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太陽に目隠しをして

向日葵は、太陽の動きに合わせてその花を動かすことからその漢字があてられたという。
太陽に向かうということは、その身を包み隠さずにさらすことと同義のように感じて、それは苦しいことではないのかとも思う。

光から目を背けたい日や、地面に映る影の中に隠れたい日もあったのではないだろうか。

少なくとも私は、日陰のうす暗さの中で静かに過ごしていたい。

「本当に真面目だね」
「えらいね」
「少しくらい遊んでみたら?」
何度も何度も言われた言葉。

小さな頃から曲がったことや、不公平が許せなかった。
ヒーローぶりたいわけでもない。周りはどうであれ、自分は人に言えないような行動をしないと固く決めていた。
現実は厳しいものだった。
不正や不義、信じていた人が裏切るなんてことはゴロゴロとあって、その度に砕けそうになる心をどうにかやりすごしていた。

その正義感は時に自分を守るものでもあり、時には自分を傷つけるものでもあった。
逃れられない正義感に、どうしようもないほどがんじがらめになっていて、苦しいのに手放せなかった。


正しさだけが全てではないと、理解はしている。
理解していることと、それをやることとはまた別だ。

不倫をしていた友人はそのまま結婚し、子供にも恵まれ幸せな家庭を築いている。
一番の理解者だった母は、飛び出した見ず知らずの子供を助けて亡くなった。
いじめの主犯格だったあの子は、海外でセレブのような生活を送り、SNSでインフルエンサーになっている。
誰より私のことを想ってくれる優しさに惹かれて結婚した夫は、その優しさを他の女性に与えることにしたらしい。

不平等で不条理でなことばかりが蔓延っているように思えた。

世界はそんなに綺麗じゃないのかもしれない。
どこかの物語のように勧善懲悪、ハッピーエンドとはいかないようだった。

真面目に生きたからといって、それを誰が証明してくれるのだろう。
証明できたとして、それは何か意味があるのだろうか。

太陽に顔向できないような生き方はしてこなかったはずだ。
それこそ向日葵のように、お天道様に恥じないよう真っ直ぐと地に足をつけて生きてきたと思っていた。

でも、それが正しいのか分からない。
正しく生きる意味も、身に染みた正義感に振り回される日々も、あの向日葵のように胸を張れるほど自信が持てない。

どうかこのまま太陽から私を隠してくれないか、と黄金色の花がつくる影にうずくまりながら思った。


風まかせ文芸部さんのお題企画に参加させていただきました。

近所に向日葵が咲いているのを見つけて、なんだか夏を感じました。


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