明るく見えても、ちゃんと悩んできた
看護師として働いていた頃、
「悩みなさそうだね」「本当ですねって言っても説得力がないね」
など言われていました。
母には「馬鹿なふりするの、やめなさい」と言われたこともあります。
あの頃の私は、本当に脳天気だったと思います。
でも今になって思うと、
あれは“何も考えていなかった”わけではなく、
その場を少しでも和ませたいという、私なりの配慮だったのかもしれません。その当時の私は私で一生懸命だったと思います。
空気が張りつめたとき、誰かが傷つきそうなとき、
無意識に「明るく振る舞う」ことでバランスを取っていました。
それが私の防衛であり、周りへの配慮でもありました。
でもそのぶん、自分の成長のために踏み出す勇気が
どこかで止まっていたのかもしれません。
人に相談して、言われた通りに動いて、
あとで後悔したことも何度もあります。
それから
結婚して、子どもが生まれて。
“守るもの”ができた瞬間、
初めて自分の考えを持つようになりました。
瞬間というと聞こえがいいですが、
悩んでぶつかるごとに気づいていったの方が
近いかもしれません。
誰かに決めてもらうより、
自分で決めて、自分で責任を取ろう。
そう思えるようになったのは、間違いなく子育てのおかげです。
そこから、私の言葉の使い方も変わりました。
「私はこう思う」「私はこう感じる」
——“私は”を必ずつけて話すようにしています。
他の人がどう思うかはわからなくても、
私はこう感じている。
その感覚を大切にしたいからです。
今も変わらず明るく、楽しく過ごしています。
でもその明るさは、
場を和ませるための明るさではなく、
人の心に寄り添うための明るさに変わりました。
今はピアノのレッスンやリトミック、
子どもたちとの関わり、
そして時には保育や心理支援の現場にも立っています。
音を通して、子どもの笑顔が広がる瞬間や、
お母さんの表情が少し和らぐ瞬間に立ち会うと、
あの頃の“和ませようとする私”が、
ちゃんと形を変えて今も生きている気がします。
自分の弱さを話すことも、もう恥ずかしくありません。
それが、誰かを理解する入口になることを知ったからです。
まだまだ前進中。
関わらせていただく人たちの笑顔に
私はいつも幸せをいただいております。
ありがたいです。
あんの音
