CERTの先遣班として、デジタル庁職員2人と民間事業者3人が熊本県庁へ派遣された。実際の被災地への派遣は、このときが初めてだったという。

不思議な感じがした。こうなればいいのではないかと考えていたことが、その一部はもう始まっていた。

AIが避難所へ行くわけではない。倒れたものを片づけるわけでもない。不安を抱えている人の家を訪ねることもできない。けれど、その人のところへ向かう職員が、資料をまとめるために長い時間パソコンの前に座らなくてよくなる。そこにはかなり大きな違いがある。

雨は、市町村の境界を知らない

そして、そのニュースを調べていた同じ時期に、千葉県では記録的な豪雨が起きた。気象庁は8月14日、この雨を「令和8年8月千葉豪雨」と名付けた。顕著な災害の経験や教訓を後世へ伝えることも、名称を定める目的の一つだという。

雨は、市町村の境界線を見ながら降ってくれるわけではない。川は自治体をまたぐ。道路も、鉄道も、電力も、通信もつながっている。大きな災害になるほど、情報を集めたり、応援の人や物を調整したりする仕事は、より広い範囲で行ったほうがいい。

一方で、最後には小さな場所へ戻ってくる。避難所を開ける。家を訪ねる。困っている人に声をかける。地域の状況を確認する。

情報はいくら遠くからでも集められる。それでも、人間の身体は最後にその場所まで行かなければならない。

ここでも同じだった。上は広くしたほうがいい。下には、人を残したほうがいい。行政をどこまで広域化するかという問題は、効率だけでは決められない。

無駄に見えるものが、無駄でなくなる日

さらに7月24日には、副首都を整備するための法律案が参議院本会議で可決された。投票結果は賛成123、反対121。2票差だった。

この法律が想定しているのは、大規模な災害などによって東京圏の中枢機能を維持することが難しくなったとき、別の地域がその機能を代わって担えるようにしておくことだ。

読んでいて目に留まったのは、「代替性」という言葉だった。一つの場所や一つの仕組みだけに依存しない。何かが止まったとき、別のものが代わりに動けるようにしておく。

これは、効率化とは逆向きの発想でもある。

平時だけを考えれば、一つにまとめたほうが安いものはたくさんある。システムを一つにする。拠点を一つにする。担当部署を一つにする。けれど、その一つが止まったとき、全部が止まる。

二つあること。別の場所にもあること。人間でもできること。普段なら重複や無駄と呼ばれそうなものが、災害の日には意味を持つ。行政の効率化には、どこかに意図的な余白が要る。

AIについても同じだと思う。何もかも一つの巨大な基盤に任せれば、効率はいい。けれど、その基盤が止まったらどうするのか。広い範囲を支える仕組みがあり、地域の仕組みがあり、最後には紙と電話でも動ける人がいる。その重なりまで含めて行政なのだと思う。

「郡」は、消えたのだろうか

ここまで考えて、最初の「郡」に戻った。

子どものころ、住所にあった一文字。市町村合併で、その文字は消えた。けれど、土地から何かが突然消えたわけではなかった。そこで生活していた人がいる。長いあいだ使われてきた地域の名前がある。町が市の一部になっても、昔の町の名前で自分たちの場所を呼ぶ人はいる。行政の境界線が変わっても、生活の記憶まで一緒に引き直されるわけではない。

そして、郡役所が担っていたような、小さな地域を支えるために少し大きな範囲で機能を持つという考え方も、完全には消えていなかった。

広域の消防になった。共同のごみ処理になった。市町村合併になった。県を越えた連携になった。これからは、その一部がAIの共通基盤になるのだろう。

同じ制度が残っているわけではない。同じ名前ですらない。それでも、小さな地域の暮らしを守るために、少し大きな単位で何を持つべきか、という問いは残っている。

組織は、建物のように完成してそのまま存在し続けるものではないらしい。人が暮らす。人口が変わる。技術が変わる。災害が起きる。そのたびに、必要な形へ少しずつ姿を変える。制度が役割を終えても、その必要から生まれた機能は、別の姿になって何度も現れる。そしてその下には、制度の歴史だけではなく、その土地で暮らしてきた人たちの時間が流れている。

どこに人間を残したいのか

日曜日に、一本の動画を見ただけだった。郡って、そういえば何だったんだろう。それだけの疑問だった。昔の制度を少し知れば終わると思っていた。

気づけば、市町村合併のことを考え、人口減少のことを考え、災害のことを考え、AIと副首都のことまで考えていた。

けれど、ずっと同じことを考えていたのだと思う。どの仕事を、どの大きさで支えるのか。そして、どこに人を残すのか。

AIをどこまで行政に入れるか。自治体をどこまで大きくするか。県よりさらに大きな単位で仕事をするべきなのか。答えは一つではない。

ただ、順番だけは間違えたくないと思った。人をどれだけ減らせるかを先に考えるのではなく、人間をどこに残したいのかを先に考える。そのうえで、人間がやらなくてもいいことを、技術や広域の仕組みに任せていく。

100年前の郡役所と、これからのAIは、もちろん同じものではない。それでも、地域の中だけでは持ちきれないものを少し大きなところから支える、という点では、似た問いに答えようとしている。

子どものころ、住所から一文字が消えた。何が消えて、何が残ったのか。そのときは分からなかったし、いまも全部が分かったわけではない。


参考資料


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集