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君はよしんば千秋を知っているか?僕だけが知らないライブ音源で始まるよしんば生活の憂鬱


 レコードを出すことが選ばれた人だけの特権だった1970年代。日本でそれができる歌手など、数えるほどしかいなかった。しかもその女性は伝説の歌姫と呼ばれ、親衛隊も組織されていたと言う。

 リアルタイムでないにしても、音楽ライターとしてメジャー・インディーズ問わず聴いてきた俺が、このクラスの歌手を知らないことに、悶々としながら話を聞いていた。

 初めは吉田君の作り話かと思ったが、すっかり輝きを失った彼の目が、冗談ではないと訴えていた。

 母親の遺品整理をしていて見つけたカセットテープがきっかけで、母親が歌手だと知ったこと。親父さんに連れられていったジャズバーで母親のレコードを聴かされ、気持ち悪いと感じたこと。親衛隊だった親父さんと店主から、全く興味のない母親の逸話を延々と聞かされ、貴重な休みを潰されたことなど。

 薄っすらとだが、兄に振り回された覚えがあるので、気持ちはわかる。
 話し終えて、少しは気が晴れたのだろう。別れ際、少し目に光が戻っているように見えた。

* * *

 電車の揺れに身を任せながら、預かったカセットテープを眺めている。悶々とした気持ちは収まっていなかった。

恋猫とおりゃんせ/よしんば千秋

 何度も記憶を辿ってみるが、まったく覚えがない。聴けばはっきりするさ。兄ならラジカセくらい持っているだろうと思い電話したら、ビンゴ。切り際、「久しぶりだし晩飯食ってけよ」と言うので、電車で兄の家に向かっている。

 今やカセットデッキやラジカセを持っている人の方が貴重だ。
 兄は貴重な方の人間で、オーディオマニアと言えなくもないのだが、良い音を探求しているのではなく、たくさんのつまみがついた機材に囲まれ、ボリュームやスイッチに触れていると幸せを感じるタイプのマニアだ。

「よっ、いつぶりだ?」

「車を替えてすぐだったから……」

「一年ちょいってとこか」

「そんなもん」

「とりあえず上がれ」

 変わりない、いつもの兄だ。投げたら投げっぱなし、こちらの話は概ね聞いてない。かといって、不満に感じているわけでもない。気を使ずに済むので楽ではある。男兄弟なんてこんなもんだろう。

「リビングで待っててくれ」

そう言って兄は自分の部屋に引っ込んだ。

「姉さんは?」

「買い物。お前が来るって言ったらー、豚肉買ってくるって。生姜焼きでも作るんじゃないか」

 姉さんとは、兄の奥さんだ。 よくできた人で、決して出過ぎることのない絶妙な距離感を持っていて、問題が起きても必ず良い結果に導いてくれる、福の神のような女性だ。安心して好きなことができる兄は恵まれている。選び放題だったろうに、なぜ兄を選んだのか不思議でならない。

 程なくして、赤いダブルデッキのラジカセを抱えた兄が現れた。 ローテーブルの真ん中に置くと、床に座り込み、手探りでコンセントを探し始めた。肩越しに手を伸ばしてきたので、カセットテープを渡した。

「よ……」何か言ったみたいだが聞き取れない。
兄だけ時間が止まったかのように動かなくなった・・・と思ったら、

「こっち来い」

そう言って、勢いよく立ち上がると、左手にカセットテープを握りしめ、自室へ行ってしまった。

「ラジカセは?」

「持ってきてくれ」

 兄の部屋はいわゆるオーディオルームだ。
 部屋に入るとまず、いかにも高そうなスピーカーに目がいく。それと向かい合うように、三人掛けのソファがある。床は絨毯が敷き詰められ、壁も学校の音楽室のような穴の開いた吸音ボードになっていた。

 兄はクローゼットに上半身を突っ込んで何やら探していた。

「ドアは閉めたか?ソファの後ろに、紫のシートを掛けた黒い箱があるだろう?」

「紫?この布のこと?」

「ああ、それ取って、箱の蓋を外してくれ」

「上に乗ってるCDは?」

「床でいい」

 ソファの後ろには、アンプやイコライザーなどのオーディオ機材を収めた、腰よりも低いキャビネットが二つと、ノートパソコンとヘッドホンとミキサーが置かれた小ぶりな机があった。机の下には、兄専用の丸椅子があった。 客をソファに座らせたら、自分はこの丸椅子に座り、人数や曲調に合わせて最適な音に調整するらしい。

 紫の布を取り払うと、黒い革張りの箱が出てきた。大きめのアタッシュケースくらいはあるだろう。横についている四つのロックを跳ね上げ蓋を外すと、中はオープンデッキだった。

「こんなの持ってるのは俺だけだ」

 自慢げに言う兄は、手にしていた20cm角ほどの紙製の箱をそっと机に置き、蓋を取った。

「なんだ、オープンリール自慢されてもなあ……」

「バーカ。自慢しているのはこの中だYo! カセットテープってことは、それレコードを録ったものだろう。こっちは、『よしんば千秋』がレコードデビューする前のものだ。しかもライブ音源……」

『よしんば千秋』

 兄の口から出た名前に驚き、声が出なかった。

 デッキの左にリールを留めたら、テープの端を引き出して右の空リールに留める。たるんでいるテープをヘッドに通し、残ったたるみを巻き取る。
 初めて見たわけではないが、目の前の光景が自分と無関係な別次元の出来事のように感じる。兄の声も遠くなっていく気がする。これは夢か?

* * *

 肩を叩かれ我に返った。

 息を呑むというのはこういうことか、いや、一瞬息をするのを忘れていたのかもしれない。

「よし、回すぜ」

 流れてきたのは、ロック?昭和歌謡? この際、ジャンルはどうでもいい。やはり聞いたことがない。 こぶしとも違う、節回しのクセが凄い。 ビブラートも、なんだか気持ち悪い。

「よしんば千秋って売れてたの?」

「……本当に知らないのか?」

 からかっている風でもなく、本当に信じられないといった口ぶりだ。知らない方が少数派なのか?そんな疑問を巡らせていると、後ろのドアが開いた。

「ここだったのね、いらっしゃーい」

「姉さん、お邪魔してます……」そう言い終わらないうちに、ひときわ高く大きな声に、言葉はかき消された。

「あっ!これ千秋じゃない!懐かしいぃぃぃぃ!」

「えっ!姉さんも知ってるの?!」

「当たり前じゃない。これでも昔は『よしんばギャル』だったんだから!」

 よしんばギャル?アムラーみたいなものか?

「こいつが持ってきたカセットテープ、『恋猫とおりゃんせ』だったんだぜ。知らないんだって」

「ええええ!じゃあ初めて聴くのね! いいなあ、初めて聴いたあの感動を味わえるなんて! 羨ましいぃ! ねえねえ、急いで料理済ませちゃうから私も一緒に聴かせてよ!」

「じゃあ、今日は特別に、ここでメシ食うか!」

「そうだ!よしんば焼きにしない? あれなら作りながら食べられるし。ちょうど豚肉も買ってきたことだし!」

「いいなあ!それでいこう!じゃあ俺たちはリビングのテーブルを運ぶぞ!」

 兄はともかく、いつも絶妙な距離感の姉さんはどこへ行った?
 よしんば焼き? よしんばギャル?いや、もっと肝心なことを聞こうとしていたはずだが、考えようとすると歌に意識を持っていかれ、思い出せない。

とおぉりゃんsay! とおりゃんsay!
ココハドコノ細道じゃぁーイィィィィ~

* * *

 よしんば焼きを囲んだ宴が始まると、伝説の歌姫のサクセスストーリーと、二人の馴れ初めを延々聞かされた。BGMは言うまでもない。

「会場の一番後ろでよく見えなかったの。だからピョンピョン跳ねてたら、足首やっちゃって」

「PAブースの前で飛び跳ねているだけでも面白いのに、突然消えるんだぜ。何事かと思って覗き込んだら、足首押さえて座り込んでいたんで、王子様としては放っておけないわな」

「ライブ中は後ろなんて誰も気にしないじゃない。心細くなっていたところに声を掛けてくれて、嬉しかったなあ。王子様ではなかったけど騎士くらいには見えたかも」

「そして騎士は、姫の手を引き、PAブースにご案内差し上げました」

「そう!あそこって少し高くなってるじゃない。座っていてもステージがよく見えるし、手を振っていたら千秋が気づいて、手を振り返してくれたの」

「ちょうどMCだったから、イヤモニに合図したんだ」

「あれはファインプレイだったわ」

 この話、さっきも聞いた・・・と思う。

 気づけば終電も終わってる。もう、どうでもよくなってきた。ソファでいいから、せめて寝かせてくれ。そして目覚めたら、全部夢でしたってオチにしてくれ。

 二人の声が子守唄のように聞こえる。

 薄れる意識の中、求めていた答えを聞いた気がした。

 『君だけが知らない歌なんてあると思う?』

(了)


これは、青豆ノノさんの小説『アングラ歌謡祭』にインスパイアされた、2次創作小説です。まずかったら言って下さいノノ様!


2025-04-23追記
当初は、単発読み切りのつもりでしたが、このお話をプロローグにした、続編の連載をはじめました。



あとがき

はじめは『恋猫とおりゃんせ』ってどんな歌だろうという小さな好奇心でしたが、数日経ってもそれは収まらず、日が経つほどに膨れ上がり、思考の大半を占めるまでになってました。

『よしんば千秋』はどんな人物なのか?アングラで伝説の歌姫ってってどんなだ?『よしんば』の由来は?どんなジャンルの音楽?時代設定は?気持ち悪いビブラートってどんなの?昭和歌謡でシャウトって?・・・

仮説を立てては、わかっている事象と突き合わせて、行き詰まったら戻ってまた仮説を立て直す、試行錯誤の繰り返し。
まるで未開の迷宮で地図を作ってるような2週間でした。

この時、地上はやたら熱量の高い推しの話で盛り上がってますね。推しだとハマっても泥温泉って感じですけど、私がハマった迷宮は完全なでした。

沼にハマるのはクリエイターの性ですね。なにせ試行錯誤を楽しいと感じてしまうのですから。「そこに山があるから」と答える登山家に近いものを感じます。

一応、出口を見つけ迷宮を脱出できたのですが、結局わかったのは
迷宮の奥には隠し扉があり、下層へと繋がっていたという事(笑)
早速この週末を使って再び潜る準備を整えたいと思います。

最後までお読み頂きありがとうございました。


※ 2025年4月13日 訂正しました。
本来、作中の楽曲タイトルが『恋猫とおりゃんせ』であったにもかかわらず『愛猫とおりゃんせ』と表記していました。大変申し訳ございません。

誤りに気づいたきっかけは、羽根宮糸夜さんがねこね紅白で歌われた『恋しさと せつなさと 心強さと』です。
キーボードで「いとしさ」と打つと「愛しさ」と変換されるので何の疑いも持たず使ってきましたが、『恋しさ』を「いとしさ」と読ませ、似て非なるニュアンスを込めてあることも知ることが出来ました。
羽根宮さん、ありがとうございました。


TALES版

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