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作曲する理由は「自分が一番のファン」でいいんだと気づいた話

「世の中にはもっといい曲があるのに、なんで自分が作る必要があるんだろう」って、ふと思うことがあります。
プロの曲を聴くたびに、「自分なんかが作る意味あるの?」って手が止まる。SNSで誰かの素晴らしい曲が流れてくると、自分の作りかけのプロジェクトファイルが急に恥ずかしくなる。

この問いにずっと向き合えませんでした。
見ないふりをして、なんとなく作り続けていました。
でも最近、少しだけ言葉にできそうな気がしてきました。
「誰よりも自分が聞きたい音楽を作る」——そういうことなのかもしれない、と。

まだ完全に腑に落ちたわけじゃありません。
でも、この「途中の気づき」を書いてみようと思います。


他人と比較してしまう苦悩の正体

「もっといい曲がある」という無限ループ

プロの曲を聴いたとき、SNSで誰かの作品が流れてきたとき、頭の中で比較が始まります。「自分の曲、全然ダメじゃん」って。

でも冷静に考えると、この比較には終わりがありません。
どこまで上手くなっても、もっと上がいます。どれだけクオリティを上げても、「もっといい曲」は無限に存在します。

これは自分の実力が足りないという問題ではなく、「比較の構造」そのものの問題なんだと思います。
どんなに上達しても、比較する限り満足することはできません。

でもそうわかっていても、プロの新曲が出たらやっぱり比べてしまう。自分の中でループが回り始めます。

SNS時代の比較はきつい

TwitterやYouTubeを開けば、常に「凄い作品」が目に入ります。
いいねの数、再生回数、フォロワー数という数値で、評価が可視化されています。

「自分は自分」とわかっています。
頭では理解しています。でも数字を見ると、やっぱり揺れます。「自分の曲は1桁いいね、あの人は3桁…」って。

正直に言えば、今でも揺れます。

この「わかっていても揺れる」が、一番しんどいのかもしれません。
理屈では納得できても、感情は別のところで動いています。

完璧主義が作曲を止めてしまう

「もっと良くできるはず」という思いが、完成を遠ざけることがあります。

自分の場合、8割できた曲を残り2割で放置してしまうことが何度もありました。
ミックスがもう少し、メロディがもう少し、展開がもう少し…と思っているうちに、そのプロジェクトファイルを開かなくなります。

たぶん、完璧にしたいんじゃないんです。
「これでいい」と言い切る自信がないだけなのかもしれません。

プロの曲を聴いて手が止まった日

憧れのアーティストの新曲が出た日のこと

ある日、好きなアーティストの新曲が配信されました。
通知を見て、すぐに再生しました。

圧倒的でした。

音の一つひとつが計算されていて、展開が完璧で、ミックスも別次元。
3分の曲を聴き終わったとき、自分の中で何かが折れました。

その日、自分のDAWを開きました。でも何もできませんでした。マウスを握ったまま、画面をぼんやり見ていました。イヤホンを外して、しばらくぼーっとしていました。

あの感覚を、今でも覚えています。

「同じ土俵に立てない」と感じた瞬間

プロのアーティストは、何年も経験を積んでいます。
ミキシングエンジニア、マスタリングエンジニア、編曲家といった専門家とチームで作っています。
個人の趣味で作っている自分と、比べる対象じゃないんです。

頭ではわかります。
理屈では納得できます。

でも聴いているときは、どちらも「同じ音楽」として耳に入ってきます。
自分の曲とプロの曲が、同じプレイリストに並んでいます。

この理屈と感情のギャップが、たぶん一番きついんだと思います。
「比べるべきじゃない」とわかっていても、耳は勝手に比べています。

それでも翌日、DAWを開いた理由

あの日の翌日、なぜかDAWを開きました。

何を作ろうとしたのか、覚えていません。
メロディも浮かんでいませんでした。ただ、起動して、プリセットの音色を適当に鳴らしました。

でも音を出した瞬間、少しだけ気持ちが落ち着きました。

あのとき自分が感じたのは、「聴きたい音楽がある」という衝動だったのかもしれません。
誰かに評価されたいとか、上手くなりたいとかじゃなくて、ただ「この音を鳴らしたい」という感覚。

自分でもよくわかりません。
でも、その日確かにDAWを開いていました。

「自分が聞きたい音楽を作る」という答えに辿り着くまで

承認欲求で作っていた時期

最初は「誰かに聴いてもらいたい」「評価されたい」で作っていました。

曲を公開して、いいねが1つつくたびに嬉しかったです。
「この曲いいね」とコメントをもらえると、次の曲へのモチベーションになりました。

正直に言うと、今でもその気持ちはあります。
完全になくなったわけじゃありません。

でもそれだけだと、続きませんでした。
評価されなかった日は落ち込み、誰にも聴かれない曲を作る意味を見失いました。承認欲求だけを燃料にするには、作曲は孤独すぎました。

「このフレーズ、自分が一番好きだ」と思った瞬間

ある日、作りかけの曲のサビのフレーズを繰り返し聴いていました。

上手い曲じゃありませんでした。
ミックスも荒いし、音色選びもイマイチ。でも「このコード進行、この音色の組み合わせが好きだ」と思いました。

誰にも共感されないかもしれません。
いいねは1つもつかないかもしれません。
でも自分は、このフレーズが好きでした。

その瞬間、作曲する理由が少し見えた気がしました。

自分が好きなら、それでいいんじゃないか、と。

自分だけの「心地良さ」がある

音楽の好みは、人それぞれです。

自分にとって心地良いコード進行、リズム、音色は、他の人とは違います。誰かが「これは古臭い」と思うコード進行が、自分には最高に響くことがあります。

その「自分だけの感覚」に正直に音を選ぶと、技術的には拙くても妙にしっくりくる曲ができます。
理由はうまく説明できません。でも、「これだ」と思える瞬間があります。

生み出すプロセスの中にある手触り

DAWを開いて音色を選んでいる時間

メロディを考える時間、シンセの音色を延々と試す時間、ミックスでフェーダーを1dBずつ動かす時間。

側から見たら地味な作業です。
完成に近づいているかもわかりません。でもその時間が、なぜか気持ちいいんです。

たぶん完成を目指しているわけじゃありません。その時間の中にいたいだけなのかもしれません。

音楽と向き合っている時間そのものが、心地良いんです。

作らないと味わえない感覚がある

「この音とこの音が重なる瞬間」は、自分で試して初めてわかります。

プリセットを片っ端から聴いて、「これだ」と思える音に出会う感覚。
2つのトラックを重ねたとき、偶然できた響きに「おっ」となる瞬間。

これは聴くだけでは得られない体験です。

言葉にするのが難しいのですが、「作る側にしかわからない手触り」みたいなものがあります。
それを味わいたくて、DAWを開いているのかもしれません。

失敗したプロジェクトファイルの話

自分のPCには、途中で止まったプロジェクトが何個もあります。

思い通りにならなかった曲、ミックスで崩壊した曲、メロディが浮かばず放置した曲。「失敗作」と呼べるものばかりです。

でも不思議と、それも含めて「やってよかった」と思えます。

全部が次に繋がっているかはわかりません。
でも少なくとも、それは「音楽と向き合った時間」でした。その時間は、無駄じゃなかったと思います。

それでも揺れる日がある

「自分が一番のファン」で本当に十分なのか

「自分が聴きたいから作る」と言い切れる日もあれば、「でも誰にも聴かれない音楽に意味あるの?」と思う日もあります。

正直に言えば、どちらの自分もいます。

自分が満足していればいい、と思える日。それだけじゃ物足りないと感じる日。この問いに、完全な答えは出ていません。

誰かに「いいね」と言われたい気持ちは消えない

承認欲求がゼロになったわけじゃありません。

自分の曲にいいねがつくと、やっぱり嬉しいです。つかないと、寂しいです。「自分が満足していればいい」と思いたいけど、正直それだけでは満たされない日もあります。

この矛盾を、どう受け止めたらいいのかわかりません。

揺れながら作り続ける、というあり方

答えが出ないまま、作り続けています。

「自分が一番のファン」と「誰かに届けたい」の間で、揺れています。どちらが正解かわかりません。両方あっていいのかもしれないし、どちらか一方に決めるべきなのかもしれません。

でもこの揺れ自体が、たぶん創作なんだと思います。
少なくとも自分にとっては。

これが正解かはわかりません。でも今、自分はこうやって作り続けています。

まとめ

ここまで書いてきて思うのは、「作曲する理由」に確固たる答えなんてないのかもしれない、ということです。

「自分が一番のファンでいい」と思える日もあれば、「それで本当にいいのか」と揺れる日もあります。
でも、揺れながらもDAWを開いています。

世の中にもっといい曲があっても、自分が聴きたい音は自分にしかわかりません。
「この音が好きだ」「このフレーズを鳴らしたい」——その気持ちがあるなら、作曲する理由はもうそこにあるんだと思います。

自分のために曲を作る。それって、すごく素敵なことですよね。


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