見出し画像

手を出さずに、心を配る

人が新しい仕事に挑戦している姿を見ると、経験のある人ほど、先の失敗が見えてしまいます。

その持ち方では危ない。
その順番では、後で苦労する。
もう少し考えなければ、うまく納まらない。

自分にも同じような失敗をした経験があるから、早く教えてやりたくなります。

困らせたくない。
失敗させたくない。
できるだけ遠回りをさせたくない。

それも相手を思う気持ちです。

けれど、相手が考える前に答えを渡し、失敗する前にすべて直してしまえば、仕事は完成しても、その人の中には判断が育たないことがあります。

見守るとは、何もしないことではありません。

相手が今どこまで理解しているのか。
何に迷い、何を試そうとしているのか。
失敗してもやり直せる範囲なのか。
それとも、安全や品質に関わるため、止めるべきなのか。

手を出さずに、その様子をよく見る。

見守るとは、放っておくことではなく、いつでも支えられる場所にいながら、相手が自分で考える時間を守ることなのだと思います。

もちろん、どのような失敗でも経験させればよいわけではありません。

けがにつながること。
取り返しのつかない損失を生むこと。
誰かの命や暮らしに影響すること。

それらは、経験のために許してよい失敗ではありません。

危険が見えたなら、経験のある者が止めなければなりません。それは挑戦を奪うことではなく、挑戦できる場所を守る責任です。

一方で、やり直せる小さな失敗まで取り上げてしまえば、本人は「なぜ駄目だったのか」を自分の経験として知ることができません。

少し寸法を間違えた。
思ったより時間がかかった。
準備が足りず、途中で手が止まった。

その悔しさから、次は先に確認しようと思う。
道具を揃えてから始めようと考える。
分からないことは早めに聞こうと気づく。

教えられた注意は、いつか忘れることがあります。

しかし、自分で困り、考え、直した経験は、次の判断に残ります。

だから教える側には、助けることとは別の辛抱が必要になります。

見えていても、すぐには言わない。
できると信じて、少し待つ。
相手から質問が出たら、答えだけでなく考えを聞く。

「どうしたらよいですか」と尋ねられたときにも、すぐ答えを渡すのではなく、

「あなたは、どう考えている」

と返してみる。

すると、その人が何を理解し、どこで迷っているのかが見えてきます。

考え方が合っていれば、背中を押せます。足りない部分があれば、必要なことだけを補えます。

補うとは、主導を奪うことではありません。

挑戦している本人を中心に置いたまま、まだ足りない経験や知識を支えることです。

しかし、支えるつもりが強くなりすぎると、いつの間にかこちらが仕事を進め、本人は後ろからついてくるだけになってしまいます。

それでは、助けた人の仕事は完成しても、挑戦した人の仕事にはなりません。

人を育てるには、その人が自分で決め、自分で動き、その結果を受け止める時間が必要です。

そして、うまくいかなかったときに、責めるのではなく一緒に振り返れる関係も必要です。

「だから言っただろう」で終わらせれば、失敗はただの叱られた記憶になります。

「どこから違っていたと思う」
「次は、何を先に確かめる」
「手伝えることはあるか」

そうして失敗を共に確かめれば、経験は次に使える知恵へ変わります。

見守ることは、制度や特別な部署だけでつくれるものではありません。

日頃から話せること。
困ったときに聞けること。
失敗を隠さず伝えられること。
少しの変化に気づいて声をかけること。

そのような日常の人間関係があって、初めて見守ることができます。

信頼は、任せた瞬間に生まれるものではありません。

任せる。
見守る。
必要なときに補う。
一緒に振り返る。
そして、もう一度任せる。

その積み重ねによって、教わる人には判断が育ち、教える人にも任せる覚悟が育っていきます。

手を出さないことと、心を離すことは違います。

すぐに助けられる距離にいながら、相手の力を信じて待つ。

見守るとは、相手の挑戦に心を配りながら、その人自身が成長する余地を守ることなのだと思います。



#エッセイ
#人材育成
#見守る
#挑戦
#教えること
#信頼関係
#失敗から学ぶ
#知恵の継承

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集