【最終回/全6回】親としての受験を走りきった日々 -安堵と涙の行方-
地方公立から医学部へ 〜 ある家庭の子育て回顧録
-親子の時間、受験の現実、そして決断へ-
【最終回】第8章〜第10章(終章)/全6回(一部有料)
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第8章 それでも前に進む娘、それを支える親の思い
──つらい日々でしたが、そこには確かに前へ進む姿がありました。
あの毎日の中で、私たちなりの答えが少しずつ形になっていったように思います。
●8-1 現役から浪人へ -それでも前を向く娘
いろいろ工面してようやく通えた待望の塾。
その効果を感じるまでに、さほど時間はかかりませんでした。
幼い頃に続けていた公文のおかげで、娘には「1人でこつこつ取り組む」という習慣が身についていました。
その積み重ねが、自学自習を理念とするその塾とも相性が良かったのだと思います。
成績も徐々に上がり、試験日までの残り日数から逆算した参考書の選び方や進捗の管理、志望校の相談にも的確に応じてもらいました。
「やるべきことを明確に示してもらえる」
その価値の大きさは、
実際に指導を受けている次女以上に──
私の方が痛いほど感じていたかもしれません。
ただ、その塾に通う生活が始まってからは、私たちの生活は一変しました。
学校から帰るとそのまま塾へ送り、私は夕飯のために一度迎えに行き、わずかな団らんのあと、また塾へ送り届けました。
塾が閉まる22時に再び迎えに行きます。
家に帰ってからも、娘は机に向かっていました。
まさに“勉強漬け”という日々。
私は自分の学生時代を省みつつ、ただ感心するばかりでした。
それでも現役生として受験した年、娘は第一志望として憧れていた旧帝大医学部には届きませんでした。
一般的な公立高校では受験範囲の授業が終わるのが高3の11月で、12月にずれ込むことも珍しくありません。
総仕上げにあてたい共通テストまでの残り時間はごくわずか。
1年以上の先取り学習が当たり前の、都会の私立一貫校出身者が合格者の多くを占める医学部受験では、そもそも追いつくこと自体が難しかったのだろうと、今では思います。
悔しい結果ではありましたが、浪人は親子会議で織り込み済みだったので慌てることはありませんでした。
むしろ一定の手ごたえがあり、塾の指導の下でできる限りのことをやり切ったという達成感もありました。
その達成感や充実感は、前向きに浪人生活を始める大きな助けになりました。
●8-2 浪人生活の過酷さと、親としての覚悟
それでも、実際に浪人生活が本格化すると、その過酷さは想像以上でした。
近年、特に地方では浪人生が減少しており、さらに開校したての塾で一緒に机に向かう生徒の数も多くなかったため、少なからず孤独感もあったようです。
そして朝から晩まで勉強──
送迎で時間を削られる私も大変でしたが、
それ以上に胸を締めつけたのは、娘が体調を崩して、ふらふらになりながらも塾へ向かう姿でした。
「今日は休んだら?」と声をかけたこともありました。
でも娘は「…行ってくる」とだけ言い、足を前に出しました。
そんな背中を見送ったあと、
私は駐車場の中でひとり、涙したことが何度かあります。
どうしてこんなつらい思いをさせているんだろう。
親として、これが正しい選択なのだろうか。
そんな思いが胸の奥で渦を巻いていました。
しかし、その涙は、決して後悔だけではありませんでした。
“どんなにつらくても諦めない娘”
その姿を見るたびに、私は何度でも覚悟を決め直しました。
戦っているんだ。あの子も俺も。
この子の伴走者でいよう。
最後まで一緒に戦おう。
あの日々は、娘だけではなく、私自身も試されていた時間だったのだと思います。
「本当につらい時期だったな。」
今振り返っても感想はその一言しかありません。
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浪人生活の過酷さ、親としての苦悩、家族で迎えた“最後の模試”の日、そして去来した“自分でも驚くほど意外な感情”、受験が終わるまでの日々をまとめました。
第9章 最後の模試の日 -見知らぬ土地で、家族は静かにひとつになった-
──あの日は、これまでの全てが凝縮されたような、長く果てしない、まさに旅のような一日でした。
その時間は、娘の成長と同じくらい、私自身の心と向き合う大切な節目でもあったのです。
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