40人の田村
昨年度までは真ん中辺りの席だった田村も、このクラスに替わって以来、一番前の席となった。田村明人という名前だったのだから、それは当然のことだった。クラスメイト全員の姓が「田村」であったことに、はじめこそ田村は驚きを隠せずにいたが、徐々に受け入れていくこととなった。
前のクラスで呼ばれていた「たむたむ」というあだ名は、知らないうちに別の田村につけらていたことにはいささか傷ついたし、次に呼ばれることの多かった「むらた」というあだ名も、また別の田村につけられていた。このことに傷ついたのは明人だけでなく、「たむたむ」と「むらた」を冠された二人の田村以外の田村全員がそうだった。
そうなってくると、もうシンプルな「田村」の取り合いだった。38人の田村が「田村」という呼称を巡って、争奪戦を繰り広げることとなった。
繰り広げる、と言っても、各々が自分がいかに「田村」にふさわしいかを語る、という簡単なものだった。ある田村は、先祖代々の姓が「田村」であったことを主張し、ある田村は、友人だけでなく両親からも「田村」と呼ばれ続けてきたことを明かし、また別の田村は毎日「田村」と刺繍されたTシャツを着ていると告白したが、結局、クラスの一番後ろの席に座っていたアンデル・田村・スパイスというウズベキスタン籍の田村が「田村」を獲得する運びとなった。
その理由は「ミドルネームに田村が入るその希少性に目を見張った」と、職員会議で評価されたからだった。ところが、アンデル・田村・スパイスはこのことを喜ばなかった。
アンデル・田村・スパイスは、かねてより、もう名前から田村を取り除きたいと思っていた。明らかな「田村」の蛇足感が、どうしても気がかりだった。アンデル・田村・スパイスは、アンデルか、スパイスで呼んで欲しかった。というか、親族の系譜を辿ってみたところで、どこにも「田村」という姓を持っている人間はいなかったので、もはや何かの嫌がらせだろうとさえ考えていた。
たむたむ、むらた、田村、この三つの呼称が揃ったところで、それ以降の人間については「田村2」「田村3」…となっていくのが通例だったが、ある田村が異議を唱えた。「たむたむとむらた以外にも、探せばあだ名があるんじゃないか」というものだった。
この発言には、クラスメイト一同が驚かされた。田村界では、田村のあだ名は「たむたむ」と「むらた」以外に存在しないということは、考える余地のない自明の事実だった。すぐに、クラス会議が開かれた。
会議は8日間に渡った。各班の田村がグループをつくり、ブレインストーミングを行った。結果「田村のあだ名は『たむたむ』と『むらた』以外あり得ない」という結論に至った。驚くべきことに、どの班においても、この2つの呼称以外に何ひとつ案が出なかった。
言い出しっぺの田村でさえ、口をつぐんだ。それゆえにこの8日間は、給食の時間を除いて誰一人言葉を発さず、ただ40人の田村が自分以外の田村から、たむたむとむらた以外のあだ名が出ることを待つ、という地獄のような時間となった。
会議に終止符を打ったのは、担任だった。担任の田村だった。担任の田村は、これまでの42年間を田村として過ごしてきただけあり、田村のあだ名はたむたむとむらた以外にあり得ないことを重々承知していた。
担任の田村は、田村のあだ名を拡張しようという生徒たちの心意気に感銘を受け、最終的に泣いた。それを見た生徒も泣いた。たむたむも、むらたも泣いた。田村だけ泣かなかった。彼はもうすでに田村であることに興味を失っていたし、できるならばこの田村の呪縛から逃れたいと考えていた。アンデルとスパイクを、往復するように生きていきたいと考えていた。
結果的に「田村8」となった田村明人は、鬱屈した日々を過ごしていた。「たむたむ」と呼ばれ愛されていたあの頃を思い出し、「田村8」という名前を呪った。が、そうした日々にわずかながらも光が射した。転校生が現れたのだった。
田村明菜という名前のその女性は、五十音順に席が並べられているそのクラスでは、当然のように明人の真後ろに座ることとなった。
以来、背後からは甘い香りが漂ってくるようになり、プリントを配布する際などに後ろを向くたび、明人は明菜に笑顔を向けた。だが明菜は笑顔を向けなかった。明菜は明人に興味がなかった。明人に、というよりは「田村8」に興味がなかった。明菜は転入するやいなや、このクラスのヒエラルキーをすぐに把握したのだった。
ピラミッドの頂点にあたるところに、「たむたむ」「むらた」「田村」が御三家として君臨し、それ以降の「田村2」「田村3」…の人間たちは下層の住人という意識だった。
そして、明菜は必然的に「田村39」という呼称が与えられることになったのだが、その美貌に「39」は似合わないとして、たむたむが自ら「たむたむ」の称号を明菜に譲渡し、見事明菜は「たむたむ」となった。
元たむたむの田村は、その見返りを現たむたむの明菜に期待したが、現たむたむの明菜は下層の人間には一切の興味がなかったので、ただ冷たい視線だけを向け続けた。
たむたむ、むらた、田村の三人は常にグループを組み、田村としてのヒエラルキーだけでなく、そのままクラスのヒエラルキーのトップにもなった。当初「田村」というミドルネームを不服としていた田村も、たむたむの美貌に惹かれ、クラスのトップに君臨する自分を徐々に受け入れ始めていた。
御三家の一角を担うむらたもまた、この状態をかなり満足に思っていたが、突如としてその幸せは奪われることとなった。両親が離婚したのだった。父の不倫によって離婚することになり、母のもとで暮らすことになったむらたは、母の旧姓である「田宮」に姓が変わった。
このことによって、御三家を降りるだけでなく、クラスからも退去することとなった。このクラスが田村だけで構成されなくてはならないというのは、古くからの決まりで、絶対に揺らぐことがなかった。
元むらたは声を上げて泣き、クラスメイトもみな泣いた。ただたむたむに関しては、下層の人間に興味がなかったので、全く泣かなかった。担任の田村も泣き、「『田宮』も『田村』も早口で言えばそんなに変わらないじゃないか」と職員会議で訴えたが、上層部に「田村は田村でしかあり得ない」と一蹴された。
そしてこの「田村」を軽んじるような発言により、担任の田村はこのクラスから外れることになり、また別の田村が担任となった。
一方、クラスでは空いた「むらた」のポストを巡り、熾烈な争いが繰り広げられていた。たむたむはむらたの後継者を冷静に注視していたし、田村を完全に受け入れたアンデル・田村・スパイスは、腕を組みながら「見ものだな」と鼻を鳴らしていた。
当然この地位は誰もが欲しがったし、とくに明人にとっては絶対に逃すわけにはいかなかった。明人は、自身がいかに「田村」という姓にプライドを持っているかを声高々に語り、「田村」という姓の由来などもしっかり調べてきたとし、古い文献などを交えて説明もしたが、いまひとつ受けが良くなかった。
それもそのはずだった。この短い期間に、クラスの多くの田村たちは「田村力」を磨くことに精を出していたのだった。田村姓の由来を知るなどということは、あまりに基本的なことだった。
ある者は、背中に「田村」、肩に「TAMURA」の刺青を彫り、ある者は全国を巡り「この人こそが田村にふさわしい」との署名を二万件ほど集め、戦いにのぞんでいた。担任の田村でさえ見入ってしまうほどに、極めて高レベルな次元で戦いがおこなわれた。
二週間後、ようやく勝者が決まった。田村正人という生徒だった。この新生むらたとなった正人は「田村という概念そのものになる」という歴史を振り返ってみてもトップクラスの偉業を成し遂げた。
田村正人という名前を取っ払い、ただの「田村」となる。「田村」という姓と同化する。もちろん肉体は必要ないので、クラスに体を運ぶことはないという趣旨のようだったが、当初そうした旨の通達だけが、田村正人の自宅から学校に送られてきただけだったので、現場は混乱した。
「ちょっと何言ってるのか分からない」との意見が大多数を占めたが、校長が興味を示した。「よく分からないなら、本人に訊いてみよう」ということになり、学校側は何人かの教員を自宅に寄越し、面会を試みた。
正人の父母が笑顔で出迎えた。ある教員が「田村正人はいるか」と訊ねたところ、「正人は田村そのものになりました」との返答があった。実際に自宅の中に上がると、田村正人の姿は見当たらず、自室はもちろん、形跡なども全く見当たらなかった。両親に何を訊いても「田村そのものになりました」の一点張りで、らちがあかないと判断し、教員たちは学校に引き返した。
判断が難しく、およそ10日間、連日連夜に渡って職員会議が開かれた。「シンプルに行方不明届を出したほうがいいのでは」「普通に虐待じゃね?」といった意見も多く出たが、疲労がかなり蓄積していたこともあり「もう面倒臭いから、概念ということにしよう」となった。
晴れて、田村正人は「むらた」となった。だがそもそも、この新生むらたは田村の概念でしかないので、クラスにその肉体は存在せず、事実たむたむと田村の二強体制となった。
やがてたむたむと田村は、恋仲となった。このヒエラルキーは揺らぐことがなかった。明人は毎日泣いたし、たむたむに「たむたむ」を譲渡した元たむたむは、不登校になり、他校の不良グループともつるむようになった。
争いから二十年以上経った現在、元たむたむの田村明菜と元田村のアンデル・田村・スパイクの二人のあいだには二人の子供が生まれ、たしか大田区あたりで幸せに暮らしている。
